第二十話 ラケッティア、みの付く名前の宿命。
〈殿堂〉で最も高い塔とはすなわち〈学院〉のどこからでも見える塔である。
その塔から下界を覗けば、やつらの慌てぶりが目に入る。
望遠鏡の拡大された視界のなかで〈学院〉の幹部たちとペイショトが口論している。
読唇術の心得はないが、やつらがなにを言い合っているかは分かる。
とっとと、フォンセカとジーナを解放しろと詰め寄っているに違いない。
だが、ペイショトにはそれができない。
だって、いないんだもーん。
おれが救出したんだもーん。
もちろんペイショトはお偉方にふたりはすでにおれたちに奪還されていると真実を言うわけだが、誰も信用しない。
ペイショトとフォンセカの対立は有名だから、ペイショトは〈殿堂〉占拠の一大事にもわがままこいて、フォンセカの出し惜しみをしていると思われる。
なによりペイショトはギャングだ。
お偉方は確かにペイショトの表の名声に敬意を払うが、根っこのところはギャングだと考える。
普段はおべっかで分からないが、危機に直面して認識の差が浮かび上がる。
「黙って公務員やってりゃよかったのだ」
と、言ったのは〈おいぼれイグナシオ〉。
おれが〈殿堂〉を占拠したことで教授職にあった〈おいぼれ〉も人質になったわけだが、おれのしたことにブラボー!と拍手喝采したのは、このじいさんである。
「いいのか? あんた〈学院〉を追い出されるかもしれないよ?」
「追い出されたら〈造船所〉でやぶ医者をして暮らすまでよ」
「ペイショトの後釜に座ったら? 好きなんでしょ、組織犯罪」
〈おいぼれ〉は、天体観測の愛好家が星になりたがるかね? と首を横にふった。
日本にいたころ、小学校のクラスメートに星人と書いて『スターマン』と読まされるきらきらネームがいた。
そいつは出席取るとき先生に星人を『せいと』と呼んでくれと必死こいて拝み倒し、なんとか生きていたのだが、なにも知らない教育実習生が本名の『スターマン』で出欠を取ったがために破滅した。
中学は一緒じゃなかったのだが(スターマンという本名を知られていない遠くの学校で人生やり直したのだ)、高校に上がって間もなく、偶然道でばったり出くわし、スターマンという名前がどうでもよくなるくらいの凛々しい系イケメン剣道部員になっていた。
まあ、おれも下の名前で苦労した口である。
なにせミツルだ。小中高と『みっちゃんみちみち うんこして』を歌われたものだ。
帰納法で考えれば、大学生や社会人になっても『みっちゃんみちみち』を歌われて、老人ホームでも歌われることになる。
だから、あの歌がないこの世界はとても住みやすい。
光安とか光男とか光岡といった名前の異世界転生者がいれば、同じことを思っただろう。
などと、あれこれ考えていたら、隣の塔からズドン!と爆音が響いて、窓から炎が噴き出し、漏電したクリスマスツリーのサンタ人形みたいに燃えながらペイショト配下の暗殺部隊がはるか下の磨き上げた石段へと落ちていく。
「アレンカー! ドカン禁止! ビリビリかカチンコチンで対応ーっ!」
「了解なのでーす!」
人質二百人もいるのに手下を潜入させるそのあっぱれな度胸は誉めてつかわすが、そんなことではどうにもならない。
時間はこちらに味方していて、ペイショトの権威は砂時計のように零れ落ちていく。
学生たち(上は三十歳から下は八歳まで)は大人しい羊の群れみたいにしていて、そのまわりをバケダーノ一家が牧羊犬みたいに油断なく見張っている。
これはいわゆる中二病の妄想『学校がテロリストに占拠!』ってやつで、普段はぐうたらしていて成績も芳しくない主人公が屋上で授業をさぼって昼寝をしていたためテロリストに捕われずに済み、そして普段チャランポランな彼がクラスメートを救うため、テロリスト相手に校内ゲリラ戦を仕掛けるおいしいシチュエーションだ。
一応、屋上も調べておくかと思い、一緒に行こうとジャックを探すと講堂から割と近い石畳の廊下でうつ伏せになっている。
ついにファンタジー異世界にもシエスタ導入かと思ったが、ジャックは起きていて、どうも地下からきこえるツルハシらしき物音に耳を澄ましているらしい。
「ペイショトの子分どもかな?」
「分からない。だが、一応用心はしておく」
ジャックは起き上がると、音のする床のすぐそばで膝立ちになり、短剣を抜いて、すぐ手に取れる位置に寝かせると、両手の指のあいだに投げナイフを左三本、右二本の合計五本挟んで、臨戦態勢を整えた。
すると、床から、いい加減にヤスリをかけたツルハシの先端がいきがったタケノコみたいに飛び出した。
濃厚なチェコレートの香りがぱあっと花開き、床下から鉄兜をかぶり大きなリュックを背負い込んだルイシーナがあらわれ、たまたま通りがかったから、と言って、大量のチェコレートを置いて去っていった――べ、べつにあんたのためじゃないんだからね!と百点満点のツンデレな台詞を言い残して。
「まあ、ともあれ、栄養満点の食料が手に入った。籠城もこれで楽になる」
「この穴はどうする?」
「そのままにしておけばいいんじゃないか? またルイシーナがたまたま通りがかって、チェコレートを持ってきてくれるかもしれないし」
リュックいっぱいのチェコレートを講堂に持ち込み、人質に配る。
学生たちがチェコレートのありがたさをしみじみと感じ、ルイシーナの店に客が増えれば、貸し借りなしといったところ。
それから講堂の四階にある会議室に行き、そのベランダに立つ。
眼下にはもとは本屋や居酒屋だった民兵たちがいて、ペイショトがいて、〈学院〉の最高幹部たちがいる。
そのうちのひとり、学院長を名乗るじいさんが交渉がしたいと言ってきた。
条件は金貨一万枚とおれたちが出国するまでの安全の保証。
「だめだー、フォンセカとジーナを連れてこーい! ペイショトにふたりを解放するよう伝えろー!」
「ペイショトはきみがすでに奪還したと言っているぞー!」
「うそだー! ペイショトにふたりを解放するように伝えろー! さもないと、ひどいよー!」
うひゃひゃひゃ。バカめ。ドツボにハマりやがった。
ペイショトは失脚。縄張りはバケダーノ。
フォンセカとジーナがベンダー・ミミックを製造し、〈学院〉はクルス・ファミリーの自動販売ビジネスの支部になる。
ベンダー・ミミックは文字通りファンタジー中世の世界経済に牙を剥くのだ、わははははー。
ボスの高笑いに誘われたのかジャックが会議室にやってきた。
「オーナー。フォンセカとジーナが――」
「おっ。ペイショトのやつ、早速泣きついてきたか?」
「食べられたみたいなんだ」
「……誰に?」
「ミミちゃんに」
「誰が?」
「フォンセカとジーナ」
「誰に?」
「ミミちゃんに。オーナー、現実を直視してくれ。フォンセカとジーナが部屋から消えた。骨一本残して。そして、そこにはミミちゃんがいた。つまり、ふたりはミミちゃんの腹のなかだ」




