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ラケッティア! ~異世界ゴッドファーザー繁盛記~  作者: 実茂 譲
リュデンゲルツ地方 クルスの八百長ダンジョン編
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第十一話 騎士判事補、旅の供。

「兄を、探しているんです」


 少女は言った。

 儚げな少女だった。体が弱いのだろう、睫毛の長い美しい碧眼を伏せ気味にして、ときどきコンコンと咳をする。


「お兄さんを?」


 ロランドは剣を鞘に納めると、落ちていた弓を拾い、少女に渡した。


「ありがとうございます」


 軽く下げた頭に青と白の羽根飾りが揺れる。


 簡素な青いドレスの上に黒い胴衣を締め、長い金髪を結った紐には弓術士きゅうじゅつしたちが好んでつける青と白の羽根を結びつけてある。


 弓術士とは魔法を使う弓使いであり、弓を使う魔法剣士とでも考えるのがはやい。

 強い弓をひく力がなくとも、魔法が矢に力を与え、一本の矢が空中で十本の矢となって降りかかる。


 聖院騎士団のなかにも弓術士と名乗るだけの力量のあるものがいるが、そもそも騎士というのは弓やその他飛び道具を使うことを嫌うので、そう数は多くない。


 弓術士自体、数が少ないのだ。

 弓術と魔法の両方を修養する途中で、だいたいのものはどちらかに自身の適性を見出し、魔法使いか弓使いになる。


 二つの技術を辛抱強く鍛錬したものだけが、弓術士と名乗れるのだ。


 少女の弓小手やブーツを見ると、使い込まれた革らしい色あせや擦り切れ、皺がいくらでも見つかる。

 病弱ながらも兄を探すための旅の道をこのブーツで稼ぎ、弓でもって窮地を脱したことは一度や二度ではないということだ。


「宿はどこだい? よければ、送ろう」


 少女に乱暴を働こうとした暴漢たちはロランドに剣の腹でしたたかに打ち据えられて、とっくに逃げていた。


 とはいえ、このあたりはガンヴィルでも物騒な場所だ。

 いくら弓術士とはいえども、咳が止まらなければ、弓の狙いは定まらないし、苦しげな呼吸では精神を集中して、己が魔力を矢に託すことができない。

 それどころか消耗の程度によっては命も失うだろう。


 少女も旅慣れていたので、そのあたりの判断ができないわけではない。

 気恥ずかしそうではあったが、ロランドに同道を頼んだ。


 ガンヴィルの市内を走る街道まで来れば、少女の泊まる宿まであと少しだった。


 街道沿いに宿屋や旅籠が鋳鉄製の看板をひっさげ、昼ごろになると、小僧や給仕娘が外に出て、呼びこみが盛んになる。


「ふかふかのベッドに朝と夕の食事つき! 一泊たったの銀貨八枚だよお!」

「カレイのムニエル! うちのムニエルはバターたっぷりだ!」

「素泊まり銀貨一枚から!」

「ガンヴィル一うまいローストチキンはいかがぁ!」


 客引きとそれに足を止めている旅人をよけて歩きながら、ロランドはたずねる。


「どうして、あんな物騒なところに一人で?」


「あるダンジョンのことをききたくて。冒険者たちが集まる宿があの近くにあったのです」


「驚いたな。きみはダンジョンにも潜るのかい?」


「はい。弓術士としての修業には探索や斥候としての技量を磨くものがありますから」


「そうまでして会いたい。きみの兄さんは幸せ者だな」


「それ以上にわたしは幸せです。あんなに素晴らしいお方が血を分けた兄なのですから。お兄さまは容姿端麗、頭脳明晰で、どんなときでも沈着冷静でいて、その眼差しは氷のように鋭い知性を宿しているのに、その瞳の奥に秘められた愛は途方もなく温かくて、読書家で、信仰心に篤く、剣を握れば強くて凛々しくて、魔法への知識も深く、ちょっと体が細いのですけど、それが守ってあげたいという母性をくすぐられて、ああ、でも、そんなお兄さまに守られたいとも考えてしまいだすと、幸せすぎて、何がどうなってるのか、分からなくなってしまうのです。お分かりいただけました?」


