第五十六話 ラケッティア、へっどくぉーたー蕎麦屋。
サカイの町のお偉方が真っ先に逃走して、その次のぼちぼち偉い人たちもやっぱり逃走したので、休戦協議の席につくことになったのは、そこそこ儲かってる個人店経営者たちだった。
社長が逃げて、部長や課長が逃げて、係長や主任クラスで交渉するくらいの感覚だ。
ちなみにトキマルに癒しの空間を与える麻布屋も交渉人のなかに入っている。
これはトキマルにも朗報だが、店は無事なそうだ。
町人にはおれが龍神の使いだといまだに信じてるやつが結構いて、おれに交渉をやってもらおうと言い出したやつがいたが、おれは龍神に関する誤解を解きながら丁寧に辞退した。
というのは世間体であり、本当の理由は〈ばあでん・ばあでん〉を焼いたショックがざっくりおいらのハートにぶっ刺さっていて、それどころでなかったのだ。
ベニゴマの親分の前では、ああ啖呵を切ったが、あとでだんだんじわじわ来て、胃がキュッとなって、頭はメロメロ、こんな状態で休戦交渉なんかに出た日には、いきなり交渉の席で「うっきゃーっ!」とか叫びかねない。
そんなわけでいまは講和会議の舞台となっているショウゲン寺のまわりをスヴァリスと一緒に歩いている。ショウゲン寺は市街戦の末、ハリマとサカイが半分ずつ占領していた。
塀の外は野次馬でいっぱいだが、ハリマの足軽とサカイの町人兵が半々で警備を担当していて、なかを覗くことはできない。だが、和平がなるかならぬかに自分たちの明日がかかっている以上、興味をもたないわけにはいられない。
「ああ。失敗した。このわたしとしたことが一生の不覚だ」
と、スヴァリスがいきなり深刻な顔で言い出して、おれは口から胃袋吐き出すくらいにビビった。
ディルランドのときにはいまよりまずいピンチは何度もあったが、このじいさんがこんなに深刻な顔をすることはなかったのだ。
「なかの様子に耳をすましたまえ」
スヴァリスが失敗と言うくらいなのだから、相当のことだ。
なにか講和手続きに重大な不備があったのか?
交渉団にはハリマへの軍資金の提供は金千枚。サカイからの全面撤退。金千枚は全面撤退確認後、一か月以内にハリマ・ツネマロに直接渡すことというのがこちらの条件で、これを呑まないなら、交渉の席を蹴ってこいと言ってある。
この交渉のミソは軍資金千枚を一か月以内にハリマ・ツネマロに直接手渡すというもの。
これはサカイという自治都市が自治をあきらめ、ハリマ・ツネマロ個人に対して支配を形式的にではあるが認めるという意味がある。
この条件があれば、向こうも交渉に乗ってくると踏んだのだが、スヴァリスに計算違いがあったのかもしれない。
人ごみでぎゅうぎゅうになりながら、なんとか築地塀までたどり着き、耳を壁にくっつけた。
ぺちゃくちゃしゃべる人の声のなかに、なにか異質な音がきこえた気がした。
これだ、とカンがわめく。これがきっとスヴァリスの計算違いと関係があるに違いない。
おれは頭がメリメリパチパチいうまで壁に顔を押しつけて、必死に耳をすませた。
すると、異常な音がかすかにだが耳に届く――。
ゲコ……ゲコ……。
「……」
こんのクソジジイ。
「きこえたかね? 素晴らしい美声だ。あんな名歌手がいるのなら、交渉団に参加して、カエルとの独占契約権についての条項も盛り込むべきだった」
「そんなどうでもいいことはほんとにどうでもいいよ。それより交渉団の心配をしろっての」
「そっちのほうは別に心配はいらない。うまくいく」
さらっ、と言う。
なんでそんな確信ができるのかと思うのだが、実際、これまでうまくいっていたのだから、たぶん、今回もうまくいくのだろう。
「ちぇっ、もう、いいや。〈ホリカワ〉に行こうぜ。誰かいるかもしれない」
――†――†――†――
〈ホリカワ〉はショウゲン寺の南、堀川――つまり、水路沿いにある蕎麦屋だ。
ショウゲン寺での和平交渉が続いているあいだ、クルス・ファミリーの臨時本部として二階を貸し切っている。
貸し間に行くと、人斬りサイゾウとマグヌス・ハルトルドとハーラル・トスティグが人を斬った後、相手をコマみたいにまわらせながら倒れさせるにはどう斬るのが一番いいか熱心に話している。
ホリカワで 蕎麦を切らずに 人を斬る
クソ俳句なんか詠んでたら、おおっと、トキマルの妹ちゃんもいた。
でかい男三人に隠れて見えなかった。
妹ちゃん、こんなかわいらしい顔しているが、氏族二人の人斬りトークについていけるくらいの斬人歴があるらしい。
人は見かけによらないものだと言いたいところだが、こっちに来てから、おれが出会った女の子のうち、かわいい顔して殺人履歴がめちゃたくさんある子がほとんどなので、ギャップによるショックはさほどない。
