第二十七話 騎士判事補、葛藤。
河岸通りの並木からロランドはロウルとともにクルス・ファミリーの恐喝軍団の働きぶりを見ていた。
「あの、男を川に蹴り落とそうとしているやつもクルス・ファミリーのメンバーなのか?」
「ああ。よく警吏と揉め事を起こす。行こうぜ。雨が降りそうだ」
商会の殺し屋や警吏の巡回をしのぐため、路地に入り、狭く短い道をいくつも足でつなげていく。
いまにも底が破れそうな雨雲が分厚く垂れこめ、路上の商人は商品を片づけ、通行人も足早に通り過ぎていく。
「本当に行くのか?」
ロランドが問うと、ロウルはうなずいた。
「来栖ミツルを見てみたい」
来栖ミツルはロランドの顔を知っている。
いまやっていることはこれまでの潜入捜査をぶち壊すだけでなくロランドの命も危うくするものだ。
ひとりで行け、というべきだったが、ロランドもこのグリードを巡る戦争のなか、来栖ミツルがどんなふうに過ごしているか、興味はあった。
好奇心は猫を殺したりしないが、潜入捜査官を殺すかもしれない。
雲のなかの水が重さに負け、空はますます暗くなる。
ロランドは突然、横道から飛び出してきた少年にぶつかられた。
頭に派手なバンダナを巻いていて、謝りもせずにそのまま走り去ろうとする少年をロランドがとっつかまえようとするが、少年はするりとその手を逃れて、路地の角を曲がって逃げ去った。
「クソガキ! どこに目つけてやがる! ――あ! くそ、やられた! 財布をすられた!」
「ほっとけ。それより〈ちびのニコラス〉だ。ほら」
食堂が通りをまたぐ二つの棟からなる大きな旅籠のような建物が見えた。
一階には〈モビィ・ディック〉という名の酒場があり、ファミリーのメンバーがよく目撃される。
来栖ミツルはその酒場にいた。
道に背を向けてカウンターでバーテンダーを相手になにか話しているようだった。
「あれか?」
「ああ。もう見ただろ? 帰ろうぜ」
滝のような雨が突然降り出した。
あっという間にずぶ濡れになり、ロウルはロランドの手を引っぱって、そのまま二人で〈ちびのニコラス〉の扉を開いてしまった。
ドアについていた鈴がちりんと鳴った。
〈ちびのニコラス〉に入るのは初めてだった。
昔、旅籠だったころのカウンターが左手の奥にあり、右手の大部屋はカウンターとテーブルが六つ、それにビリヤード台がある酒場になっている。
一瞬、〈モビィ・ディック〉のカウンターにいた二人がふりむいた。
ロウルも自分も剣を下げていたし、いまカラヴァルヴァは抗争の真っただ中にいる。
警戒するかと思ったが、来栖ミツルはすぐカウンターにいるバーテンダーに向き直り、話の続きをした。
よくききとれなかったが、来栖ミツルはカウンターの上にある一枚のカードを何度も指差し、
「とにかく覚えがない。この絵、まだ流通はしてないだろうな?」
「ああ。だけど、オーナー、これ――?」
「だから、こんなかっこした覚えないって!」
「でも、記憶が飛んでいるんだろ?」
「うん。アレサンドロにきいたら、アサシン娘たちがグレートバリアリーフみたいに真っ青なパンケーキを三枚持ってったってさ。使用用途は知らないけどさ」
「オーナーに食べさせたんだろう」
「とにかくおれはこんなの知らないからな」
「ディアナは売ると思うか?」
ディアナ、ときいたとき、ロウルは思わず息を呑んだ。
それをきいて、カウンターの二人はまたロランドたちのほうを向いた。
だが、すぐに話に戻り、
「売られてたまるか、こんなもの」
「ディアナに直談判しに行けばいい」
「でもさ、さっきも言った通り、記憶がないんだよ。いつの間にかヨシュアも大人しくなってるし、なんてゆーか、真実を知るのが怖いな。でも、一番怖いのはこれを買ったやつがいるかもしれないってことだ。こんな絵で発情するとか怖すぎだろ」
「なんとも言えないな――それより、そこの二人。なにか用か?」
ロウルがこたえた。
「大雨に降られた。止むまでいていいか?」
バーテンダーは来栖ミツルのほうを向き、来栖ミツルは「まあ、いいんじゃね?」とうなずいた。
ロランドはビリヤード台のほうに近づき、顔を見られないよう背を向けた。
一方、ロウルはカウンターのほうへ。
来栖ミツルが、よお、と挨拶する。
「兄ちゃん、どこの人?」
