第二十二話 ラケッティア、大事な初めて……のシノギ。
むしろレシピを与える側だった。
ドン・モデストの屋敷の飲み物係はウォッカでテキーラを割ったようなもんを出して、カクテルですとのたまうようなクラッシャーだったので、ジャック来栖は晩餐会場のミニ・バーに入り込んで、本物のカクテルというものがどういうものなのか教えていた。
こんなこともあろうかと持参してきたボストン・シェイカーにアプリコット・ブランデーとレモン・コーディアル、それにカレイラトスの軽めのホワイト・ラムを注いでクルミ大の氷を三つ入れると、シェイクする。
この夏を乗り切る冷たいショート・カクテルが聖堂参事会員の若い妻のグラスに注がれる。
相手の人妻は酒を口につける前から、ぽうっとした顔をしている。
「……なあ、ジャック」
「どうしたんだ? オーナー」
「ツィーヌのやつ、おれの顔、実物よりもイケメンに仕上げてない?」
ジャック来栖はそばにあった銀のトレイで自分の顔を見た。
「いつものオーナーの顔だが」
いや、そんなわけない。
ジャック来栖がすごくイケメンに見える。
外殻の素材は一緒なのになんで?
そりゃお前の心がイケメンじゃないからだって言う向きもあるだろう。
イケメンとは心のなかから染み出すものなのだ、とかもったいぶったことも言われるだろう。
ふん! 別にいいもん!
おれ、ラケッティアだもん! イケメンじゃないもん!
清らかな心なんぞくそくらえよ!
そんなこと言うやつはナンバーズと人狼ゲームのテラ銭に溺れて死んじまえ!
「ドン・ヴィンチェンゾ。こちらへどうぞ」
「いくぞ、ジャック――じゃなくて、来栖ミツル」
小麦粉かけたカツラをかぶった気取った召使の後をついていく。
デカいシャンデリアから黄色い光が降り注ぐホールは二つに分かれていて、その分かれ目のアーチの上にオーケストラが演奏するための席がある。
あの位置に演奏家があるだけでホールにまんべんなく音楽が行き渡る仕組みだ。
そのホールは一見嵌め木板の床に見える石材が敷き詰められてあって、ステップきめるたびに舞踏用の靴が小気味よくカチカチと鳴る。
そんなホールにいっぱいの人間が食べ、飲み、踊り、グリードをやる。
レリャ=レイエス商会統領の暮らしぶりは完全に王侯貴族の暮らしだ。
ドン・モデスト・レリャ=レイエスはカネで貴族の家系図を買い取って、その実りある樹のなかに無理やり自分の名前を押し込んでいるが、実際のところ、ドン・モデストは博奕狂いの石職人の家に生まれた。
聖人像を彫って、その御利益が消えないうちにとサイコロころがしにいき、報酬を全部使いきっちまうダメな親父だったらしいが、幼いモデスト少年は気づいた。
賭博は儲かるということ。ただし、胴元の側にいるときだけ。
最初は道端で銅貨を賭けるケチなサイコロ賭博から始め、もう少しカネが貯まると、拳闘の世界に足を踏み入れた。
ちょっとした広さがあれば、そこにお互いを死ぬまでぶん殴る拳闘士を手配して試合を興行し、もちろん賭けもする。
最初は選手に狂暴な脱走兵やならずものを使っていたが、本格的に武術を学んだ専門の拳闘士を使うようになると、これが大当たりして、ドン・モデストは〈商会〉のボスになった。
それからはいくつか〈銀行〉を買い取って違法賭博で稼いでいたらしいが、そのうち、イドと〈蜜〉も売るようになる。
派手好きなボスで上流階級とのつながりを自慢しているらしいが、その一方で自分の出自にちょっと病的な拒絶反応がある。
幹部だけが集まるもう少し小さめの晩餐会でいい感じに酒がまわってきたとき、ある幹部のひとりがドン・モデストのことを「石けずりのせがれ」と呼んだ。
最初はドン・モデストも笑っていたが、そのまま席をちょっと立ち、また笑いながらも戻ってくるなり『アンタッチャブル』のデニーロみたいにその幹部の頭を木の棒で滅多打ちにした。
そのおしゃべりの頭はシャーベットみたいになっちまったそうだ。
だから、ドン・モデスト相手に『意志』『医師』『縊死』といった言葉を口にしてはいけない。
尿道結石の話もしてはいけない。
カルリエドの話をするなんて、もっての他だ。というのも、これはカルリエド本人からきいた話だが、ドン・モデストの親父は材料費を浮かせるために当時ほとんど人が入らなかった魔族居住区へ入り、カルリエドから石を買っていたらしい。
ドン・モデストの特別室は地下の拳闘場だった。
マフィアのボスならみんななにかしら個人的な思い入れのあるシノギがある。
おれでいうところのカノーリやスロットマシンだが、ドン・モデストの場合は拳闘だった。
六つのアーチが広いホールの天井を支え、名拳闘士の全身肖像画がまわりの壁にいくつもかけてある。
中央の闘技場には今日死ぬまで殴り合う予定の小さな山みたいにデカい男がふたり、立っていた。
おれとジャック来栖は特別席へと案内された。
ドレープたっぷりのビロードを左右に垂らし、テーブルはみな闘技場のほうを向いている。
誰かの歯が口から飛び散るのを見ながら食事ができるわけだ。
ちなみにこの拳闘場にはいわゆるベンチはない。
本当に特別な客以外は入れないのだ。