それよりも妹ちゃんの顔はトキマルとまったく同じなのにトキマルに感じるぐうたらとかクソ生意気とかそういった印象をさっぱり受けないほうが不思議だ。
さて、ちょっと腹も減ってきたところだが、人斬りトークをききながら食べる蕎麦は粋には程遠い。
そこで隣の間に移り、そこで注文をした。
「もりそば一つ」
「フォークとナイフで食べられる料理はないかな?」
「じゃあ、味噌焼きそばがき一つ」
ここはオリュウに教えてもらった店だ。異世界に飛んできてから、しばらくそばを食べてなくて、おいしい店はないかとたずねたら、この〈ホリカワ〉に連れてこられた。
普通のそばがうまいのはもちろんだが、ここはそばがきが死ぬほどうまい。
そばがきというのはそば粉をこねたものを切らずにゆでたもので、スヴァリスに頼んだ味噌焼きそばがきはそのそばがきを平らにして煮た後、味噌を塗ってこんがり焼いたものだ。
で、スヴァリスがいま食べているそばがきだが、一言で表せば、クソうまそう、だ。
だって、おれ、料理評論家じゃねえもん。
とにかく、クソうまそうなのだ。
この世界、魔法で火をつけられるが、調理は基本的に炭火焼きだ。
強火力であっという間に仕上げる。
言葉で説明できないが、切ったかまぼこに味噌塗って、家庭用オーブンで焼けば、おれの言いたいところの半分は伝わると思う。
だが、そばがきは他にも――
「斬った相手のハラワタが飛び出て、腸なんかが足に絡まるだろ? ぶっちぎってやろうとして足を乱暴に動かしてもぶちきれないし、かといって剣で切るなら、人の頭をぶった切るみたいに太刀筋をしっかり立てないといけねえときてる。あれはわずらわしいよな」
……どうやら、お隣は人斬りあるあるトークをしているらしい。
マグナスの経験談にみなが、あー、あるあると返事をしている。
まあ、気を取り直して、そばがきだが、他にも食べ方はある。
たとえば、いまトキマルとコジロウが帰ってきて、そばがきを頼んだが、トキマルの頼んだほうのそばがきは丸めて、だし汁でゆでてワカメと一緒に土鍋で出される。
おだしの味がめっちゃ染み込んでて、そば粉ってこんなに味が染み込むんだと驚くほどだ。
いっぽうコジロウが頼んだそばがきは――、
「肋骨気にせず斬り合うなら斧に限るぞ。いい斧はカミソリみたいにスパッと切れるからな」
平べったくしてゆでたけど、焼かずに少しずつ箸でちぎって、しょうがを乗せて、めんつゆをつけて食べるんだが、これもどうして捨てがたい――、
「頭なんかメロンみたいに吹っ飛ぶ。そうしたら、骨と脳みそが――」
ぷちん。
「お前ら、うるせえぞ! こっちはそば食ってんだよ!」
隣の間へおれが突撃すると、氏族二人はお互いを見やってから、
「なにを食ってるって?」
「そばだよ、そば」
「ああ、あのきったねえ音鳴らしながら食べるやつか」
「ぐ」
今朝、この店に来たとき、氏族二人がここはなにを出す店なのかきいてきた。
それで、もりそばを注文して、食べ方を実演してみたら、二人はずるずる音を立てるのが、みっともないとのたもうた。
そばの薬味と喉ごしを存分に味わうべく計算されつくした食べ方を非難するだけなら、まあ、我慢するが、そのあと、こやつらが見せた『みっともなくない食べ方』というのが、もりそばを手で鷲づかみにして全部一口で詰め込んで、つゆを飲み、ぐちゃぐちゃ噛んで飲み込むというものだった。
もう二度とこいつらにそばは食べさせまい。
実際、食った後の感想はやっぱり肉がいいということになり、そばのももんじ屋まで豚肉の味噌漬けを買いに出るはめになった。
大事なことだからもう一度言うが、もう二度と、絶対にこいつらにはそばを食べさせない。
「和平だ!」
と、そのとき、外のほうからきこえてきた。
ということは、ハリマ・ツネマロはあの条件を呑んだのか。
それでこそ〈ばあでん・ばあでん〉の供養にもなるってもんだ。
おかわりのもりそばにねぎをふりながら、
「トキマル。例の件、前に言ったとおり、進めてくれ」
「わかった」
「そっちのカラスの兄ちゃんには引き続き監視を頼む」
手すりのカラスがかあかあ鳴いた。
コジロウが通訳する。
「任せろ、一日じゅう見張るってさ」
「カラスって夜は鳥目だから見えないんじゃないの?」
「訓練済み。忍びのカラスだよ? 夜に働けないでいつ働くのさ」
「それもそうか」
ここで今回の講和の条件を一つ思い出してもらいたい。
軍資金千枚を軍撤退後一か月以内にハリマ・ツネマロに直接手渡す。
この条件のミソは手渡す相手はハリマ・ツネマロ直接であり、ハリマ・ツネマロが死んだら、サカイにはカネを払う筋合いはなくなる。
そして、おれはハリマ・ツネマロを一か月も生かしておく気はない。
人一人の寿命を一週間前後に縮めながら、おれは思い切りずずっと音を立てて、そばをたぐった。




