第八十二話 忍者、十二支プラス1。
その日は蝉が鳴いてもおかしくないくらい暑かった。
だが、人斬り神社の境内は松林の陰にあり、ひんやりとしていた。
それは日陰のおかげと言うよりは、集まった侍たちの斬人の気迫が冷たくこずんだせいだった。
なかには人を斬る喜びを思い出し鍔鳴りを起こす妖刀の持ち主もいた。
すると、持ち主の侍は犬でも叱るように「喝!」と刀に浴びせて、黙らせた。
すでに八人の侍が集まっていた。
これにトキマル、ジンパチ、サイゾウ、童顔の侍、ユキノジョウを加えれば十三人ということになる。
「ヒョウゴのやつ、急に呼び出したりしてなんだ? 買い物行きたかったのによ」
「また剣劇芝居の勧進興行の話じゃないのか?」
「そいつぁいいや」
「おれはいやだ。見るならともかく演るのはなあ」
「台詞を覚えるのが面倒だ。客はちゃんばらを見に来てるのに」
「芝居って気分じゃないなあ」
「ですが、神社もずいぶん痛みました。修繕しないと崩れてしまいます」
「まあ、ここの境内がなきゃ、こっちは大昔に首胴を異にしてるところだ。銭で返せる恩なら返しとかなきゃな」
「そうそう。本物の人斬りは恩義を忘れんもんだ」
「あのホンミョウ寺のケダモノどもめ」
「しかし、本当に芝居の話かねえ。なんだか、いつもと様子が違ったが」
「あいつ、絶対に損はさせないと言っていたぞ」
「絶対に得になるとも言わなかったぜ」
「勧進興行だとして、どこに行かされるのでしょう?」
「そりゃ、サカイだろう。あそこは景気がいいらしい。なんでも、異国から来た若いのが大きな賭場をこさえたって話だ」
「おれはそれが焼けたって話をきいたが」
「それじゃつまらん」
「やっぱり芝居だよ。芝居。なにせ芝居は女にモテるからなあ」
「おれはモテたことなんぞない」
「気のある娘は、もう舞台の上に見ても、ピーンと来るんだ」
「フン、女抱きながら刀が抜けるか」
そのとき、小柄で童顔な侍が現れた。
鉢金を巻き、鎖の脚絆をつけ、厚金造りの剛刀を二本差しにしているのを見て、今回の集まりが芝居の打ち合わせなどではなく、人斬りの段取りだと分かったからだ。
「ただの人斬りじゃない。今回は名前を捨ててもらう。斬る相手は現場でうっかりこちらの名前を漏らしてまずい相手だ。そこで偽名には十二支に出てくる動物を使う」
これは失敗だった。
「おれが〈龍〉になる」
「ふざけんな、〈龍〉はおれだ! お前は〈鼠〉でもやってろ!」
「〈虎〉は絶対におれだな」
「馬鹿じゃなかろうか! 〈虎〉はおれだ!」
「〈牛〉をやってもいいが、〈牛〉ではなく〈闘牛〉と呼べ」
「〈猪〉をやってもいいけど、〈猪武者〉と呼んでくれ。略して〈武者〉でもいいぞ」
「なにが〈武者〉だ。このあんぽんたん。お前なんて〈うり坊〉で十分だ」
「やる気か、このやろう」
「表出ろ。ボタン鍋にしてやる」
三十一回の脅迫と二十七回の妥協、そして三件の殺人未遂の後に、十二支の名前は行き渡った。
〈龍〉はこのなかで唯一の女剣士ユキノジョウが取った。
トキマルは〈猿〉で(忍者の世界には猿は好ましい呼び名なのだ)、ジンパチが〈鼠〉(やはり忍者の世界では鼠は好ましい)、そして、サイゾウは〈羊〉だった(別に忍者の世界で好ましいわけではないが、もこもこである)。
こうして名前が決まって気づいたのだが、この場には十三人いた。
最後に残った童顔の侍の名前をどうするかでどこか他人事な捨て鉢の意見が飛び交った。
「〈鯛〉でいいじゃねえか」
「だめだ。陸の生き物じゃないといけない」
「じゃあ、〈龍〉や〈鶏〉はどうなるんだ? 空の生き物じゃないか」
「〈鶏〉は飛べませんよ」
「〈龍〉は生き物じゃなくて、神さまだぞ」
「海の向こうの異国じゃ〈龍〉は生き物なんだってよ」
「〈鯛〉にしようぜ」
「異国のことなんざ知ったことじゃねえ。大切なのはここアズマだ」
「〈鯛〉」
「陸と空の違いはどうするのです?」
「なあ、〈鯛〉にしようってば」
「いいかげんにしてください! さっきから鯛鯛鯛と! いったい鯛のなにがあなたをそこまで突き動かすのですか!?」
「縁起物だし、刺身にしたらうまいだろ? 怒んなよ」
「怒ってません。わたしは怒ってなどいません。怒ってなど――ぶつぶつ」
「人斬り前に鯛の刺身とか。縁起がいいのか悪いのか分からん」
「おい、〈馬〉。〈兎〉を怒らすんじゃねえ。このなかで怒らすと怖いのは〈兎〉なんだからな」
結局、〈猫〉になった。
〈猫〉が言った。
「今日、わたしたちが斬るのはホンミョウ寺にいる人でなし、軍師のシュゼン、もしくはタキヤシャ忍軍の頭領であるサンザエモンとオフウ。それに――犬神を斬る」
〈犬〉がひゅーうと口笛を吹いた。




