第十八話 ラケッティア、ミツルの箱。
場所さえ分かれば、ふたりを救出するのは簡単だった。
「オラオラぁ! 食っちまうぞぉ!」
台車に乗ったミミちゃんの前に敵なし。
小型のドラゴンくらいまでなら、チロルチョコみたいにひと口で終了。
難しいのは一度救出したふたりをまた箱に閉じ込めることだった。
「出せーっ!」
内側からバンバンと木箱を叩く音がするのに対し、おれは本当に申し訳なさそうに、
「いや、すごいいいこと思いついちゃって。で、それを実行に移すにはあんたたちふたりが自由になった姿を誰かに目撃されるわけにはいかんのよ」
ジーナの家に戻り、例の大男が閉じ込めてある地下室に箱を下ろすと、おれはその足で〈おいぼれイグナシオ〉がヤサにしている〈造船所〉の無許可医院へと向かい、ちょうど顔をズタズタにされたヒモの傷を縫っていた〈おいぼれ〉に例の講演の話を受けることを伝えた。
「そいつはいい。後悔はさせんよ」
と、〈おいぼれ〉は言いながら、ヒモ野郎の目のすぐ下の傷を乱暴に縫った。
きいた話では、このヒモ野郎は結婚詐欺師で、女をだまして貢がせるのが本業なのだが、だましている女三人がカミソリ片手に一堂に会してしまった
ヒモの女性力学によると、二股なら「あんたがわたしのタカシをたぶらかしたのねぇ!」「それはこっちのセリフよ、このスベタ!」といった具合に女同士が争うが、三人以上が集まると悪いのはタカシだと知れて、こっちに襲いかかるのだそうだ。
そして、女たちはカミソリを使い、実に〈造船所〉らしいやり方でヒモ野郎を廃業に追い込んだ。
これからは恐喝業に勤しむそうだが、目方が足りないので体を鍛えないとうまくいかないだろう。
――†――†――†――
翌日、おれは中折れ帽に似た帽子をかぶって、〈殿堂〉へと出かけた。
アレンカとジャック、それにミミちゃんとフォンセカとジーナが入れてある箱である。
「そいつはなんだ?」
と、殿堂の門番がたずねた。
「こいつはベンダー・ミミックのミミちゃんだ」
「そっちじゃない。こっちの箱だ」
「箱?」
「ガタガタ動いてるし、出せ、って言っている声もきこえるぞ」
「これはパンドラの箱だよ」
「パンドラの箱?」
「おれのいた世界――じゃなくて、そのおれがいた国にはこの世の邪悪なもの全てを詰めた箱のことをパンドラの箱って言うんだ」
「そりゃ方言か?」
「方言?」
「つまり、邪悪なものをパンドラって呼ぶのが、お前の国の方言なのかって」
「ああ。違う違う。パンドラってのはビッチの名前だよ。箱自体には名前はない。ただ、悪いものが入ってる箱だ。パンドラってビッチはこの箱は絶対開けちゃいけないって言われてたのにあけちまうんだよ。そうしたら、ありとあらゆる邪悪なものが飛び出して、世界中に広がっていったんだ」
「とんでもねえビッチだな」
「でしょ?」
「戦争とか疫病とかも飛び出したのか?」
「もちろん」
「おととい、おれの家のガラス窓に石を投げた馬鹿がいるが、そういうのも、そのパンドラってビッチが箱を開けたせいか?」
「たぶんね」
「世界は終わったも同然だな」
「ところが、箱にはちいさな希望が入っていたんだ」
「それで?」
「いや、それでどうしたってもんでもないんだけど」
「戦争や疫病が蔓延したのにちっぽけな希望ごときじゃどうしようもないだろうが」
「同感です。まあ、とにかくそんな箱なもんで中身をお見せするわけにはいかんのよ。だって、開けたりしたら――ええと、お名前うかがっても?」
「フリオ・ボダだ」
「もし、あんたが門番の責務を果たすべく、この箱を開けたりしたら、悪いものが世界中に飛び散って、そんでもって、この箱の名前はフリオ・ボダの箱になっちまう。それじゃ困るでしょ?」
「困るな」
「だから、こちらとしてはこのまま通してもらうしかないのです」
「わかった、わかった。通っていいぞ」
忠実だが若干頭の弱い門番フリオ・ボダが話の矛盾に気づく前に、ささっと門を抜ける。
しかし、〈殿堂〉とはよく言ったものだ。
白い塔、青銅の丸屋根、学者たちの石像。
白い石灰質の選民意識が学問にこびりついている。
その石灰まみれの扉がいま、ひとりの真っ当なラケッティアに開かれようとしている。
……もし、この〈殿堂〉をひとりの真っ当なラケッティアが占拠したら、どんな騒ぎが持ち上がるだろう?
それこそパンドラの箱を開けたみたいな大騒ぎだ、けけけ。




