第四話 ラケッティア、主義と宗旨。
「はっくしょんばっきゃろちくしょー!」
トキマルはくしゃみの後に馬鹿野郎と畜生をつける派閥らしい。
ちなみにおれはてやんでえバーローだ。
「兵糧丸食えよ」
「忍者に関する誤解でむかつくのは兵糧丸をなにかの万能薬と間違えられること、でもなによりもむかつくのはおれたちがあの不味い練り餌を好きで食べてると思われること」
「ミミちゃんで万能薬買ったか?」
「毒、混乱、沈黙、視界不良は治せるけど風邪は治せないらしい」
「結局、昨日の収穫はお前が風邪ひいて、おまけに死体だらけの部屋からずらかるのを聖院騎士に目撃されたことか。これでますますクリス畜生盗り説が固くなったな。クリストフは風邪ひいてないのか?」
「そっ。馬鹿だから」
「馬鹿だから」
そのとき、窓の外にある〈ラ・シウダデーリャ〉で穏やかではない雰囲気のわめき声がきこえてきた。
物の売り買いや値切りで出る声ではない。
そうだな――薬丸自顕流目録以上の武士の掛け声みたい甲高いキエエ!ってやつ。
「くそっ、誰か刺されたな」
二階の事務所から飛び出して、一階の居酒屋へ駆け込み、グラムに捕吏たちを市場のなかに入れるなと念押しして、コーデリアの古着屋の前までやってきてみると――ああ、畜生――青い胴衣のよそ者が腹と胸をメッタ刺しにされていた。
コーデリアは捨て値で手放す予定だったボロボロの毛布でそのメッタ刺し野郎をバームクーヘンみたいに巻いてしまおうとしていた。
「おい、みんな! 手伝え! 死体を外に捨てるんだ! このままじゃ治安裁判所に立ち入りの口実が渡っちまう!」
〈ラ・シウダデーリャ〉で商売してる連中は裁判所の立ち入りなんかあった日には十年くらいガレー船に送り込まれるような連中だったから、見事な知恵と連携で市場のガラクタから即席投石機をつくり、それに死体を乗せて外に吹っ飛ばした。
厄介な荷物が片づいて落ち着いてみると、事情通根性がウズウズしてきたのか、その場にいた連中が頼まれもしないのに、あの不運な青チョッキの男がどんなふうにしてやられたのか話してきた。
「ふたりとも余所者だよ」
「緑のチョッキの男が刺して逃げた」
「言葉に北っぽい訛りがあったな。ロンデから来る行商人みたいな」
「きっとヤクザだ」
「密輸屋だよ」
ほら、いわんこっちゃない。
王都ロンデの跡目争いがカラヴァルヴァにも飛んできた。
こうなるとロンデの連中がカラヴァルヴァで代理戦争をするのか、あるいはその逆か。
水が血を洗い流し、それを執拗にバケツで押し流して溝へと追い落とすころになって、おれに客だとグラムが言うので行ってみると、相手はイヴェスだった。
「よお、判事さん。ついに決心して賄賂取る気になった?」
イヴェスは軽口をたたく男ではないし、むしろその逆で言葉ひとつひとつが鉄アレイみたいに重い。
そのイヴェスがだよ、居酒屋のカウンターに座り、飛んできた野球のボールで自慢の盆栽を木っ端みじんにされたオヤジみたいに憮然としてる。
「つい、いまさっき、ここから二十メートルほど離れた食堂に毛布に巻かれた死体が文字通り飛び込んできた」
「この街じゃ、おちおち食事もできないな」
「目撃者の話ではその死体はこの市場から飛んできたと言っている」
「それが正しいと思うなら、おれをしょっぴいて、その目撃者を証人にして裁判でもやればいい」
「どうせ目撃者は証言しないし、死体を投げ飛ばすのに使った装置もすでに分解されているだろう」
はい、裁判長。おっしゃる通り。
「死んだ男の身元を知っているか?」
「勘弁してよ。余所で死んだ男の身元なんて知るわけない。そもそもあんたからきくまでは、そいつが死んだことだって知らなかったし、そもそも存在することも知らなかっ――」
「貝殻党と呼ばれる犯罪組織だ。ロンデのフスティノ・オルンがカラヴァルヴァにつくった支部のようなものだ」
「ドン・ウセビオが死んでからロンデの状況はめちゃめちゃらしいね。でも、それは管轄外じゃん。それこそ聖院騎士団がやれって話。だって、あいつらはそういう管轄の線引きを気にせず、ずかずか人の縄張りに入り込んで地元の官憲とのっぴきならない事態になったりするために給料もらってるんでしょ?」
「聖院騎士団はいま強盗殺人の罪で怪盗クリスを追っている」
「ねえ、イヴェス。おれ、ロンデの抗争に関わるつもりはないし、関わりたくもない。それは伯父さんも同じ。きいた話じゃ、ロンデにはフスティノ・オルンの他にふたりボスがいるそうじゃん。じゃあ、騎士団のお偉方と裁判所のお偉方とそれに〈商会〉たちが集まって、縄張りをきちんと三等分に決めて、手打ちにする。これ、やらないとたぶん最後のひとりになるまで殺し合うよ」
「わかっている」
だが、それができないのだ。
イヴェスは少しイライラした様子でカウンターを指でトントン打った。
「ロンデの聖院騎士たちは清濁併せ呑むことを知らない。〈商会〉どもと同じテーブルにつくことなんて想像もしない。だから、協定を結ばせることができない」
「まったくガキじゃあるまいし」
「……」
「そういえば、あのいつもちょこまかくっついてるギデオンがいないね」
「風邪をひいたので医者に行かせている」
「薬代払えるの?」
「ああ」
「きっとそれだって八年くらい生活費切り詰めて貯めたカネでしょ? 賄賂もらえばいいのに」
「主義の問題だ」
「主義、ねえ。ところで、ここに来たのは吹っ飛んできた死体のことを話しに来ただけ?」
「いや、お前が宗旨替えしていないか確かめにきた」
「よく分かんないけど、おれが宗旨替えするとどうなるの?」
「世界中に血の雨が降る」
「きみ微笑めば、きみ微笑めば、世界中がきみと微笑む。でも、おれが宗旨替えをしたら血の雨を運んでくる」
――†――†――†――
だいたい心配事は他にもあるんだよ、チミ。
こう見えても忙しいんだよ、チミ。
クリストフのこともそうだが、なんかジャックの様子がおかしい。
今朝だって、ボーッとしてグラスをふたつ割った。
ジャックの反射神経なら落とせば床に激突して粉々になる直前にサッとつかむことができる。
なにか悩みがあるに違いない。
こういうときは相談役のエルネストが相談にのってやるべきなのかもしれないが、マフィアの相談役はお悩みホットラインとは違う。
それにエルネストは隣りの部屋でナンバーズの上がりの計算で忙しい。
となると、ボスたるおれが解決しないといけない。
あの日の夜、おれたちが食堂に集まり、それから三十分間、ジャックはひとりで〈モビィ・ディック〉のカウンターにいた。
その三十分のあいだに誰かがやってきた。
雨のなかやってきたそいつは玄関口にでかい水たまりをこさえた。
いったい誰がやってきたのか、それを知るのはジャックとあともうひとり。
いや、正確には一台か。




