第三話 女騎士、趣味の問題。
買い物といえばグラン・バザールであるが、その立地に驕ってろくな品を売らない店もちらほらある。
カラヴァルヴァの買い物通はあえてグラン・バザールを素人向けの場所扱いして、どこかマニアックな場所の店に通うことも多い。
たとえば剣が欲しければ、ロデリク・デ・レオン街の剣聖レイバ剣術学校か闇マーケットの鍛冶屋がいいとされ、錬金術の材料やいい服が欲しかったら〈ラ・シウダデーリャ〉へ行けというわけだ。
ただ、そうした自称買い物通はただ堪え性がないだけで、彼らが見たのはグラン・バザールの浮きカスに過ぎない。彼らは地下にすら入ったことがないのだ。
そう、グラン・バザールにはいくつかの地下への入り口がある。
小さな格子の採光窓から差し込む光のなかを埃がちらちら漂っている薄暗いディープな店ではよそにはないお得品や逸品が手に入ったりする。
ディアナのやってきたのもそんな感じの地下の店だった。
ぼろっと崩れかけた日干し煉瓦の柱のあいだに売り場があって、カラフルな絨毯の上に剣が横たわる。
煉瓦の出っ張りからは紅石の紐飾りがぶらさがり、燻製トウガラシの刺激的なにおいが奥から漂ってきてくるのだ。
店をやっている老人は自分で鍛冶はしておらず、剣を売るだけだったが、相当目が利いた。
ディアナはここを見つけてから、ロングソードを三本、短剣を二本買っているが、どれもディアナ好みの堅牢なつくりで、もう一本狙っている剣があった。
今日はそれを買おうと思ってきていたのだが、先客がいた。
二十六、七くらいの若い剣士だ。
短く切った枯れ葉色の髪が跳ねあげ戸から漏れる光のなかで白く染まっている。
傭兵だろうと思ったが、物音に向けた横顔には粗野なところはなかった。
ディアナはあちこちの戦場でこの手の顔を何度も見た――ワケあって傭兵の流浪を味わうハメになった顔――他ならぬディアナが昔、こんな顔をしていたのだ。
剣士はちょうど帰るところだったらしく、ディアナが身を片側に寄せて道を開けると、剣士は小さくうなずいた。
表情は読みづらいが、別に読む必要もない。
他人の顔色うかがって暮らさなければならないわけでもなし。
人の顔をじろじろ見て、しょっぴく暮らしをしているわけでもなし。
刀剣屋の派手な絨毯を見ると、やはり目をつけていた剣は売れていた。
「さっきの剣士か?」
「そうじゃな。一週間以上前から何度も見に来ていた。惚れてるのは間違いなかったが、告白は難しい」
「まるで恋愛のようなことを言う」
「出会いってもんはみんなそうじゃ。あんたさんは分からんかね?」
「わたしが愛だの恋だののために生きてきたように見えるか?」
「見えんね。でも、剣を見るあんたの目は恋に落ちておったよ。あの若者同様な」
「先を越されたわけだ」
「失恋の慰めになるようなのが何本かあるがね」
「いや、よしておく。たまにはこういう感情に浸るのも悪くはない」
「不思議なもんじゃ。人間には腕は二本しかないのに、いい剣を見つけると何本も欲しくなる。まあ、わしはそれで稼いでるから文句はないが」
ディアナは腰に吊るし損ねた剣のことをぼんやり考えながら、バザールの地下を歩いた。
地上のバザールと違って、地下は売り手がしつこく絡んでこない。
誰が見ても、文句のないものを売っているという自信があるからだろう。
塵まじりの空気が口のなかでざらつく。
手に入れ損ねた剣のことを惜しいと思う気持ちが湧かない。
たぶん、いい使い手のものになったからだ。
同じく剣についてうるさいマリスと剣豪談義に花を咲かせることがあるのだが、見ていて一番悲しいのはたいした腕前もなく、もちろん剣をふるうものの精神なんてものも持ち合わせていない馬鹿の腰にいい剣が吊るされるのを見ることだと意見の一致を見たことがある。
その手の馬鹿者はつまようじでも持っているのがお似合いなのだとも言った。
かといって、ろくでなし剣士の腰にろくでもない剣が吊るされているのを見て、心が弾むかと言われたら、それは違う。
たとえば、いま曲がり角から急に飛び出してきた剣士の一団。
大きな口髭、安酒ばかり飲んでいるのが一目瞭然の血走った目、その目がツバの広い帽子の下で油でも擦りこんだみたいにギラギラしている。それが七人もいた。
「どこ見て歩いてんだ、このアマ!」
顔にハシゴみたいな剣痕がある、頭らしい男ががなった。
あんな傷痕は馬乗りにされ、髪を鷲づかみにされて、ナイフでなぶられないとつかないものだ。
「おい、てめえ、なんとか言え、コラ!」
ディアナは最初、男の目を見返した。
だが、すぐにその目を伏せた。
剣士たちはディアナが自分たちに恐れをなしたと思って、気をよくし「女が強がって剣なんて持つんじゃねえ」など、来栖ミツルの表現を借りれば『風が吹けば棺桶屋が儲かる』的な態度を取った。
だが、ディアナは男たちに恐れをなして目を逸らしたのではなく、どんな剣を吊るしているか少し気になったので、目線を腰のあたりに下げたのだ。
見て、がっかりした。
金メッキの鍔に派手な安物の宝石をはめ込み、柄頭に金貨を飾っていた。
それだけでも馬鹿馬鹿しいのに、男たちは今まで殺した人数をそのツバに刻んでいた。
ディアナはうんざりした。
趣味の悪い派手さを好むだけなら、まだギリギリ我慢もできるが、それでいて武骨さに未練があって、殺した数を刻む。
どっちかにしろ、どっちかに!
