第一話 騎士判事補、スタニスラフスキー・システム。
「例のマンドラゴラ・バブルの前の話さ。辺境伯とロンドネ国王が一戦交えたとき、おれもいたんだ」
「どこの部隊だ」
「ティレロ兵団の第九中隊」
「辺境伯側についたのか?」
「払いがよかった」
「負けてりゃ反逆罪で首が飛ぶ」
「でも、負けなかった。だから、こうして生きてる」
ロランドはジョッキのエールをあおった。
ひどくまずいし、この店では、というより、このあたりではこれ以上の飲み物は望めない。
隣の男はエールを頼んではいたが、まったく口をつけていない。
ここはカラヴァルヴァで酒を出す店のなかでももっともひどい居酒屋で饐えた体臭と安酒のにおいが立ち込め、それに燃える獣脂のにおいが加わって、耐え難い空間を見事につくりだしている。
仕事でなければ、絶対来ない。
骸騎士団が新しい組員を探すのにカラベラス街をうろついているという情報をきいたのが、五日前。
どうやらグラナダ墓地の居酒屋を新人探しの根城にしているらしいと言う情報が四日前に入った。
そして、三日前の夜からロランドはアーロン・モルヴァンという偽名でグラナダ墓地の居酒屋に通っている。
紅のレザーアーマーに細めのロングソード、鋼の短剣を丈夫な鞘に入れてレギンスの腿に縛りつけた傭兵風の身なり。
最初の二日は無駄足に終わった。
事件といえば、ナイフを持った酔っ払いがロランドからカネを巻き上げようとして腕を折られたくらいだ。
すると、誰かが酔っ払いの頭を棍棒で殴り、みんなでクソの山にたかるハエのごとく酔っ払いの持ち物を全部抜き取ると、店の外に放り出した。
ここでは博愛とか社会契約というものがないのだ。
そして、三日目の今夜。
少しだが脈が出てきた。
いつものようにありあわせのガラクタでつくったカウンターに座り、エールを頼むと、隣に男が座って、同じものを頼んだ。
ロランドはちらりとその男を見た。
第一印象は落ちぶれた代言人。
割りとがっしりとした体につけているものは他の客たちみたいにぼろをつなぎあわせたものではなく、それなりの外套だ――が、あくまでそれなりである。
これでサンタ・カタリナ大通りを歩くと、小銭を恵まれるかもしれない。
ただ、口髭と顎鬚の面倒を見ているらしく、これが代言人っぽさを際立てている。
ただ、大きな剣をぶら下げているのだけが、世にいう代言人の典型から外れていた。
「このあたりの人間じゃないだろ?」
と、相手がたずねてきた。
「あんたもそうみたいだな」
ロランドはこたえる。
というのも、代言人は頼んだエールに手をつけようとしなかったからだ。
「ここはおれにとって、ちょっとした足がかりだ。長居するつもりはない。そっちは?」
「まあ、似たようなもんだよ」
と、ロランド。
「少なくとも次の戦争があるまでのあいだは」
「従軍してたのか?」
代言人は眉をひそめた。
ロランドの齢では従軍は怪しいと思ったのだろう。
ただ、傭兵の世界で少年兵が大勢いるのも事実だ。
これから自分を傭兵として相手に思い込ませるか否かは会話が鍵を握る。
舌をエールで湿らせて、ぽつりぽつりと話を探りながら入れてみる。
「例のマンドラゴラ・バブルの前の話さ。辺境伯とロンドネ国王が一戦交えたとき、おれもいたんだ」
「どこの部隊だ」
「ティレロ兵団の第九中隊」
「辺境伯側についたのか?」
「払いがよかった」
「負けてりゃ反逆罪で首が飛ぶ」
「でも、負けなかった。だから、こうして生きてる」
ロランドはジョッキのエールをあおった。
ひどくまずいし、この店では、というより、このあたりではこれ以上の飲み物は望めない。
「ティレロ兵団にいたんなら、リカルド・ボレルとカール・ミンディは当然知ってるよな?」
フン、カマをかけてきたか。
でも、そうはいかない。
「いや、二人とも知らないな。でも、リカルド・ボレルはオズワルド・ボレルの兄弟かなにかか?」
「確か、弟だ。オズワルドは知ってるのか?」
「ティレロ兵団でオズワルドを知らないやつなんていないさ。あいつに賭けて、おれもけっこう儲けさせてもらった。まあ、そのカネも次の日には残らず、サイコロで巻き上げられたけどさ」
「オズワルドについて話してくれねえか?」
