第十八話 ラケッティア、投資のススメ。
〈金塊亭〉の親爺は自分がいかに騎士道をわきまえているのか示したかったのだろう、マダムの座る椅子を後ろに引いた。
「ありがとう」
と、マダムが言ったが、その声の抑制具合とか特別に見せる気安さのような微笑みなどが〈金塊亭〉の親爺をメロメロにしたのは間違いない。
いまなら、マダムがやれと言えば、三回まわってコケコッコーを百回やってみせることだろう。
今日のスカートはえらく細かった。
真夏にペチコートを十枚重ね着する気分にはなれないらしい。
ただ、スカートのサイズが小さくなった分のボリュームを補うつもりか、真珠や宝石の輝きがいつもより強い。
ある錬金術士が真珠を溶かして、そこから糸をつくる術を完成させたという話をきいたことがあったが、マダムの着ている紫のドレスは間違いなくそれだ。
紫真珠を溶かして糸にして、ドレスに仕上げたのだ。
……。
世のなかには、そこにいるだけで空気をがらりと変えて、華やいだものにしてしまう人がいる。
マダム・マリアーヌは間違いなくその資質を持っている。
彼女が来ると、さっきまで乙に澄ましていた二人の酌婦まですごく華かで人懐っこくなったし、エルネストとカールのとっつぁんもいつもより酒が進み、べろんべろんの三歩手前くらいまで酔っ払っている。
そして、なによりマダム・マリアーヌ自身が酒豪だ。
いや、飲みまくったわけではない。彼女はそんなだらしないことはしない。
だが、その目には現実日本の来栖一族に宿るうわばみの光が確かに存在しているのだ。
そのうちエルネストとカールのとっつぁんがすっかり酔いつぶれて寝てしまうと、マダム・マリアーヌはようやくここに来た理由を話し始めた。
機知に富んではいるが少々まどろっこしい説明をささっと省略すると、彼女は投資先を求めていた。
彼女には手元に現金を置いておけない理由があった。
徴税官とトラブルになっているらしい。
その徴税官はデ・カルチ男爵という貴族なのだが、こいつがマダムの店〈槍騎兵〉で派手に散財をした。
どうもマダムと一発やりたかったらしく、散財も気を惹くためのものだったらしい。
ただ、マダムにはそのつもりはなかったし、そもそもマダムがとる客はもっと上のランクの人間だ。
「あなたの叔父さまもそのひとりと思ってますわよ」
「叔父さんももう年ですからね。うっかり腹上死でもして、マダムにご迷惑をかけるわけにはいきませんよ」
まあ、とにかくデ・カルチ男爵はマダムとエッチすることはなかった。
すると、そいつは逆恨みをしたらしい。
そもそも、そいつがバラまいたカネは国に納める予定で集めた税金だったのだ。
このままじゃお役御免どころか牢屋にぶち込まれると思ったデ・カルチ男爵は徴税官の権限をつかって、マダムの財務調査をして、カネを取り戻そうと企んだ。
だから、マダムは手元にカネを置いておけなかった。
デ・カルチに見つかったら全部取り上げられかねない。
そこで鉄板の投資先に資金を移して、デ・カルチの権力濫用をやり過ごすことにしたわけだ。
デ・カルチはもうじき納めるはずの税金が手元にないことで責められ、ブタ箱行きは確定だ。
それまでのあいだ投資にまわす。
「それでおすすめの投資先があれば、教えていただこうと思ったのですが」
「ドレスや宝石ではデ・カルチの調査はごまかせないと?」
「その通りです。でも、そこまで職務に通じた方ではありませんから、ごく普通の事業に偽名で投資すれば、それで十分目くらましにはなるでしょう」
「有望な投資先か、嵐が過ぎ去ったらすぐに資金を引き出せる投資先か、どちらです?」
「どちらも、というのはありますかしら?」
「そんな投資先があったら、一番におれが投資してますよ」
とはいうものの、ないわけではない。
アンチョビ工場をもう一軒つくるつもりでいる。
アンチョビはいまじゃカラヴァルヴァではパスタやキャベツ炒めには欠かせぬ食材になっていて、品薄が続いている。
アンチョビは儲かるし、個人的な思い入れもある。
あとで自分の権利をマダムが手放すというなら、元の値段でおれが買う。
問題はそんな手間をかけたおれに対し、マダムがどんな条件を提示できるかだ。
いっとくけど、ハニートラップには引っかかりませんよ。
「もし、ご紹介いただけたら、ヨシュアをやり過ごす方法をお教えいたしますわ」
「アンチョビ工場に投資してください。資金を引き上げるときはおれが買います。で、どうすれば、ヨシュアのモーションをかわせるんすか?」
「お耳を貸してくださる?」
全部こしょこしょしてもらった。
なのに、あれえ?
ヨシュアをかわす方法を教えてもらったのに、状況が改善した兆しは見えないぞ?
「どうしても、それしかないんですか?」
「はい。他にもっといい方法があれば、よいのですが」
「本当に本当に、それしかないんですか? だって、その、見た感じとか壁ドンとか考えると、ヨシュアが男役っぽいし」
マダム・マリアーヌはこれ以上ないくらいエレガントに首をふった。
これ以上ないくらいエレガントに微笑んだ。
「いえ。これしかありませんわ。ヨシュアに女装した姿を見せる。自分の愛した人が自分と同じ女役なのだと分かれば、しばらくは大人しくするはずです」




