第三十五話 忍者、続・百人斬り。
百人斬りというものは普通の人にとってはかなりしんどい(もし来栖ミツルの言葉を借りるなら『ゴッドファーザー・パート1の洗礼式での殺しを全部一人でやるようなもんだよな。カルロとテッシオを殺るのは勘弁してもらうとしても、まず、階段をひいこら上って、エレベーターから降りようとするストラキをショットガンで吹っ飛ばし、今度はクネオを回転ドアに閉じ込めて撃ち殺し、ロングアイランドかアトランティック・シティあたりの海の見える部屋でフィリップ・タッタリアを淫売もろとも蜂の巣にして、ニューヨーク州最高裁判所の前で警官に化けて、エミリオ・バルジーニを撃ち殺すわけだが、これで終わりじゃなくて、今度はロサンゼルスに飛んでいって、マッサージ中のモー・グリーンの右目に一発撃ち込む。ひえーっ、過重労働!』)。
ただ、クラナのように常に向上心にあふれ、右腕の改造についてあれこれ考える人間にとって、百人斬りは自分の考えたカラクリを実用試験する絶好の機会に他ならなかった。
幸い周囲にはもし来栖ミツルの言葉を借りるなら『ご奉仕価格』にまで命の値段を落とした悪党たちがうじゃうじゃいるので、実験体には事欠かなかった。
さて、遊女屋タカネノハナ自慢の吹き抜け回廊の五階から火の玉が真っ逆さまに落ちてくる。
ぐしゃ! と、音を立てて、地階の板床にぶつかると、燃え盛る火の玉からひらりとクラナが飛び出してきた。
「見たか、カラクリ忍法、地獄落とし」
哀れな犠牲者を焼く炎は硫黄、硝石、木炭、石灰、松脂をまぜてつくった代物で水をかけても消えることはない。
クラナは右腕の側面にある溝付きの小さな出っ張りを後ろに引いた。
すると、カシャンと音を立てて、焼夷弾の空容器(来栖ミツルの言葉を借りるなら『空薬莢』)が弾き出された。
次は装填である。腿に縛りつけた竹筒から青銅製の焼夷弾筒を引き抜くと、それを腕の発射装置のなかへカチッと音が鳴るまで押し込んだ。
「さてさて、どうしたもんかな」
表ではサイゾウがジゴクラク遊郭を縦横に駆けながら、愛刀『カゲ・イチモンジ』をふるっているらしく、水に濡らした竹の束を切るような音がバサリバサリと途切れることがない。
クラナがひょっこり顔を出したのは調菜屋や小料理屋の並ぶ小路で、数体の首なし死体が血の海のなか、思い思いの姿勢で倒れ、もし来栖ミツルの言葉を借りるなら『激しく営業妨害をしていた』。
くんくん、と鼻を鳴らすと、ごはんのいい匂いが血なまぐさいなかにかすかに流れている。
クラナは大局を見ることにした。
サイゾウはなんたって人を斬るための忍びだし、シズクは忍術皆伝、そしてフレちゃんは体術の名手ときている。
つまり、それは自分が少しくらい休憩をしても、戦いの大勢には影響は与えないということだ。
百人斬りの最中おいしいものを食べることについて、職業倫理面での折り合いはついたが、問題は百人斬りの最中に営業している店があるかだ。
なにせ百人斬りである。
店の前で、なかで、バサバサ人が斬られるのだから、何事もないようにのれんを出すことはできまい。
――と、思っていたのだが、軒にはそば、鮨、天ぷら等々ののれんがかかり、幟まで立っているではないか。
廓は百人斬りの真っ最中なのに、遊女屋も料理屋も決して店じまいにはしないのである。
別の場所で斬り合っている限りは通常通りに営業し、店のなかへ斬り合いが飛び火すると、遊女も客もほとんど素っ裸で逃げ出すのだが、斬り合いが過ぎ去ると、また営業を再開する。
たとえば遊女屋コマツではシズクが大立ち回りをし、一階でヤクザが一人、二階で足軽が二人斬られて、ゴンパチという名の足軽が目つぶしの毒をもろに吸い込んで、口と鼻から白い泡を吹いて倒れていた。
おまけにシズクが畳返しの術を使いまくったものだから、二階の畳の半分以上が妖怪ぬりかべみたいに立ち上がっていた。
さすがにこれでは営業は出来まいと、普通なら思うところだが、厄災去るとなんとやら、で、遊女と客が戻ってきて、死体を戸板に乗せて外に運び出し、立ち上がった畳は元通りの位置にはめ、血で汚れた畳は裏返して使い、散らかった食べ物や皿を片づけて、新しい料理と酒を運んできた。
ただ一つ、泡を吹いて倒れているゴンパチをどうしたものかと悩んだが、まだ死んでないから粗末に扱ってもたたられることもないだろうということで、男衆二人で抱え持ち上げると、二階の窓から放り捨てた。
さて、クラナはそんなジゴクラク遊郭の商魂のたくましさに心を打たれつつ、『天ぷら』の『ぷ』と『ら』のあいだをかきわけるようにしてのれんをくぐった。
すると、おかめそっくりの福々しい女将が福々しい笑いを顔に貼りつけ、福々しい声で、
「いらっしゃいませ~」
と、クラナを迎えた。
「百人斬りでございますか? それはそれはご苦労さまでございます。さぞ、お疲れでお腹もお空きでしょう。ささ、二階の間にご案内いたしますよ――それで、お客さま、申し訳ありませんが、当店はお先払いとなっておりまして」
「はいはい」
クラナは別に嫌がる様子もなく、右腕のカラクリをいじくり始めた。
世の中には食うだけ食った後、ちゃんと銭払わないで自分の逃げ足に賭ける馬鹿者が多い。
だが、先に払っておけば、店側は食い逃げされるかもだなんて、余計なこと考えずに料理に打ち込めるし、客側もお金が足りないかもなんてくだらないことを考えずにごちそうを味わえる。
なんて素晴らしいお先払い!