「あいつの武器はあの変幻自在の右フックさ。やっこさんの右腕がえぐり込むような弧を描いたら最後、どこに拳がぶちこまれるか分からない。カレモロ兵団の〈鋼鉄エドワルド〉を溶かしたバターみたいにメロメロにしちまったあの試合は見ていてスカッとしたよ。やつは兵団最強の男だった。メクロン城砦の戦いで死んじまうまではね」
「お前、名前は?」
「アーロン」
「下の名前は?」
「なんで、そんなこと知りたがる? まるでサツのまわしもんみたいだぜ」
「いいか、おれはな、ある兄弟団に属してる。こいつは誰でも入れる代物じゃない。本物の兵士だけが入ることができる」
「まるでおれがその兄弟団に入りたがってるみたいな話だな」
「前線で戦う兵士は使い捨てにされ、後方で貴族どもがのさばる。そんな軍隊とは違う。おれたちは血よりも濃い絆で結ばれてるんだ。兵士の絆だ。それにふさわしい兵士かどうかをおれが確かめる。調べるのさ」
「ティレロ兵団は解体されてバラバラだぜ。どうやって、そんなこと……」
「お前のヤサを教えろ。もし、お前がふさわしい兵士なら、おれのほうから連絡する」
「で、おれはあんたの名前も、その兄弟団とやらの名前も知らされない」
「そうだ」
「あんた、いま、おれにかなりうさんくさい話を持ちかけてるぜ」
代言人はにやりと笑い、初めてエールを飲んだ。
喉ぼとけが上下に動くほどの量をだ。
「まずいな」
店主は代言人の言葉を間違いなくきいていたが、無視していた。
「一生、こんな馬のションベンみたいなもん飲んで暮らすか、本物の男たちとひとつデカい仕事を始めるか、それはお前次第だ」
ロランドは少し考えるふりをしてから、この五日間、寝泊りしている場所を教えた。
「六番と七番のあいだ、〈七時〉よりにある醸造所跡。いまの寝床はそこだ」
代言人は金貨を一枚、ロランドの前に置いた。
「いずれ連絡する」
――†――†――†――
魚が針にかかるまであと少しだ。
醸造所跡地にある掘立小屋のひとつに寝転び、太陽が薄く漏れる屋根をじっと睨む。
屋根を形づくるのは醸造桶を叩き壊してつくった木材で、目盛のような焼印がジグザグに黒ずんでいた。
一泊銅貨三枚の安宿で犬小屋よりもひどいものがレンガ壁に寄りそうか、腐りかけた柱をつかって独立するかしている。
そんな小屋が百以上かたまっている。
代言人から「いずれ連絡する」と言われてから二日。
もらった金貨は相手が考えているような人物にふさわしい使い方をして、はたいた。
まずまともな肉とワインを出す店で使って、残りはサイコロですった。
たぶん、連中はアーロン・モルヴァンについて、やつらが持っている傭兵同士のつながりで確かめようとする。
ティレロ兵団での暮らしぶりを逐一確かめるだろうが、こっちは手帳を丸暗記したのだ。
ブラフ、脅し、引っかけ問題、なんでもござれというわけだ。
本物のアーロン・モルヴァンは二十一歳でロランドと同じ赤毛の剣士ですでに死んでいた。
このアーロンは自分の生活について分厚い日記帳をつけていて、辺境伯戦争でティレロ兵団に属して戦っていたときの出来事もかなり細かく記載していた。
流行っていた冗談や兵団対抗の拳闘大会、煙草不足で苦労した話や反乱の噂のせいで処刑された兵士がいたこと。
全部、記録していた。
アーロン・モルヴァンはカラヴァルヴァで野垂れ死にしたが、ロランドは骸騎士団に潜入するにあたって、その生きざまをちょっと拝借することにした。
この潜入捜査には志願したが、少し後悔もしている。
危険とかそういうのではない。一週間前、来栖ミツルが帰ってきたのだ。
潜入捜査の担当となると、クルス・ファミリーの件には関われない。
そして、クルス・ファミリーは麻薬は扱わないから、骸騎士団と接触することもないだろう。
ただ、ロランドはプロに徹することにした。
骸騎士団の騎士団長。組織のトップの正体をどこの官憲組織も把握していない。
組織に潜入し、うまく立ち回れば、騎士団長との接触もあり得る。
「だから、任務に集中しろ」
ロランドは自分にいいきかした。
浮浪児の一人がロランドの掘立小屋に現れた。
「なんだ?」
「あんたに会いたいって人がきてるぜ」
「どんなやつだ?」
「代言人みたいなやつだよ」
ロランドは体を起こすと、剣を手に取り、小屋を出た。




