第二話 ラケッティア、旅の恥がかき捨てられない。
クラスメートに杉茂木というやつがいて、こいつは心に浮かんだ疑問を口から垂れ流しにする男だったのだが、そいつがおれに「カナダとケニアの国歌の名前はなんだろう?」ときいてきた。
おれは別に国歌に詳しい男ではなかったが、心に浮かんだデタラメを口から垂れ流す男だったので、「カナダの国歌は『オー、カナダ』。ケニアの国歌は『オー、ケニア』だ」と教えてやると杉茂木はとても満足して、その日の早弁を敢行したのだった。
カナダの国歌が『オー、カナダ』なのは事実だったが、ケニアの国歌については頭に思いついた題名を垂れ流しただけだ。
その後、気になったので調べてみたら、ケニア国歌は『オー、万物の神よ』だった。
オー、までは合ってた。奇跡!
しかし、ケニアとは志の高い国だ。
ケニアよりもずっとデカい国であるカナダは自分の国土を讃えるのが精いっぱいなのに、カナダよりもずっと小さいケニアは尊敬対象を宇宙にまで拡大し、ちっぽけなおいらたち人間が讃えられるなかでも最大のものを精いっぱい讃えたのだ。
こんな話をしたのは〈学院〉という島国が杉茂木の集合体みたいな国だからだ。
ここにいる人間は常になにか疑問を持っていて、それを口から垂れ流す。
そして、その疑問に対してこたえを見つけることを国是としているのだ。
おれが桟橋に降りたとき、二人の港湾労働者が渡し板の上で樽を転がして艀に積みながら、『生まれつき赤が緑、緑が赤に見える男に本当の赤と本当の緑を教える方法』について真剣に話し合っていたのだ。
これは知覚の根本を問う問題だ。
そもそも『緑が赤、赤が緑に見える人間』は自分の色覚が他人と違うことに気づくこともないだろう。
そのうち本当の赤、本当の緑とはなにかと問い始めたが、ふたりとも樽をうっかり海に落とすことはなく、きちんと仕事はやり遂げた。
ここでは万事がこの調子だから、校歌は(すなわちそれは国歌なのだが)『オー、知識よ』だった。
――†――†――†――
魔法使いと本屋が集まるトンガリ帽子通りで早速アレンカが迷子になった。
そこいらじゅう、学者と学生だらけで屋台が果物のかわりに本を積むような街なので、どうもカラヴァルヴァとは勝手が違う。
まっすぐ歩いてるつもりがジグザグに進んでいたり、物売りの声が本当に目の前に来るまで気づかなかったり。
ジャックとふたりでしばらく探していたら、ヘンテコな生き物がやってきた。
たとえるなら眠そうなカモノハシ。水かきのかわりに肉球がついている。
体長五十センチ足らずのカモノハシもどきは道の脇にあるオベリスクみたいな台形の石材を上り始めた。
この台形の石、高さ二メートルくらいで街のあちこちで見つかるのだが、いったいなんなんだろう? と思っていた。どうやら、こいつが登るためにつくられていたらしい。
よく見ると、小さな穴が開いていて、そこに肉球の手足を引っかけて、のそのそ登る姿はもふもふほどではないが、かわいい。
だが、少し考えるとおかしい。
台形の石はこやつが登るためにつくられたとして、こやつはなんで登るのだ?
そこに台があるからだ。
とはある登山家のパロディだ。
中学のとき一緒だった柏木というやつがいたが、こいつは人の夢を壊すのが三度のメシより好きな男で、幼稚園児だったころ、サンタはいないと吹聴して園を追放されたことのある前科持ちなのだが、そいつが元ネタの名言『そこに山があるからだ』がどんな環境で言われたものなのか教えてくれた。
柏木曰く、
【記 者】「ねえ、なんで山に登るんですか?」
【登山家】「(うるせえなあ)」
【記 者】「ねえ、なんでですか、なんでですか?」
【登山家】「(山登るのにいちいち理由なんか考えねえよ、どっか行け、ボケ)」
【記 者】「ねえねえねえ、なんでですかなんでですかなんでなんでなんで」
【登山家】「そこに山があるからだよ!」
ちなみにサンタが実在しないとおれに教えたのもこの柏木だ。
――ん? お前、柏木と一緒だったのは中学のときだって言ったろ、って?
