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ラケッティア! ~異世界ゴッドファーザー繁盛記~  作者: 実茂 譲
リュデンゲルツ地方 クルスの八百長ダンジョン編
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第五話 ラケッティア、散歩する。

 かのナイチンゲールは白衣の天使と呼ばれるが、実際には実務家で性格はめっちゃきつかったとか。


 でも、野戦病院を仕切るならそのくらいのメンタルじゃないと務まらないのだろう。


 それに患者には優しかったし、彼女が厳しく当たるのは怠け者の役人とか分からず屋の将軍相手であって、その切れ方にしても、瞬間湯沸かし器にいきなり沸騰するのではなく、統計で数字を出して怒るカミソリみたいなタイプだったらしい。


 例の修道院長もそんなタイプで、書見台の上の聖書みたいなものをどかすと、自分で施療院の図面を描き始めた。また、建物が建つのを待つことなく、先遣隊が救護テントを張り、医薬品と白魔法が使えるシスターを早速送り込むつもりらしい。


 あの調子ならダンジョンの怪我人へのアフターケアは問題はない。


 修道院からガンヴィルのルミドス街にある旅籠〈きちがいきつつき〉へ戻るころには雲にかくれがちな西日が一刷毛ひとはけの影を引きながら、ガラス窓を輝かせていた。


 アサシン娘たちはそれぞれ部屋へと引き取っていたので、おれはと言うと、一階の酒場でレモン汁を垂らした甘草水をちびちびなめていた。

 レモネードに限りなく近いバッタモンだが、それくらいしか飲めるものがないのだ。


 ダンジョンのそばの大きな旅籠について考える。

 屋根のほとんどは破れて、家具はなく、床に穴が開いていたが、改装すればかなりイケそうだった。


 厩舎と風呂がついていて、建物そのものも二階建て。一階は酒場と厨房と客室。二階は客室と小さなテラス。地下には大きな食料庫があったが、他にも従業員が寝るのに使えそうな小部屋もあった。


「うーん。建物をなんとか一週間で直せたらなあ」


「マスター」


 うん? とふりむくと、マリスがいた。

 剣士風の格好で小さなベレー帽を小粋に傾けたりしている。


「なんだ、どうした? また、ツィーヌがアレンカの食いもんでも奪い取ったか?」


「そうではない。マスター。――その、ちょっと散歩しないか?」


「散歩?」


「せっかく港町に来たんだから、旅の情緒を味わいたいんだ。だめかな?」


 と、小首を傾げてくる。クール系ボクっ子にそんなふうにされたら、


「いやいや。行く行く。行きますよー」


 そうこたえるしかないじゃないスか。


     ――†――†――†――


 黄昏の港町は潮、ビール、焼き魚の匂いに満ちていた。

 漁船が集ってニシンを水揚げしていた魚河岸では太った猫がぐーすか眠り、飛脚ギルドの建物のそばではオリンピック長距離走で金メダルを取れそうな健脚の持ち主が革袋からワインを飲んでいる。 


 おれとマリスは西日を正面から浴びながら、投網と銛の職人たちの住む区画を歩いていた。


 投網と銛。

 まったくマニアックな世界だ。


 少なくともマフィア・オタクの普通の高校生にはうかがい知れない世界だ。


 そういえば、昔、深夜のバラエティ番組で投網と銛の特集を見たことがある。

 日本でも投網と銛は一緒くたにされる傾向があるらしい。

 それに出演していた投網愛好家が言うには、日本には投網にまつわることわざが五百種類あり、世界全体では八万種類に及ぶらしい。

 すると、銛愛好家は銛にまつわることわざは日本で千五百種類、世界全体で三十万種類あると言ってきた。


 投網と銛のあいだにはどうやら抜き差しがたい敵対関係があったらしい。

 二人の漁獲道具マニアが舌戦を繰り広げ、ことわざの数が二千二百兆を超えたところでチャンネルを変えたのを覚えている。


「なあ、マリス。この世界にも投網や銛を使ったことわざはあるのか?」


「ことわざ? そうだな。ギンポを取るのに銛打ちはいらぬ」


「なんだ、それ?」


「簡単なことをするのに大袈裟な準備はするな、ということだ」


「ギンポってのは?」


「小さくて不細工な魚のことだ」


「分かりにくいな。そこはイワシとかメダカで代用できないのか?」


 マリスは肩をすくめた。


「大きな網にイワシが一匹」


「ん?」


「網のことわざにはイワシが登場する」


「ギンポってうまいのか?」


「空揚げにするとうまい。身が白くて柔らかい」


「そういや天ぷらにギンポの天ぷらがあったな」


「てんぷら? なんだ、それは」


「空揚げの天国みたいなもんさ。ごま油といいクルマエビが手に入ったらつくってやる」


「それもマスターがよくつくるイタメシというやつなのか?」


「いや。れっきとした日本の料理だ」


「マスターが元いた場所だな」


「ああ」


「どんな場所なのかな。その、マスターがいた日本というところは」


「平和だった。あくびが出るほど平和だった。夜中に女の子が一人で外出できるくらいだ」


「その子、アサシンじゃないのか?」


「カタギ。それにコンビニっていう二十四時間なんでも売ってる店があった」


「帰りたいと思うことある?」


「まあ、家族が心配しているかなと考えはする」


「もし、その、向こうに帰ることができたら、やはり、マスターは帰るのだろうか?」


 おれはマリスを見た。すごい美少女だ。

 こんなかわいい子とこんなふうに話しながら夕暮れを散歩できるんだから、


「だから、帰りたいとは思わないな」


 マリスは赤くなった顔を見られないよう反対側を向きながら、ぼそっとつぶやいた。


「マスターは、ずるい……」


「そりゃあ、おれは悪い奴ラケッティアなもんで」


 へえ、どんだけのワルなんだ? と、男の声。


 まずい。

 話に夢中で、少し治安の悪い場所まで入り込んでいたのだ。

 おれとマリスは細い路地にいて、その入り口と出口が剣を手にした追い剥ぎらしい男たちに塞がれていた。


「有り金全部とそっちの男に化けてる娘を置いていきな。そうしたら命だけは助けてやる」


 おれが小銭の入ったポケットをひっくり返して命乞いをするより先にマリスが動いた。


 マリスがレイピアと左手用の短剣レフト・ハンデッド・ダガーを抜き、最初の男の顔に切っ先を叩き込むまで、二秒とかからなかった。

 次の二秒ではごろつき二人の腕で肉づきのいい部分を串焼きみたいに貫き、残りの一人は賢くも尻尾を巻いて逃げ出した。


「同情するぞ。お前らではなく、未熟なお前らに使われた剣に」


 うわあ。マリスさん。すっごい男らしい。からの――


「マスターを危険な目には遭わせたくない。けど、喧嘩からっきしのマスターを助けて、こんなふうにいいところを見せたい。そんなふうに考えるボクはひどいやつだよ」


 この自己嫌悪ですよ。いやいやいや!


「そんなことないって。結果良ければ全てよしだって。それに、ほら、おれの座右の銘は『見てくれのいい死体より生きてる腰抜け』なわけだから、需要と供給面でもバランスがとれてる」


「そ、そうか? 本当にそう思うか?」


「思う思う。マリスのおかげで明日もお天道様が拝めるよ」


 すると、刀身から血を拭い取り、足元に顔を斬られたゴロツキをそのまま転がしながら、マリスがうつむいて、ぽつり。


「マスターは、やっぱり、ずるい。……すがりつきたくなるほど、ずるいよ」

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