「え? う、うん。よく分かったよ」


「世の女性全てはお兄さまみたいな兄を持つべきなのです。だって、お兄さまは――」


「あ、宿についたみたいだよ」


 少女が早口でまくしたてんとするお兄さま叙事詩の大洪水を、すんでのところでせき止める。

 宿屋の玄関の石段を踏むとき、少女はくるりとふり返って、恥ずかしそうに笑った。


「そういえば、お名前をうかがっていませんでした。助けていただいたのに無礼でしたね」


「いや。そんなことないよ。おれはロランド。きみは?」


「エレット。エレット・ロクデュアです」


「エレット。素敵な名前だ。お兄さん、すぐにでも会えるといいね」


「はい。いろいろとありがとうございました」


     ――†――†――†――


 翌日の朝。胸騒ぎがした。


 ダンジョン景気で盛り上がっているガンヴィルでクルスについてたずねて歩き、オークション・ハウスでクルスに関することをきこうとして、門前払いを食らったころにはもう日は空を渡って西の山の後ろへ沈もうとしていた。


 クルスに関する足跡が途切れているのに、焦りは別のところから出ている。


 城門が閉じ、消灯を唱える夜警の声が上がり始めたころ、ロランドはエレットの逗留している宿屋の戸を叩いた。


 人のよさそうな女将が洗い物の途中だったのだろう、エプロンで手を拭きながら、出てきて、ロランドをなかに通した。


「昨日、弓使いの女の子を連れてきた子だね?」


「彼女、今、会えますか?」


 女将は首をふった。


「無理なんだよ。なんでも、病気の発作が出て、寝込んでる」


「医者は?」


「消灯の鐘が鳴ったから店じまいしてるよ。あの子も明日まで寝込めば大丈夫だって言ってたし」


「様子を見ても、いいですか?」


「女の子が一人で泊まってる部屋に入るっていうの?」


 女将が訝しげな顔をして、自分がかなり立ち入ったことを言っていることに今更、気がついた。


(でも――)