ええ、そうですよ。
中一までサンタ信じてました。
その年はゴッドファーザーのブルーレイBOXをサンタにお願いしました。
それが、なにか?
それがなにかあなたに迷惑かけました?
いつですか? 何年何月何日何時何分何曜日?
「オーナー、落ち着け。こっちに戻ってきてくれ」
「あれ、ジャック。おれ、口に出してた?」
「ああ。それより、ほら」
見ると、カモノハシもどきはオベリスクもどきのてっぺんにいた。
これからなにがおっぱじまるのだろう?
ただ、そう期待しているのは、どうもおれたちだけだ。
カモノハシもどきのカモみたいなクチバシがぱかっと開く。すると――、
「迷子のお知らせです! 迷子のお知らせです! ロンドネ王国カラヴァルヴァよりお越しの来栖ミツルさま! 製本職人ギルド前にてアレンカさまがお待ちです! 繰り返します! 迷子のお知らせです!――」
迷子ネタのお約束だが、いざ自分がその対象となると、その屈辱は半端ない。
街で見かけたオベリスクの数だけ、カモノハシ・メガホンが来栖ミツルの迷子のお知らせをこの穢れのない世界に向かってぶっ放していることを考えると、なんていうか、死にたい。
「むー、マスターは仕方がないのです。アレンカがしっかりしてみてあげないといけないのです」
迷子というのは多数決の原理が通用しないらしい。でも、かわいいから許す。
四つの噴水に囲まれて、本棚の壁だらけの建物には自分の研究結果を革装丁してもらおうとしている人々でいっぱいだった。
〈学院〉ではなにも本を書くのは学者に限った話ではなく、職人や行商人もたくさんいる。
頭のなかに詰まったものを外に出さないと破裂するとでも思っているのか、ここの住民はなんでもかんでも書き散らすらしい。
紙屋は大儲けだ。売りに出ている紙漉き場があるなら購入を考えてもいいかもしれない。
ともあれ三人勢ぞろいしたのでリグベルト・フォンセカの家を目指すことにした。
フォンセカはここでは結構知られた顔らしい。
道行く人にたずねてみると、すぐに家を教えてくれた。
「フォンセカ先生の家はあそこです」
「あそこって――前庭に死体が転がってるあの家?」
「きれいな家でしょう?」
「家はきれいだけどさ、でも――」
「それに庭もよく手入れされている」
「手入れされてるけど、でも、あそこに転がってるのは死体だよね?」
「ああ。死体だね。スケルトンになる予定はなさそうだ。ロンドネのサラザルガではスケルトンが大量発生したらしいけど」
「あ、おれ、その現場にいました」
「ほー。それは貴重な体験をしましたな。では」
「あ、ちょっと待って! あの死体、なんかヤバい感じがする!」
死体ならサラザルガでさんざん見た。
だが、ユリの花咲き乱れる庭園に剣士らしき死体がうつ伏せに倒れている庭ほどゾッとしたものはなかった。
ジャックは死体を軽く蹴って死んでいることを確認すると、死体をひっくり返した。
見れば、袈裟懸けにばっさりやられている。
そのとき、ドアが蹴飛ばされてバタンと大きな音を鳴らして開き、剣を持った男が飛び出してきた。
その剣技が優れていることはジャックがその斬撃をギリギリのところで短剣で受け止め、素早くバックステップを踏むジャックに二の太刀を浴びせかけたところで十二分に分かった。
「ひとりやられただけでは足りないと見えるな! ペイショト博士に伝えたまえ! 今度来るときはゴーレムでも連れてこいとな!」
間違いない。
この剣士こそ、死体の転がったユリの花の庭の主、リグベルト・フォンセカその人だった。