カラクリの最後の留め金が外れると(もし来栖ミツルの言葉を借りるなら『ジャックポットみたいに』)木と鉄でできた手のひらに小さな金の粒がじゃらじゃらと流れ出した。
クラナの腕は兵器としての機能の他に銀行業も兼ねているらしい。
「これで足りる?」
すると、おかめはもう十分すぎるほど福々しい顔を一命賭すくらいの福々しさでかさ上げし、十分でござりまする~、と、るを伸ばしながら、クラナを二階へ案内した。
さすがのおかめも息が切れるかと思われたとき、『満腹御礼』の扁額がかかる六畳間に到着した。
クラナはお座敷でごちそうを食べるときにいつもしているように手裏剣や忍び刀を外し、ついでに誤射したら危ないので腕から焼夷弾筒も外して横に置いて、すっかりくつろいだ。
「女将さん、これ、なーに?」
部屋のなかには卓が二つある。
一つはごく普通の客用の卓だが、もう一つは真ん中に赤胴の鍋がはめ込まれていた。
「これは天ぷらを揚げるのに使う鍋でございます。天ぷら屋カヘエでは包丁師がお客さまの御前で、天ぷらを一つずつ丹念に揚げてお出しするのでございます」
「ほえ~、それはすごい」
「はい、お客さまに少しでもはやく揚げたての天ぷらを味わっていただければ、わたくしどもにとって、それ以上の至福はございません」
クラナがうんうんとうなずく。
「そうだよね~。幸せって大事。忍者もこれからの時代は自分の幸せを考えて生きなきゃ。悪党一人暗殺したところで揚げ玉一つ分の幸福も得られないんだし」
クラナの部屋にやってきたのは侍烏帽子に笹紋の素襖をつけた若い包丁師が現れた。
持ち寄った漆の箱から衣の入った鉢とすでに調理ずみのタネを卓に乗せた。
鍋にはすでに油が熱く煮え、材料をからっと揚げたくてうずうずしている。
「お客さま。それではよろしくお願いします」
「はーい。こちらこそ~」
クラナの手元には白飯の大盛りとツユの椀、それに塩がある。
人を焼き払い、頭蓋骨を握り潰し、秘密のカラクリを動かせば砂金も出してくれる右腕はすでに箸を持って、最初の一品を待っている。
窓の外で何かが落下してグシャリと音がした。
「あれはなんでございましょう?」
と、包丁師が不安げにたずねる。
「ああ、あれはね、シズクがモズ落としをしたんだよ。モズ落としっていうのは空中で忍者と戦うときによく使う殺人術でね。相手の忍者に抱きついて、そのまま真っ逆さまに落ちるんだよ」
「そんなことしたら、二人とも死んでしまいませんかね?」
「と、思うでしょ? でも、わたしたちくノ一はチビだから腰のあたりに抱きつけば、地面には相手の頭だけがぶつかるの。たいていは頭蓋のてっぺんが砕けるから即死するんだけど、まれに死なないことがあってそうなると大変。頭蓋が砕けてるでしょ? そこから脳みそがこぼれるのを必死に押さえようとして――」
「はい。白魚のかき揚げ、揚がりました。お塩でどうぞ」
「ひゃ~、おいしそ~」
ブシャ! ブシャ! ブシャ! と、また物騒な音。
「んま~い。しあわせ~」
「あの、またなにか音が」
「あー、あれはね、千枚斬りの音。サイゾウって人斬り忍びの斬術の一つで人間一人、血煙になって消えるんだ。なにせ瞬きする間に千度も斬られるんだから、そりゃ消えてなくなるってもんでしょ? まあ、地べたには飛び散った血肉がちょびっとだけ残るけど」
「三回音がしたということは――」
「三人殺られてる。足して合わせて、三千枚斬り。掃除する人が大変だ。ね、それより、次の天ぷらは?」
「あ、は、はい。次は鱧の天ぷらです」
「初めて食べるなあ。どんな魚?」
