第二十二話 アサシン、幼女を好きでなにが悪い。
ミミちゃんの体内には創造主来栖ミツルの妄想が幾分か加味されていた。
しかも、その想像はミミちゃんが来栖ミツルにつれない接客をしたことによって生み出されていた。
ミミちゃんの体内はマフィアの災厄の連邦政府のビルだったのだ。
腰に縄を巻いたまま、アレンカは初期のファクシミリがジージー鳴る面白みもない灰色のビルをうろついた。
ファミリーを裏切って新しい名前と身分証をもらってアリゾナに逃げるのを待つマフィアたちが列をなしている廊下を通り過ぎ、アイルランド系マフィアと裏取引したFBI捜査官たちの懺悔部屋を通り過ぎ、「おれの権利はどうなってやがる!」と生意気なことを言ったチンピラが「こいつがお前の右だ!」と強烈な右フックをもらって体をくの字に曲げる取調室の前を通り過ぎ、射撃練習場の的にするジョン・デリンジャーの上半身を吐き出し続ける印刷室の前を通り過ぎ、ついにアレンカは自動販売機の前にたどり着いた。
それは一切マフィアの関わっていない全米一クリーンな自動販売機だった。
中身はあまりにも甘すぎてアメリカ人以外とても食べられそうにないベタベタしたアーモンドキャンディだったが、それ以上のベタベタがアレンカに飛びかかった。
「アレンカちゃああん!」
と、飛びついたのはアレンカと同じくらいの幼い少女で、それがアレンカに抱きつき、クンカクンカとにおいを嗅いで、「尊い」とか「かわいすぎてしんどい」とか「小さいことは正義!」とか現代日本なら事案ものワードを連射して、ヒイイもちもちすると言って、狂ったように頬ずりをした。
「キャーッ! ヘンタイさんなのです!」
「ひーっ! アレンカちゃんにヘンタイって言われたぁ! もっと言ってえ!」
その少女は大きなリュックサックを背負っていて、その端からポーションの瓶の口が見えた。
この少女こそが自動販売魔法生物ミミちゃんを擬人化した姿なのだ。
来栖ミツルの妄想がディティールに多大な影響を与えたこの世界のなかで、ただひとつその影響をまったく受けなかったのが、このミミちゃんであった。
幼女自身が変態的なロリコンというのは来栖ミツルの想像をはるかに超えた存在だった。
「あー、かわいー。ポーションほしい?」
「それよりもフォンセカとジーナを返すのです」
「あのふたりなら、もともと食べてませんよ」
「あう?」
「あう? ハウッ、かわいい! まあ、全てはちっちゃいアレンカちゃんともっとお近づきになりたいなあ、という健気なアイディアが生み出したものです」
「むー、アレンカはちっちゃくないのです。きっとこれから成長するのです」
「えー、もったいない。なんか突然変異が起きて、成長が止まればいいのに」
「物騒なことを言うのです」
「幼女が幼女を好きでなにが悪い!」
「でも、ミミちゃんはジャックにも大当たりを出したのです」
「ああいう、儚げで健気なのも悪くないです。が、小さければ最高なんですけどね」
「救いのないヘンタイさんなのです」
「あざーっす!」
さて、来栖ミツルの声が廊下の曲がり角からきこえてきたのは、いよいよこいつは手のつけられない、自分の手に余るヘンタイだとアレンカが悩み始めたときだった。
「なんだ、こりゃあ? FBIのビルか? なんでミミちゃんのなかにそんなもんがあるんだ?」
「マスター、こっちなのです! アレンカはここにいるのです!」
「む、そっちか。アレンカ! いま、行くぞぉ! ――あ、ジョセフ・ヴァラキだ! 世界で初めてマフィアを売ったマフィアのジョセフ・ヴァラキだ! あっちにはジョン・ゴッティを売ったサミー・グラヴァーノもいる! なんだ、ここは! 密告者の天国か?」
「マスター、よそ見しちゃダメなのです!」
「あ、はいはい。よっしゃ。今度こそ行くぞおおおおぉぉぉぉぉ……」
ぉぉぉぉ……と明らかに声は遠ざかっていたが、それもそのはずで来栖ミツルは両大陸を股にかけた伝説のシチリア・マフィアにして初の転向者、シチリアのマフィア大裁判の主力証人だったトンマーゾ・ブシェッタを見つけて、その後を追いかけていたからだ。
さらに殺人株式会社の取締役社長で検察に寝返り、四人の警官が見張りについていたのに忽然と姿を消したリトル・ニッキー・レンジリーをひと目見てみたいものだと思って、あちこち走っていると、偶然ミミちゃんがアレンカに抱きついて離れようとしないところに行きついた。
「待たせたな、小娘たちよ! この来栖ミツルが来たからには、もうロリコンの好きにはさせん!」
「むーっ! アレンカ知ってるのです! マスターは寄り道したのです!」
「そ、そんなことあるわけないだろ。おれ、妄想でパンパンのティーンエイジャーよ? 女の子のことで頭がいっぱいの高校生よ? 美少女第一に決まってんじゃん!」
「本当は?」
「だって、トンマーゾ・ブシェッタだぜ? 見なきゃ一生後悔する!」
