第八十五話 ラケッティア/忍者、サイガの里。
忍者の里というだけのことがあって、サイガの里はコオリガワ領の山奥にあった。
おれは前にもこんなことを言ったことがあるなと思いつつ「おれはもうだめだ。おれはみんながおれに対してした全ての罪と仕打ちを許しながら死んでいったと伝えてくれ」と山道に寝そべるが、そのたびにフレイが輸送用亜空間を開こうとしたので、ヒロポンきめたみたいに勢いよく立ち上がらなければならなかった。
サイガの里は山奥深い谷にあり、焼けていなければ、白川郷みたいな茅葺き屋が見られたことだろう。
この土地には旅行作家という、出版社の経費で旅行して、なんかポエムを書いたら、カネまでもらえるという夢のような職業の人々を引き寄せるランドマークがたくさんあったはずだが、サイドウ軍は念入りに人工物を潰していて、井戸なども完全に埋められているほどだった。
しかし、水田は沼地になり、道はほとんど草に埋もれていたが、ここが世界最高の忍者を生み出す一大拠点だったのだと思うと感慨深くもなる。
あの小川でぐうたら忍者のトキマルが水遁の術の鍛錬をどうやってさぼろうか知恵を絞り、あの手裏剣が刺さった樹のそばではぐうたら忍者のトキマルが手裏剣投げの鍛錬をいかにしてさぼろうか知恵を絞っていたのだ。
その歴史、さぼりあり。
なにかが目の端にちらりと見えたので、目を凝らすと、山道を上るコジロウとクラナの姿がカラスの群れの下に見えた。
――†――†――†――
「懐かしのサイガ、か」
トキマルが出稼ぎと己の術を試すための旅に出て、三年経つ。
建物は一つも残っていないし、田畑は荒れ放題だが、トキマルはここで生まれ育ったのだ。
人斬りたちとはまた連絡を取るということで別れていた。
剣に長けるものがあれだけ集まれば、またなにかに役立てるかもしれない。
それを来栖ミツルあたりに相談して、雇うかどうかを考えることにしたのだ。
「こりゃあ、おいらたち、一番手柄だね。犬神の掛け軸と敵の軍師がこっちのものなんだから」
縄打たれたシュゼンは白髪頭をがっくりと前に傾け、三人の前を歩いている。
その縄の端を持っているのはジンパチだ。
「人を犬みたいに歩かせおって。どうなるか覚えていろよ」
「おー、こわ。犬が吠えてら。犬神さまにお願いでもしてみなよ」
「お前ら、全員、叩き殺してくれる。一人残らずだ」
「参考までにきくけど、どうやって僕らを叩き殺すつもりだい? そもそもどうやって縄を抜けるのかな? 縄抜けの修行をしているふうには見えないけど」
「全員ぶち殺してやる!」
「そう大声を上げなさんな。あんたときたら、まるでガキじゃないか。仮にもサイドウ・アリナガの軍師だったんだから、もっと威厳ってものをもってだね――」
「殺す、殺す、殺す」
「なあ、おいらたち、あんたのこと裸に剥いて、馬に引きずらせることだってできたんだぜ? それがちゃんとオベベ着て、自分の足で歩いてる。そこんところをもっといいほうに取らないと、おいらたちだって方針を変えちゃうかもしれないぜ」
「お前らの大将を出せ。大将と話がしたい」
これにはトキマルがこたえた。
「言われなくても会わせてやる。お前をどうするかは頭領が決めるんだからな」
見ると、古い石垣の上に来栖ミツルが立っている。
ワカト城跡をさぐったシズクたちも戻っているようだった。
――†――†――†――
「頭領。ただいま参上しました」
妹ちゃんもいないのに、トキマルが猫かぶってる。
こりゃ癖になって染みついたかな。
ぐうたら忍者がキビキビ忍者に昇格した場合にもたらされるクルス・ファミリーへのアドヴァンテージを考えながら、トキマル・チームの首尾を見る。
ゲット!:犬神の掛け軸。
以上!
