第六十四話 忍者、オペレーション・シオヤキ。
任務の内容は五匹の魚を塩焼きにするだけだったが、待ち合わせ場所である浅葱砂利館の北門へついてみると、トキマルとシズクの他に、クラナ、コジロウ、そして、ジルヴァまでいた。
人選にスヴァリスの本気度がうかがえる。
なにがあっても日没までにカワカマスを塩焼きにするつもりなのだ。
だが、スヴァリスの言うことが本当であるという保証はない。
コジロウは人間がキツツキと会話できることは絶対にないと断言しているのだ。
それにスヴァリスの言う通り、そこにカワカマスがいるとして、それがカエルを皆殺しにするためだなんてことがあり得るだろうか?
もし、そうだとしたら、カエルの合唱うんぬんに関する狂気が味方の陣地から漏れ出して、敵に浸透しているということではないのか?
「おっもしろいよねー、あのおじいさん」
クラナは焼夷液を満タンにした青銅製の弾筒を鋼の腕に装填しながら、のんきに言っている。
ぜったいイカれてる、と繰り返すのはコジロウだ。
「キツツキの言葉は半端じゃなく難しいんだ。時制が十六もあるし、動詞の活用は失敗したあやとりみたいにぐちゃぐちゃで生まれながらにキツツキ語を話せる生き物しか操れない。話せると勘違いしてるだけならイカれてるし、本当に話せたら、それこそ狂気に落ちてる。脳みそが茹だってるに違いない」
「おれが不思議なのは――」
と、トキマルはジルヴァを見る。
来栖ミツルの命令しかきかないので、この狂気の塩焼き作戦に来栖ミツルもかかわってるのかと思ったが、どうもそうではないらしい。
スヴァリスがどうやってジルヴァを参加させたのかは謎だが、あのカエルの話をそばでずっとまくしたてられたら、嫌になって相手の言いなりになるものだ。
城下町はみな戸を閉ざしていて、足軽たちの乱暴に恐れをなしていたが、それ以上に恐れられているのはマグヌスとハーラルの氏族歩兵だ。
なにせ見慣れぬ異人である。しかも全員が真っ赤な髭面で背が高く、首が岩みたいにがっしりとしていて、両手持ちの大きな剣を背中に背負っている。
誰かがゴキゲンな思いつきだと思ったのか、氏族歩兵は部隊の先頭にしゃれこうべが二本の骨を噛む黒い旗を高々と掲げていた。
そのしゃれこうべの片目から蔓草が一本伸びて、小さな花を咲かせていたが、どうもこの旗は想像の産物ではなく、実際に見たものを参考にしたらしい。
さらに銃士隊もひきつれた味方部隊はイジュウイン屋敷跡を本格的に占領するつもりのようだ。
せいぜいそっちに騒いでもらって、こちらは隠密裏に仕事を済ませる。
魚屋ウオジロウは大きな橋のたもとにあり、他の商家と同様戸を閉ざしている。
町一番の大きな魚屋と言われるだけのことはあり、店の表が広い。
「吹っ飛ばす?」
「忍び込むぞ」
屋根へ飛び、煙り出しの窓を切って、なかへ。
主人一家はすでにどこかに逃げていて、売り場には干しカレイが二、三枚あるだけだ。
問題の生簀屋敷は奥の中庭の向こうにある。
そして、それ以上の問題はタキヤシャ忍軍がいたことだ。
トキマルは胃のあたりがキリキリと痛んだが、実際はタキヤシャ忍者の首に巻きつけた鉄線がキリキリ鳴いているだけだった。
死体を番人小屋へと引きずり込み、様子を見る。
タキヤシャのやつらがいるということはそこに忍びを派遣してでも守りたいものがあるということなのだ。
「なんで、わしらは魚の世話なぞせねばならん」
トキマルたちが忍び込んだことはまだ気づかれていないようだった。
「この魚、そんなに重要か?」