「ウナギのように細長い魚ですが、海でとれます。白身魚ですが、脂ものっていて、味わいは濃厚です。ただ、小骨が多い魚なので、このように骨切りにします」
「おー、すっごい切られてる」
「一寸の幅に二十五本包丁を入れます。こうして揚げると食感がふっくらいたします。ツユでどうぞ」
「これも一種の千枚斬りかあ。でも、こっちの千枚斬りはおいしー」
その後も次々とタネが揚がった。
生姜のかき揚げ、ごぼう、もんごう烏賊、鱚、たらのめ、山芋の紫蘇巻き、面白いところでは半熟卵を天ぷらにしたが、これが口のなかで黄身がとろりとして、非常に美味。
「あー、おいしー。しあわせー。こうして仲間たちが必死に戦ってるのを見ながら食べる天ぷらは絶品だね。で、次は?」
「はい。車海老の天ぷらです」
「天ぷらのお殿さま。天ぷらといえば、これですよー」
「はあ――ところで、あの、そこにいるくノ一さんは?」
「ん? ああ、あれは百人斬りさぼって天ぷら食べてるわたしを引きずり出すために窓から入ってきたシズク――って、げ! シズク!」
なるほど、確かにシズクがいた。
窓の手すりをまたぎ越している最中で、その表情は喜怒哀楽の楽を前面に出しているが、こめかみには青筋がぴくぴくしている。怖い。
「しばらく姿を見ないから、どこかでやられたかと心配してみれば、とんでもないところで出会えたものだな」
「シ、シズクさん――怒って、ます?」
無駄だとは分かっていたが、かわい子ぶって小首を傾げてみた。
「怒る? なにを怒るというのだ? こっちが必死で忍術の限りを尽くして、下衆野郎たち相手に死闘を繰り広げているときに、悠々とお座敷で天ぷらを食べていたことか?」
「うわ~、やっぱりお怒りだ~」
「さあ、来い。残りのクズどもを片づける」
シズクは猫の子でもつかむみたいに襟をつかみ、クラナを外に引きずり出そうとした。
が、クラナも窓枠にしがみつき、必死で抵抗する。
「せ、せめて海老天だけでも食べさせてぇ!」
「うるさい! いくぞ!」
荒れた海が舟から船頭をさらっていくみたいにクラナはさらわれ、そこには揚げたての海老天だけが残った。
――†――†――†――
隣の間で年配の天ぷら包丁師が不安げに、
「なにやら騒がしいですが、やつらが来たんでしょうかね?」
「敵性反応は認められませんでした。それよりアーカイブから目標データの更新。車海老の天ぷらを所望します。この天ぷらという料理は興味深いデータを提供してくれますね」
「そうでがしょう? 異国にこんなしゃれたもんはありませんや。へい、海老天、お待ち!」
「いただきます」
さくっ。
表情こそないが、その大きな目がきらきらしている。
「お嬢ちゃん、わかりやすいねえ。仕上げに玉子を焼きやしょう。普通の玉子焼きとはちょいと違いますぜ」
「普通の玉子焼きに関するデータはありませんが、実に興味があります」
戸の外から声がした。
「ゲンさん、ちょっといいですかい?」
やってきたのは隣りの天ぷら包丁師だった。
なんでも、くノ一のお客が最後の海老天を食べる前に他のくノ一にさらわれてしまい、海老天が残ってしまったそうだ。
お客に出そうと思ったものを天ぷら包丁師が自分で食べるものではないが、このまま捨てるのはもったいないし、天ぷら包丁師たるもの、完璧に揚げた天ぷらを捨てたりするものではない。
そこで少女は事態を収拾するため、自分に使命を課すことにした。
その余った天ぷらを自分が食べる。
仕方がない。誰かがやらねばならないのだ。
さくっ。
表情こそないが、その大きな目がきらきらしている。
「ほんと、お嬢ちゃん、分かりやすいや」
天ぷら包丁師は使命の少女をそう評した。