カラヴァルヴァにはあんな感じの殺し屋剣士が大勢いる。
いい趣味をしているものも少なくないが、悪趣味なやつのほうが多い気がした。
あの手の連中にとって、剣は惚れるものではなく、ただ人をつつくだけの道具なのだ。
そして、そんな連中に限って、一人でできるのは剣の腹で売春婦を叩くくらいで、人殺しは五人以上でつるんでいないとうまくいかない。
きっとあの連中も追いはぎのカモでも探しにきたのだろう。
あの剣の趣味からして、バザールの地下の掘り出し物に興味があるとは思えない。
ふと、例の枯れ葉色の髪をした剣士のことが頭に浮かんだ。
趣味はいいし、腕も立つし、経験もある。
ただ、体格は細い。
鍛えているのは分かるが、体の骨格がもとからがっしりと大ぶりなやつと戦えば、それが弱点になって浮き出てくる。
体格のことではディアナだって他人にあれこれ言える立場ではないが、彼女には剣友アストリットも舌を巻く生まれついての馬鹿力があった。
嫌な予感がする。
コットン売りが粗布を保管するのに使っている行き止まりで、予感は的中を見た。
趣味のいい剣士が六人の殺し屋に囲まれて、苦戦していた。
左腕を浅くだがやられたらしく、天井から漏れる光のなかを落ちる血の一滴一滴が残酷なまでに美しい。
枯れ葉の剣士は押されてはいるが、ひとりは斬り倒したらしく相手は血だまりでうつ伏せになっている。
「おいッ!」
咄嗟に振り向いた男の顔にディアナは浴びせ打ちを食らわせた。
斜めに傾けた剣がぶつかって噛み合い火花が散った。
ディアナは続けざまの斬り返しで剣を外して、相手の肩口をしたたかに打ち込むと、悲鳴を上げた頭をつかんで壁に叩きつけた。
ハシゴ疵の殺し屋が振り返り、ディアナに突進すると、ディアナは剣を高く屋根の構えで迎え、斬り込むと見せかけて真上へ飛んだ。
相手の剣閃を足下にかわし、帽子ごと頭蓋を斬り割ると、獣のような叫び声を上げて、ハシゴ疵は仰向けに倒れた。
残った四人の殺し屋は場数を踏んでいた。
二対四くらいの数ではこの怒れる女剣士に敵わないと素早く悟った。
「逃げるなら――」
と、ディアナ。
「死体と怪我人を連れていけ。ここに放っておかれても迷惑だ」
殺し屋たちが逃げ去ると、ディアナはボロ切れで剣の血をぬぐった。
枯れ葉色の髪をした剣士は刀剣商で見たときよりも、幼く見える。
「助けてくれと頼んだ覚えはない」
まあ、そう言われると思っていた。
しかし、こんなふうに虚勢を張るのも、どこか子どもっぽいな。
「腕を見せろ」
枯れ葉色の剣士はしばらくためらったが、結局、斬られたほうの腕を見せた。
そばにはコットン商が商談をまとめるときに使うらしい粗末な机があったので、左腕をその上に伸ばさせた。
「小指から順に一本ずつ動かしてみろ」
剣士は小指から親指へ一本ずつ曲げて、一本ずつ伸ばした。
「腱は切れていない。ただ血管をやられている」
ディアナはシャツの袖をやぶり、傷の上に何重も巻いた。
「めまいはするか?」
「……少し」
「どこでもいいから薬草師の店を見つけて、そこで毒消しをもらえ。剣になにか塗ってあったかもしれないからな」
「……」
「ひとり歩きをして死んだ剣士を何人も知っている。誰かともに歩ける剣士がいるなら、ひとりで出歩かないことだ」
「……」
「では、わたしはもう行くぞ。それとも一緒に送ったほうがいいか?」
剣士は首を横にふった。
まあ、そうだろう。カラヴァルヴァのような街で女の手を借りながら剣士が歩いていたら、それだけでカモと見なされ、余計なトラブルを呼び込む。
余計なおせっかいもほどほどにだ。
「……名前を」
「うん?」
立ち去り際のディアナに声がかかる。
「名前を、きかせてくれないか?」
「ディアナだ。ディアナ・ラカルトーシュ」
「……ロウルだ」
「ロウルか。もしかすると、またどこかで会えるだろう。それまで壮健にな」
ディアナはそのままハシゴを上ると、白く反った天板をドンと突いてから、外の、光あふれる世界へと飛び出していった。