「ハリマの馬鹿殿には大事らしい。あの趣味の悪さは親父譲りじゃろうて」
「不細工な魚よ。異国の魚はみなああなのか?」
遠くからマスケット銃の一斉射撃がきこえてきた。
イジュウイン屋敷跡で小競り合いが起きたのだろう。
「なんの音じゃ――ぎゃっ」
黒い光がさっと走り、タキヤシャ忍者の一人が仰向けに倒れる。
すぐに生簀屋敷から気配が消えた。
息を細くして、身をほとんど地につけるくらい低くしているのだ。
トキマルも第二撃のために棒手裏剣を指に挟み、飯炊き窓のすぐ下に潜んだ。
中庭を挟んで、母屋と生簀屋敷で二つの忍びがにらみ合う。
常人には無人に見えるが、忍びの術に心得のあるものが見れば、抑え込まれた殺気で空気がよどんで見えただろう。
こらえきれなかったのはタキヤシャ忍軍のほうだった。
日が陰った瞬間、ぞぶりと湧き出した殺気をなびかせながら、タキヤシャ忍者たちが地を蹴った。身を低くしたまま風を巻いてトキマルの放つ手裏剣の雨の下を走り抜ける。
忍びたちの目の前に小さな光がぽうっと現れ、それが母屋の梁へと飛んだ。
目をそちらへやったのは四分の一秒だったが、それが命取りになった。
隙をついたクラナの火炎がタキヤシャ忍者たちを焼き払う。
梁にはカラスが止まり、炎を逃れたものたちがジルヴァとコジロウの斬撃を食らって、地に骸を転がすのを眺めながら、カアと鳴いた――クチバシから火のついた木片が落ちていく。
「終わった、か?」
コジロウがたずねると、シズクの声が緊迫した調子で響いた。
――†――†――†――
「兄者! やつらが逃げる!」
一人退路を断つべく、背後へまわりこんだシズクは知らせたが、中庭にいるトキマルたちはすぐに動けない。
生簀屋敷の裏口でさして幅のない道へ生簀桶を積んだ荷車が二頭の駿馬に曳かれて飛び出していった。
乗っているのは手綱を操る忍びが一人、忍び頭らしき鎖頭巾が一人。
シズクはウオジロウの築地塀の上を駆け、曲がり角で跳ぶ。
宙で身をぐるっと閃かせると、苦無が雨と降り、忍びたちに襲いかかった。
手綱を取っていた忍びが悲鳴を上げて、馭者台から転がり落ち、車輪の下敷きになる。
シズクが車に飛び乗った瞬間、忍び頭の剣が横払いに胴を薙ぐ。
太刀を立てて、それを受けると、手首を返し、変幻自在の忍び剣術で上段から斬り下ろす。
だが、相手は体術を相当使うらしく、相手の手がさっと伸びたと思ったら、天地が逆転して、シズクは車から放り出されていた。
咄嗟に蹴りを放ったが、車を捕まえることはできず、そのまま道に落ちて転がるハメになる。
「くそっ、逃がしたか」
と思ったが、魚の桶を乗せた荷車は三十間ほど走ってから動くのをやめた。
遠くから見ていると、先ほどの忍び頭の姿が見えない。
罠だな、とシズクは太刀をどう構えるか考える。
隠れる場所は桶の後ろか、車の下だ。
シズクは車の下と見て、疾風のごとく駆けると、あと数歩の距離で高々と跳躍し、そのまままっすぐ荷馬車へ飛び降り、太刀で荷台を貫いた。
手ごたえなし。
では、生簀桶の後ろかと思うと、そこにもいない。
幻術にかけられたかと思うが、印を結んでも、感覚は変わらない。つまり、幻術でもない。
ぶわり、と血のにおい。
見れば、桶の水が真っ赤になっている。
ぶくぶくと泡が弾けて、鎖頭巾をかぶった頭が現れた。
ただし、その頭には肉がきれいになくなって、しゃれこうべになっている。
かつて鼻があったであろう場所をごつい顎をしたずんぐりした魚が必死になって噛みついていた。