――†――†――†――
「なに言ってんのさ、旦那」
ジンパチが笑う。
「おいらたち、敵の軍師をとっ捕まえたんだぜ」
「軍師?」
「ほら、ここにいるだろ。そんじょそこらのじいさんを捕まえて、持ってきたんじゃないんだぜ」
「じいさん……ああ、くそ。マジかよ。馬鹿には見えねえジジイが増殖しやがっ――あ、やば」
トキマルは、まさか、と思って、シュゼンを見る。
間違いない。そこに存在している。虜囚の軍師はいったいなにが起ころうとしているのか戸惑った顔をしている。
だが、来栖ミツルには幻術はまったく利かないのだ。
「頭領、シュゼンが見えないのか?」
「ぎくっ」
「……見えないんだな?」
「そ、そんなことないよー。ちゃーんと見えてる、という可能性が示唆されている気がしないでもない今日この頃――ああ、そうだよ、見えてねーよ。バーカ! ついでに言えば、今までのジジイだって一度も見えたことはねーよ。バーカ! その通り、おいらは馬鹿には見えないジジイがさっぱり見えない、超のつくお馬鹿さんだよ。超お馬鹿さんだよ。でも、馬鹿だからなんだってんだ? 馬鹿が人様に迷惑かけたか? 馬鹿は悪か? 違法賭博の胴元や殺し屋の元締めやポルノ業者よりも悪い存在か? あ、よく考えたら、おれ、違法賭博の胴元で殺し屋の元締めでポルノ業者だった。うあー、馬鹿は馬鹿であるだけで悪なのかー」
来栖ミツルの開き直りモノローグが終わるころにはシュゼンは消滅していた。
サイドウ・アリナガの軍師、シュゼンは幻術の産物だった。
幻そのものが自分を幻と気づかないくらいの、そして、サイガ七人衆の誰も見抜けなかった高度な幻術。
それほど幻術の使い手――トキマルは一人しか知らない。
トキマルはゾクッと悪寒に襲われた。
「頭領。みんな見えるか?」
「ああ。妹ちゃん以外はな。あとから来るんだろ?」
ヒーッヒッヒッヒ!
高笑いがきこえたかと思ったら、シズクの姿が消えて、一枚の文が落ちていた。
――†――†――†――
妹ちゃんは預かった。
返してほしくば、犬神の掛け軸とイヌガミギリの刀を持って、三弦香炉の祈祷洞まで来い。
「一人で来いとは書いてないな」
「ああ……」
「じゃあ、全員で押しかけてやろう」
イタリア南部カラブリアにンドランゲタというマフィアもどきの組織がある。
誘拐と麻薬を資金源にしていて、殺人も平気でやる連中だ。
そして、ンで始まる数少ないしりとりキラーでもある。
誘拐ビジネスは身代金を受け取る瞬間のリスクが途方もなくでかいし、もし、ンドランゲタではなくマフィアが誰かを誘拐したら、それはカネ目的ではない。
もうそいつを二度と見かけることはないのだ。
その手の犠牲者は星の数ほどいる。たぶんどっかの公営住宅地の基礎に埋められているはずのヴィンセント・マンガーノ、ちょっと出かけてくると言って家を出たきり姿が消えてしまったアンソニー・〈トニー・ベンダー〉・ストロッロ、おそらくホモであることを理由に手下たちに粛清されたニュージャージー・ファミリーの代理ボスだったジョン・ダマート、そして、忘れてはいけないマフィア界最大の行方不明者であるチームスターのボス、ジョン・ホッファ。
そのうち死体を酸で溶かすのが流行ると行方不明者の数はうなぎのぼりになった。
ただ、なかにはラッキー・ルチアーノやジョセフ・ボナンノみたいに誘拐されながら、どういうわけか奇跡の生還を果たしたボスたちもいる。
いることはいるが、たいていはスタテン・アイランドにあるマフィア御用達のゴミ捨て場に埋められるのだ。
ただ、今回埋められるのは、さらわれた妹ちゃんではなく、そのおじいと仮面かぶった二人の変態とやらだ。
それにおれたちの行く手を阻む野郎も全員埋める。
幻術は馬鹿には見えないらしいので、その三弦香炉の洞窟にいけば、これまで見えなかったジジイ本体を見ることができただろう。
せいぜい楽しみにしておいてやる。
「分かんねえよ、旦那」
と、ジンパチが途方に暮れる。
「なんで、おじいは犬神なんか欲しがったんだ?」
こたえはひとつしかない。権力だ。
ここにいる忍者たちがどれだけおじいとやらに恩義があるのか、慕ってきたのか知らないが、結局のところ、どれだけ立派な屋敷を立てても地盤がくさってりゃいずれは正体が現れる。
いままで間違った馬に賭けていたことに初めて気がついたわけだ。
だから、ファミリーの流儀にのっとる。
恩義には報償を。裏切りには血の復讐を。




