第十一話 ラケッティア、ステップアップ&カミングアウト。
麻薬戦争には関わらない。
とはいえ、ひとりで中立を保つのはしんどいものだ。
同盟できる相手がいれば、それに越したことはないし、同盟とは言わずとも意見交換くらいはしておいたほうがいい。
たとえば〈槍騎兵〉のマダム・マリアーヌはヤクについてはあまりよく思っていない。
「だって、そうでしょう? ドン・ヴィンチェンゾ」
と、まれに見る美女は言う。
「わたしどもは殿方を魅了するために日々女を磨いているのに、惚れ薬まがいの丸薬で殿方の心を奪うなんて、女として負けを認めたようのものですわ」
カラベラス街の物乞いの元締め〈杖の王〉もやっぱりよくは思っていなかった。
「〈蜜〉ほどじゃないとはいえ、グリードも体をボロボロにする。買うなとは言えんが、面白いことではない」
黄昏時、グラナダ墓地の比較的死体が深く埋められていて、骨をじかに踏んだりすることのない回廊のような場所があり、〈杖の王〉は墓石のひとつに腰かけている。
しばらく話してみたが、ヤクに関しては微妙な立場だ。
「もっともわしらみたいな物乞い稼業はいっそ足がなくなるくらいボロボロになったほうが都合がいいのも事実だし、それに、まあ、骸騎士団の連中は割と気前がいい」
「元傭兵だからな。手足を失って、物乞いに落ちた知り合いもいるだろう」
「そもそも、わしの手下にもそういうかたわになった元兵士が大勢いる。そういった連中は骸騎士団の手伝い、とまでは行かなくても、警邏隊が来るのを事前に教えたりとかをしてるらしい。元兵士連中がいうには骸騎士団がグリードをさばくのは世間への復讐という側面もあるそうだ」
「ほう」
「戦争のときだけ集められて、あとは知らぬと決められるのが傭兵だ。戦争で得たカネを貯めて、小さな宿屋など開くやつもいるが、そんな賢いのはごく少数だ。たいていは食いはぐれて盗賊に身を落とし、斬首台のご厄介になる。戦争中だって、傭兵は虫けら扱いで一番厄介な戦闘に押しやられる。死ねば契約金を払わなくていいからな。前線で血を流し、戦友を失いながら戦ったやつらが評価されず、後方でのうのうとしている貴族の士官たちが手柄だの領地だのを手に入れるのを考えれば、やつらのいうことにも一理ある」
「傭兵は世界じゅうで捨て駒にされる。だから、世界じゅうでグリードがさばかれる」
「ドン・ヴィンチェンゾ。これは少し難しい問題だ」
「ご意見拝聴させていただきます、国王陛下」
「いまグリードを売っている骸騎士団は他に稼ぎがなければ、たぶん盗賊団にでもなっている。傭兵崩れの盗賊の情け容赦のなさは知っているだろう」
「殺して、犯して、焼き尽くす」
「そうだ。だが、ここ二か月、傭兵絡みの盗賊事件は起きていない。街道盗賊もずいぶん減った。戦が起きていないのもかかわらずだ」
「つまり、グリードはならずもの傭兵の受け皿になっているということか。まあ、そういう側面もあるだろうな。骸騎士団がわしの縄張りに近づいたり、子どもにグリードを売りつけるときはやめさせるが、さらに強い肘打ちを加えたほうがいいかは考え物だ。グリードが流れてから〈蜜〉を吸わせるキセル窟が三軒、廃業した。より小さな害悪だよ、〈杖の王〉。グリードはイドより強いが、〈蜜〉よりはマシだ。グリードの流通をもしコントロールできれば、カラヴァルヴァのジャンキー事情もちっとはマシになるだろう」
「だが、あんたはヤクには関わらないと思ったがな」
「ヤクから上がるカネは銅貨一枚も受け取らないが、わしらのシノギの邪魔にならないよう管理することは考えないでもない。それに傭兵崩れの盗賊が消えるのはいいことだ。街道の安全が保たれる。これはわしがいま考えているある計画にも都合がいい」
「計画?」
「この世界の全ての人間の収入を倍に増やす」
「なぜだ?」
「そうすれば、政府は所得税を取ることができるからだ」
「税金を払いたくて、世界じゅうの人間の稼ぎを増やすというのか?」
「所得税が課せられたら、わしはマネー・ロンダリングができる」
「なにがなんだか、わしにはさっぱりだ。だが、世界の人間の稼ぎが二倍になれば、物乞いに落ちるカネも二倍になるだろう。その考えには賛成だ。ドン・ヴィンチェンゾ」
「そして、経済の発展には都市と都市のあいだの交通の安全が絶対に必要だ。だから――」
「傭兵崩れが盗賊にならないのはあんたの目的にかなう」
「そういうことだ。ともあれ、目下の目標はこのカラヴァルヴァで起きている抗争を軟着陸させることだ。街じゅうのボスどもは乱暴にドアが開くたびに殺し屋どもがきたんじゃないかとビビッてやがる。これじゃ、おちおち話し合いの席が持てない。とはいえ、骸騎士団はボスが誰だか分からんのだから、話どころか挨拶もできない――。そういえば、骸党のヨシュアと話したいんだが、今日は会えるかな?」
「ああ。ここで待っててくれ。連れてくる」
〈杖の王〉の姿が墓地の塀の向こうに隠れると、付いて来てもらっていたツィーヌに思い切りケツを蹴飛ばされた。
「いたっ! なんだよ、もう」