 客室へ通ずる階段が女将の広い体の向こうにある。


 その先でエレットが一人、ベッドで苦しげに息をしていることを思うと、胸がかきむしられるように辛かった。


「お願いです。もちろん女将さんも立ち会ってくださってもいいし、お礼なら払います」


 銀貨を入れた皮袋を取り出そうとして、女将は手をふった。


「ついておいで」


 エレットの部屋は二階の廊下の奥にあった。

 南向きに切った窓が二つある簡素だが清潔な部屋で、窓のすぐ下のベッドでエレットの、薄く開いた青い眼がうつろに天井を見つめていた。


 エレットの胸は遠くから見ても分かるほど激しく上下していて、熱で上気した肌に玉のような汗が浮いている。


 女将の狼狽で容体が先ほどよりもひどくなっていることを察する。


 ロランドの行動は早かった。


 ポケットから一分用の砂時計を出して、エレットの手首を軽く握って、脈を取る。


 脈は弱く、短い。


 そばに水を張った洗面器を置いた小さなテーブルを見つけ、そのテーブルの鉤からぶらさがった革の小さなカバンを開ける。


 普段から服用していると思われる薬が見つかった。


 解熱剤。それにお湯に溶かして蒸気を吸う鎮咳の散薬。

 だが、発作的な熱による呼吸困難を癒す薬がない。


「すいません、女将さん。書くものを借りたいんだけど」


 女将からもらった羊皮紙の切れ端に、とりあえず、応急ではあるが、必要な材料を書き足していく。


「あんた、薬剤師かい?」


「いや。でも、基礎的な薬学を学んだことがある」


 メモを終えると、ロランドは女将に自分が戻るまで、エレットの様子を看てもらえないかと頼む。


 ロランドは鉄の小さなランタンに火を入れると、もうすっかり闇に沈んだ夜の街路へ飛び出した。


 もう、薬種商も薬剤師も店じまいをしているし、医者も夜道の往診をしたいとは思わないだろう。


 となると、行くべき場所は一つしかない


     ――†――†――†――


 公立取引所の真向かいにある城砦で野戦装備の門番騎士に制止される。


「ここより先は聖院騎士団の領域だ。夜間の通行は禁止されている」


 ロランドは襟の内側から細い鎖をつまんで、大聖院の刻印が打たれたメダルを出して、ランタンのそばで掲げてみせた。


「聖院騎士団騎士裁判所判事補、ロランド・リンクヴィスト。火急の用件があって、支部に入りたい」


「騎士の誓約によって結ばれし兄弟リンクヴィストよ。門は汝のために開かれる」


 跳ね上げ式の橋が鎖のがちゃつく音を鳴らしながら、降りてくる。


 橋が降りるや否や、もどかしさでいっぱいだったロランドは飛ぶように城砦の敷地へ入った。


 聖院騎士団の支部には襲撃や籠城などの非常時に備え、薬の知識があるものが最低一人住み着くことになっている。


 薬草園のある裏手へまわり、薬剤師の家へ急ぐ。

 

 ノッカーをつかんで三度打つ。扉が開くと、ミント剤の香りが流れ出した。


 現れたのは、年配の騎士だった。夜中の訪問にもかかわらず、自分の義務を心得たベテランらしく文句ひとつ言わず、処方箋を求めた。

 ロランドが羊皮紙の切れ端を渡すと、薬剤師はガラス玉みたいなレンズの眼鏡を鷲鼻に乗せて材料を読んだ。


「メネドネス草。眠り香。翠玉花の種。聖トマスの胡椒。――労咳ろうがいか?」


「ああ」


 薬剤師は立ち上がると、壁一面を埋めた小さな引き出し一つ一つに手燭をかざし、必要な材料を集めると、乳鉢ですりつぶし、取っ手のついた大きなガラス壜から透明な液体を測りとり、薬剤に加えた。


「それは?」


「聖別された酒精だ。粉のままよりは水薬にしたほうが飲みやすいだろう」


「すまない」


「これも使命だ。聖院の兄弟よ。その子は美人なのか?」


「えっ!」


「こんな夜中にきみのような若い騎士が薬剤師のもとへ駆けつけるのだ。で、美人なのか?」


「そ、それは――」


「こたえんでいい。その反応で分かる。この鎮咳薬を持っていけ。これで熱は引いて呼吸も楽になるだろう。ただし、かなり強い薬だから、一日に小さじ一杯以上与えてはいけない。わかったね?」


「はい」


「じゃあ、こんなところでぐずぐずしてる法はない。さあ、いった、いった」


     ――†――†――†――


 薬で少し楽になったようだった。

 うつろに虚空を眺めていた目もまぶたを閉じて、呼吸はうちに籠るように落ち着き、今は静かに寝息を立てている。


 薬をさじで口元に運んだとき、その華奢な手がロランドの手を弱々しく握っていた。


 今もその手は握らせたままで、ロランドは枕元に寄せた椅子に座っている。


 ときどき、エレットがつぶやく。


「お兄、さま……」


 手伝おうと簡単に言うことはできない。

 自分にはクルスを追うという使命がある。


(でも――)


 このまま一人で旅を続ければ、エレットはそう遠くない未来、命を落とす。


「くそっ」


 目の前の困っている人を救えずに何が騎士か。


 ロランドは決めた。


 エレットの兄探しを手伝う。


 そして、こんなに妹を心配させたバカ兄貴を一発ぶん殴ってやる。

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