で、その日の特別な客というのが、人間万歳主義者のドン・ウンベルト伯爵、ケレルマン商会からパブロとカルロスのケレルマン兄弟、オルギン商会のエグムンド・オルギン、王立漁業会社の支配人テッサカンポ氏、そして、ドン・ヴィンチェンゾ・クルスと彼の聡明な甥ミツル。
まもなく試合が始まり、こちらでも『人が殴り殺されるのを見ながらクールにステーキ食べる人選手権』が始まった。
もちろん、おれは辞退した。絶対途中で吐くし、そもそもゴッドファーザー・モードになると、食欲が年寄り並みに落ちる。
ともあれ、いまのおれはカイジの側ではなく、カイジたちがもだえ苦しむのを娯楽として楽しむクソ野郎な金持ちどものほうにいる。
資本主義のマジックはいまのところ、こちらにいい手札を配ってはくれるが、いまは抗争中であり、いつデッドマンズ・ハンド――黒のエースと8のツーペアを寄こすか分からない。
【ドン・モデスト】「見てくれ、いまのパンチを。まるで長靴で蹴飛ばしたみたいに吹っ飛んだ」
【パブロ・ケレルマン】「〈吊るし落とし〉のゴルドー。また、やつの試合を見たいもんだ」
【ドン・モデスト】「ゴルドーは安くない。いまじゃ、どの貴族も館に呼び込んで試合をやらせたがる」
【おれ】「だが、あんたが呼べば来るさ。あんたに借りがあるんだろう?」
【ドン・モデスト】「いや。おれは本当に大成した拳闘士の契約書は破って捨てている。これまで拳闘にはかなり稼がせてもらったからな。拳闘士が伝説にもなれるチャンスが転がっているとき、おれへの借用書が足かせになるようなことはしたくない」
【ドン・ウンベルト】「その意志は立派だが、人間同士で殴り合っている場合じゃない。亜人やエルフを殴らせようと思ったことは?」
【ドン・モデスト】「ある。だが、拳闘は人間同士に限る」
【オルギン】「ドン・ヴィンチェンゾ。あんたのとこの若いのを試合に出したことは考えないのか?」
【おれ】「〈インターホン〉のことか? あいつはいま恋に生きている」
【カルロス・ケレルマン】「やつとサアベドラが街じゅうに恐怖をばら撒いている」
【おれ】「ただし、ヤクの売人限定の恐怖をな。だが、ヤクの売人はこの街にヘドをばら撒いてる。ヤクについてのわしの考えは変わらん」
【ドン・モデスト】「おい。ステーキのおかわりだ! ――ドン・ヴィンチェンゾ。これから、この街にはますます血の雨が降る。やつらも人を呼んでいるし、こっちも頭数を増やしている」
【おれ】「知っての通り、わしのファミリーは二十名もいない」
【ドン・ウンベルト】「だが、影響力は絶大だ」
【おれ】「あんたほどじゃないさ、ドン・ウンベルト」
【カルロス・ケレルマン】「〈ハンギング・ガーデン〉でグリードをさばいたやつがいるときいた」
【おれ】「事実だ。制裁は受けさせた。それを言うなら、イドが何度も売られているが、わしは売人はとっちめても、その背景までは問わなかった。ヤクに関するギリギリの妥協をこっちはしているつもりだ。それより、わしがこのあいだした提案を飲もうって気にはなれたかね?」
【ドン・モデスト】「まだその時期じゃない。やつらの団長さえ割り出せばあとはどうとでもなる。こっちもあちこちに人をやって調べさせてはいるんだ」
【テッサカンポ】「漁船団をお買いになったそうですね、ドン・ヴィンチェンゾ」
【おれ】「王立漁業会社の支配人は耳がはやいな。そのとおり。買ったとも。密輸に使えるし、そのままカタクチイワシを獲らせてもいい。アンチョビ工場を大きくするつもりだからな」
【テッサカンポ】「王立漁業会社からのカタクチイワシを買いたくはない、とおっしゃられるのですかな?」
【おれ】「そうは言っていないが、あんたのところのイワシは高すぎる」
【テッサカンポ】「王室へと忠誠心と尊敬を考えれば、高いものではありませんがね」
【おれ】「あんたの持っているオイル・サーディンの店がイワシを買うときは王室への忠誠心と尊敬が価格に反映されているのかな?」
【テッサカンポ】「なにが言いたいのですか?」
【おれ】「知っていることはいろいろあるということだ」
【テッサカンポ】「言っておきますが、わたしは国王陛下より直々の勅令を持って、漁業会社を経営しているのです。だから――」
【パブロ・ケレルマン】「いいかげんにしろ、このドアホ! お前なんて気取ってるが、ただの密輸屋のオヤジじゃねえか。また密漁船の船頭に戻りたくなかったら黙ってろ!」
やば。おれ、このテッサカンポの恨み、買ったな。
そのとき、突然、ドン・モデストが立ち上がった。
長靴みたいなパンチが持ち味の拳闘士が殴り倒されて、もうひとりが勝利の雄叫びを上げていた。
「ちょっと中座する。勇者を称えなければならん」
ドン・モデストは特別席から闘技場のほうへと降りた。
おれが最後に見たドン・モデストは手に大きなサファイアをはめた金の首飾りを持っていた。
同じものを肖像画のなかの拳闘士たちも身につけている。
そこでおれはトイレのためにその場を立った。
奇妙な形の壺みたいな小便器に用を足し、白髪まみれのポコチンを見ながら、いつかおれもこんなポコチンになるのだろうなあとしみじみしているとき、ドン・モデストの地下闘技場のさらに地下に掘られた坑道の設置された三つの火薬樽に導火線の火花が飛びこみ、炎の魔人が暴れてドン・モデストと金の首飾りを木っ端みじんに吹き飛ばした。