ツィーヌはプッと頬をふくらませている。ちっ、かわいいじゃねえか、このやろー。
「暗殺ならわたしがいるのに」
「殺しを頼むんじゃない」
「じゃあ、なんで殺し屋集団の頭目を呼ぶのよ?」
「やつの妹のサアベドラと〈インターホン〉だよ。あいつら、もうそろそろステップアップするべきだ」
「ステップアップ?」
「あいつらも売人殴る以外のデートをすべきだってことだよ。そこんとこを兄貴として、どう思ってるのか知りたい」
「つい今さっきまで、盗賊の発生を抑えるためにグリードの流通をコントロールする話をしてたのに、今度は〈インターホン〉のデートの話?」
「ファミリーのボスは怠け者には務まらぬのだよ、ツィーヌくん」
「ステップアップなら、わたしだってしたいのに……」
「ん? いま、なにか言った?」
「別に。なにも言ってない」
「うそうそ。ちゃんときこえてたよ。デート、する?」
「別に。わたしはどうだっていいもん」
「じゃあ、デートしましょ。おれにはどうだってよくないもんね」
「むー。し、仕方ないわね。じゃあ、デートしてあげる。一回だけだからね」
「わかった。二度目はないと思っとく」
「え。で、でも――」
「うそうそ。そんなめっちゃ悲しそうな顔しないで。機会があれば、また、ぜひとも――あ、〈杖の王〉が戻ってきた。ツィーヌ、元の姿に戻る薬!」
「別にそのままでもいいんじゃない?」
「マフィアの長老が中学生みたいに恋バナできるか。ほら、はやく!」
ヨシュアが〈杖の王〉に連れられてやってきたときは、ドン・ヴィンチェンゾはいなくなって、かわりにおれが墓石に座っていた。
「ドン・ヴィンチェンゾは?」
「帰りました。あ、でも、ヨシュアと話したがったのはおれのほうなんで、問題なしです」
「じゃあ、ヨシュア。またな」
相変わらず死のにおいがする。
山奥のばあちゃんちで仏壇に線香をつけたみたいなにおい。
って、ことはあのとき、死んだじいちゃんの霊がそばに?
ひえーっ、怖ええ!
まさか自分の孫を祟るとは思えんが、じいちゃんも来栖家の人間だから酒が入ってるとその判断は怪しい。
「それで、用件は?」
黒い装束はもう黄昏の夕闇に溶けていて、蒼白い顔と後ろで束ねた真っ白な髪だけが浮き上がって見える。
髪は腰に届くくらいでまったく癖のないストレート。そして、整った顔立ち。
こいつもロンゲのイケメン枠なのだ。
思うに、超シスコンと見た。
もし、そうなら、ダンジョンのレイルクに続く二人目のシスコンである。
「用件ってのは他でもない。おれの身内の〈インターホン〉とあんたの妹のサアベドラの件だ」
「それが?」
「あの二人、売人をしばく以外のやり方でのデートをしたことがない。兄貴として、どう思う?」
夜通しぶっ続けでサアベドラの自慢をきかされる覚悟でたずねる。
「どう……と言われてもな。特に思いつかない」
あれ? こいつ、シスコンじゃねえぞ。
「だって、かわいい妹の、ほら、恋愛っちゅうか、普通の女の子らしさっちゅうか、そういうもんが兄貴として気になったりしない?」
「あいつはもうひとり立ちしている。おれが関わることではない」
あれれぇ? やっぱ、こいつ、シスコンじゃねえぞ。
「じゃあ、このままの状態が続いても、オーケーなの?」
ヨシュアは肩をすくめた。
「二人がそれでいいのなら、おれとしてはなにも言うことはない。ただ、あんたの言う通り、変えたほうがいいと思うなら、それでもいい」
まったく気にしないわけではないが、当人の意志を尊重する。
この世界に来てから初めて、ロンゲのイケメンの口からきいた理知的な言葉だ。
おれの知ってるロンゲのイケメンときたら、偽造書を我が子と呼んだり、重度のシスコンだったり、ギャンブル中毒だったり、古代文明に憧れてたり、ぐうたら忍者だったり、記憶が飛ぶパンケーキを食わせたりとろくなやつがいない。
なんだか、ヨシュアがとても好ましくなってきた。
だから、ヨシュアがゆっくりおれのほうに歩いてくるのもほっといた。
おれの後ろの壁を左手でドンってするのもほっといた。
ヨシュアが顔を近づけて、おれの顎の下に指を添え、おれの顔を上向かせたときもほっといた。
ヨシュアが顔を少し傾けて、覆いかぶさるようにおれの顔に――。
「だ、だめええええぇ!」
ツィーヌがあいだに割り込み、業務用究極分子カッターTH5000みたいにおれとヨシュアを切り離すのが遅れたら――おれ、間違いなく、こいつとキッスしてた。
ひえええええっ!
やっぱりそうだ! そうだった!
こいつもロンゲのイケメンだった! つーか、今までのやつらとは比べ物にならないほど、やばい方向のイケメンだった!
あ、いや、でも、ターコイズブルーのパンケーキ食べさせられるほうがヤバいかな?
ツィーヌがおれの前で両手を目いっぱい広げて、怒った猫みたいにフーッて言ってる。
ヨシュアのほうは、こいつなんで怒ってんだろ? って、感じできょとんとしていたが、しばらくすると、ぞわっと来る微笑みを浮かべて、
「まあ、いい。この続きは、また、いずれ……」
と、言い残して消えていった。