「セヴェリノだ」
「ついてねえなあ。この一週間、ギラギラに晴れてたのに」
「もともとはリアーリャの親戚に会いにいく途中なんだが」
「はやく出てったほうがいいよ。いま、この街は最低最悪、ヤク中どもの殺し合い最高潮なんだ。あんたらみたいに剣を下げてると、間違えられて襲われることだってある」
「でも、この雨じゃ道もぬかるみだ。苦労させられる」
「うちに泊まってくか? 部屋なら空いてる」
「こんな立派な旅籠の代金は払えない」
「ただでいいって。どうせ空き部屋だ」
「不安じゃないのか? おれたちみたいなよそ者を引き込んで」
「あんたらは悪いやつらじゃなさそうだ。あっちのビリヤード台見てる兄ちゃんはダチかなにかかい?」
「従弟だ」
「へえ、そうか。ジャック、二人になんか適当にボトル・カクテル出してやってくれ」
「ああ」
雨が上がり、礼を言って、〈ちびのニコラス〉を後にしたとき、ロランドはへたり込むほどの安堵を感じた。
重苦しい雨雲は夕光に映え、水たまりに美しい影を落とした。
路地を川のほうへと歩いているあいだ、ロウルが頭の後ろを掻きながら、
「無茶に付き合わせてすまない」
「いいよ。おれも面白いものが見れた」
「考えたよりもいいやつだったな。来栖ミツル」
「……」
「どうかしたか?」
「あの爆弾、あんたが命令したことなのか?」
「……いや。だが、そんなこと巷のやつらは信じない」
「おれは信じる」
「ふっ……そうか」
「だからといって、おれのことを信じてくれというつもりはない」
「どうして信じちゃいけないんだ」
それは裏切っているからだ。
ロランドは迷った。ロウルに情が移り過ぎていた。
それでもロランドは聖院騎士だ。義務は果たさなければならない。
だから、財布がわりの革袋をわざとすらせた。
事前に決めていた連絡手段で革袋のなかにはロウルが骸騎士団の団長であることが記されている。
今夜の遅くにも、ロウルは逮捕されるだろう。
だが、ロランドが見る限り、ロウルはこの抗争を生き残れるだけの強かさに欠けていた。
聖院騎士が身柄を押さえれば、少なくとも命だけは助かる。
……それは欺瞞だ。
ロウルは裁判になれば、あの爆発事件の首謀者として絞首刑にされる。
たとえ死罪を逃れても、監獄には各商会の息のかかった看守や囚人がいる。
ロウルはすぐに殺されるだろう。
犯罪者なのだから、当然の罰だ、と言い切るだけの強かさが自分にはない。
増水した川を避けて、グラマンザ橋で対岸へ渡る。
グラン・バザールのなかには誰もいなかった。
時間も遅いし、大雨の後だ。客は来ないので、店はみな閉じていた。
がらんとした大通りにフードをかぶった不審な男が立っているのを見て、ロランドは剣を抜いた。
男はフードの端をつかむと、そのまま後ろに流した。
鳶色の長い髪が現れる。
「クラウディア、なにを――」
「ロウルくん、黙ってきいて。ここにある金貨で急いで国を出て。やつらはあなたを殺すつもりよ」
「なに?」
「パブロ・ケレルマンが商会を裏切って、トレボールについた。トレボールはそれを吹聴してまわってる。その後で、わたしを会合に呼んだ」
「じゃあ、あんたを殺す気だ」
「そうかもしれない。でも、時間は稼げる。そのあいだにあなたは逃げて。アーロン、あなたはロウルについていてあげて。そして、約束して。どんなことがあっても死なせないで――うぐ!」
ロウルの拳が脾腹にめり込み、意識を失って倒れかけたクラウディアを抱きかかえ、そばの店のカウンターの上に横にさせる。
「アーロン。そのカネで逃げてくれ。彼女を頼む。おれは行く」
「ケレルマン商会か?」
「そこにやつらがいる確率は五分五分だ。パブロ・ケレルマンだけしかいないかもしれないし、誰もいないかもしれない。だが、おれが出れば、時間稼ぎになる。いいか、ティレンナ島に行け。そこに仲間がいる。本物の仲間だ。これを島の連中にこれを見せろ。頼むぞ」
ロウルが去った後、手を開いた。
渡されたのは首飾りだった。結ばれているのは半ば炭になりかけた小さな木の切れ端。
ロランドは走った。
聖院騎士団支部。アストリットとイヴリーがいる。
ケレルマン商会。もしかしたら間に合うかもしれない。
助けてやれるかもしれない。