「やっぱり寄り道してたのです!」
「ごめん! すんません! ひとりだけ! ひとりだけです、寄り道したのは!」
「……本当は?」
「クレージー・フィル・レオネッティとジミー・フラティアノも見に行きました」
「むーっ!」
「だから、入れ替えた心の薬室に真心込めて発射! ロリコンを退治します! さあ、少女たちよ、ロリコンはどこに行ったのか、そのかわいらしい指でしめしておくれ!」
「ここです、ここにいるのです!」
「なに言ってんだよ、アレンカ。そんな幼女がロリコンなわけないだろ」
「この子がミミちゃんなのです!」
「失礼ですけど、マドモアゼル。お名前、なんての?」
「ミラ・ジョヴォビッチです」
「ほら。ミミちゃんじゃない、ミラちゃんだ」
「マスター、だまされてるのです!」
「すいません、ジョヴォビッチさん。ロリコンはどっちに行ったか教えてくれませんか?」
「あっちです、あっちに逃げました。わたし、とても怖くて。はやく退治してください」
「まかせてください。不肖、この来栖ミツル、ロリコン討伐には定評があります。じゃ!」
「マスター、行っちゃダメなのです! お馬鹿さんなのです、マスター! ――あう、行ってしまったのです」
「さあ、アレンカちゅわん。邪魔者はいなくなった。ふたりだけの時間、ペロペロして過ごししましょうねー、はあはあ」
「ひーっ、なのですー! マスター、助けてーっ、なのですー!」
そのとき、天井が破れて、来栖ミツルが「呼ばれて飛び出てスットコドッコイ!」と叫びながら降ってきた。
もし、数千年のときが経ち、ラケッティアが世界宗教になっていれば、彼は連邦ビルの天井ではなく、天空界との狭間を断ち割って降ってきたとされ、その背中からは金色の翼が生えていたはずだし、呼ばれて飛び出てスットコドッコイ!も然るべきありがたい言葉に変えられていたはずだ。
聖書掲載クラスの見事な飛び降り方だったので、油断していたミミちゃんは来栖ミツルの下敷きになり、そのまま横に転がると、来栖ミツルと自身のリュックの重みで動きが取れなくなった。
「バカめ、お前みたいなちんちくりんなミラ・ジョヴォビッチがいるか! どうせなら、シャーリー・テンプルと騙るべきだったな!」
「チークショー! あと少しだったのにぃ!」
さっとミミちゃんの上から飛び降りて、アレンカとともに安全圏に逃れると、アレンカは来栖ミツルにしっかりと抱きついた。
「やっぱりマスターは助けに来てくれたのです! マスター大好きなのです!」
本当はここに戻るまでにヘンリー・ヒルを見かけて寄り道したのだが、それは墓場まで持っていく秘密だ。
「さあ、ミミちゃん。おれとアレンカを元の世界に戻してもらおうか」
「ふん。お断りだね。アレンカちゃんとわたしはここで未来永劫ペロペロして暮らすんだ」
「アレンカはそんなの嫌なのです!」
「まあ、待て。アレンカ。おれにはミミちゃんがお前のことを好きなのが分かる。魔法生物として生み出され、体内に無機質な連邦ビルを抱え、来る日も来る日もポーションを吐き続ける毎日。彼女は寂しかったんだよ、アレンカ。でもな、ミミちゃん。幼女を力ずくでひとり占めしても、幼女の心まで奪うことはできない。そんなことをしても、アレンカは喜ばないんだ」
「う、うるさい! お前にわたしのなにが分かる!」
「ミミちゃん。知っているかい? この世界には一人称おれのけなげ敬語系アサシン修行中幼女だっているんだ」
「一人称おれのけなげ敬語――う、うそだ。そんな逸材がいるはずが――」
「なあ、ミミちゃん。この世界はな、お前が考えているよりも、ずっと、ずっと広いんだ。おれはこの広い世界を、新しい時代を一緒に見たい。きみと一緒に。だから――だから、おれたちを外に出してくれないか」
「……わかったよ」
次の瞬間、ふたりは〈殿堂〉の入り口ホールに、ペッと吐き出されていた。
みながホッとして、お互いの肩を叩きあい、些細な出来事は洗い流して、大団円を決め込んだ後、来栖ミツルはくるっとミミちゃんを振り向いた。
来栖ミツルはミミちゃんをそっと撫でて、ありがとうな、と言った。
いま銀貨を入れれば、スロットは来栖ミツルのために7を三つ並べたことだろう。
だが、来栖ミツルは中折れ帽をおさえて、すーっ、とムーンウォークをして、ミミちゃんの攻撃範囲外へ出ると、
「あーっはっはっは! ヴァカめ、ひっかかったな! 誰がお前なんかにヴォンモをペロペロさせるか! お前なんかダンジョンのてっぺんに配置して裏ボスにしてくれる!」
フォンセカが、あっ、まずい、と言った。
え? なにがまずいんだ? と来栖ミツルがたずねたそのときには、ミミちゃんはゴドンゴドンとジャンプして前進し、ジョセフ・ヴァラキ級の裏切り者目がけて〈メガロドン商店〉謹製のヤバい牙を剥き出していたのだった。




