第三十四話 忍者、百人斬り。
地を蹴って後ろへ下がると、先ほどまでシズクが立っていた地面に真っ赤に焼けた百匁玉がめり込み、跳ね上がって、遊女屋イズナミの狛犬像を粉砕した。
遊客たちが悲鳴を上げ、慌てて近くの建物へと逃げていく。
転ぶもの、飛び上がるものと混乱ぶりは激しいが、そんななか、
「まったく物騒な」
と、サイゾウがつぶやき見上げた先には四階建ての酒楼の露台があった。
羽織に羽二重の着流しの恰幅のいい楼主がいて、その横には坊主頭に青と朱の胴丸をつけ、巨大な鍛造砲を抱えている大男がいる。
「人斬りサイゾウ。のこのこやられに参ったか」
「裏切り者の粛清は人斬り忍びの管轄なもんでね。ヨヘイジ。サイガの里を売った報い、受けてもらうよ」
「ほざけ。今のおれさまはハリマ・ツネマロさまの直臣にして、このジゴクラク遊郭の惣取締役よ。お前ら、時代の趨勢も読めぬ下忍どもとは違うのだ。貴様らごとき、カンベエどもは斬れても、このわしは斬れぬ。おい、者ども、出会え! 出会え!」
ヨヘイジが叫ぶと、廓じゅうから忍者、浪人、やくざもの、悪党、山賊、破戒僧、足軽、人斬りが薙刀や野太刀、手裏剣などの打ちもの、投げものを手にうじゃうじゃと現れた。
その数、ちょうど百人。
「集めたじゃないか、ヨヘイジ」
そう言いながら、サイゾウは唇を読まれぬよう黒い覆面を引き上げて口元を隠すと、シズクたちだけにきこえる小さな声で、
「時間を稼ぐ。やつらがかかってきたら、どこでもいいから建物に逃げ込め。止まらず動き続けて斬り続けるんだ――おい、ヨヘイジ! ひとつききたい! 僕をおびき寄せるためにオモトさんを斬ったのだろう? なぜ、オモトなんだ!」
「一番いらねえばあさんだったからだ」
「それが分かればいい――ハッ!」
サイゾウの体がふわりと飛びあがり、
「あっ」
後ろから斬りかかった僧形の男が的を外して大きくたたらを踏んだところへ、クラナの鉄腕が横鬢を粉砕する。
ヨヘイジが叫んだ。
「き、斬れ! はやく斬れ!」
シズクは左手の遊女屋コマツへと飛び込んだ。
ドスを腰だめに走りかかるヤクザの頸動脈を飛び違いざまに斬り断ち、二階へ駆け上がる。
遊女たちが逃げ惑うなか、出鱈目に野太刀をふるう足軽二人を死角から襲い、素早く斬り捨てた。
「いたぞ、こっちだぁ!」
叫び声のするほうから束打ちしたように矢が飛んでくるのを畳返しで防ぎ、駆ける。
シズクの駆けた畳は妖術にでもかかったように次々立ち上がり、追っ手の足を鈍らせた。
「ゴンパチ、塞げ!」
ゴンパチと呼ばれた侍烏帽子に素肌に赤胴の足軽が左から薙刀で足を払い、続いて顔へと返し打ちを見舞う。
シズクは上段から斬り下ろして、これに合わせると、懐から目つぶしを取り出した。
卵の殻がゴンパチの目前で破裂し、目を焼き、吸い込まれた毒粉が意識を奪う。
ゴンパチは薙刀を落とし、鼻と口から泡を吹きながら仰向けに倒れた。
薙刀でぶれた道を取り直し、シズクは二階窓から飛びだして、隣の仕出し屋カラマツの屋根を踏んだ。
シズクが飛び越えた遊女屋コマツと仕出し屋カラマツのあいだの道ではサイゾウが刀と脇差の二刀をもって、車輪のようにふりまわし、すでに三人が血の海に倒れている。
サイゾウを囲むのは髭むさい異類異形の悪党どもで、頭目らしいのが女物の柿帷子を羽織り、野太刀を背負っていた。
わああっ、と髷もほどけて見苦しい侍が小手の内を狙った切っ先をハバキのすぐ上で受け、刀身を巻き上げると、そのまま胸を突き通す。
斬り捨てた骸の血で足がぬめりそうになるのを感じると、サイゾウは鷹のように飛びあがり、遊女屋コマツの軒上の瓦へ逃れる。
「野郎、降りてきやがれ!」
「腰抜けぇ!」
「おらおら、どうした、降りてこ――うわ、やめろ、降りてくるな――ひぎゃあ!」
柿帷子の頭目が一の太刀で右肩をしたたかに斬られ、吠えるような悲鳴が上がると、逆手持ちの脇差がさっと喉ぼとけをえぐり出す。
サイゾウくらいの人斬り忍びだと百人斬りもそれなりの数こなしているので、たたっ斬っているうちに試してみたい技があれこれ出てくる。
普通にやれば即死だが、新しい技や太刀さばきを開拓し始めると一撃即死とはいかなくなる。
その場合、斬られた相手は激痛に悶絶することになった(もし来栖ミツルの言葉を借りるなら『まあチャリティーやってんじゃねえもんな』)。
いまだってサイゾウは脇差を鞘に納め、そのかわりに打刀の鞘を抜き出して、それを逆手持ちにしている。
鞘は鋼を通してあるので相手の斬り込みに負けることはない。
おまけに鞘は鈍器だから、太刀筋を立てることを捨てて、自在に打ちかかることができる。
ただ、脇差だったら一撃即死のところ、鞘では骨がバキッと折れるところで止まるから、痛みの点ではこちらのほうがひどい(もし来栖ミツルの言葉を借りるなら『だからチャリティーじゃねえんだってば』)
さて、もう残りは九十人になったが、まだ相手は数を頼んでいるので威勢がいい。
八十人になっても、まだ威勢はよく、むしろこちらが疲れ始めていると思って、残り九十人のときよりも意気盛んに白刃閃かせてかかってくる。
七十人残っていても、敵は士気が高い。
六十人もまだ高い。
だが、半分の五十人になると、敵は自分の相手が鬼神かなにかではないのかと疑り始める。
残り四十人だと自然と腰が後ろに引っ込み、仲間を楯にするような弱気な行動がちらちら出始める。
残り三十人だとついに士気がくじけて、逃亡を試みるものが出てくるが、まだ殺気にみなぎるやつもいるので、逃亡者斬りが起こり、同士討ちを始める。
残り二十人で化け物扱い、どんな武芸達者でも恐れて逃げはじめる。
残り十人。ここまで来るとこちらが飽きてしまい、もはや斬ることは驚きも興奮もない。
そして最後の一人を淡々とした動作で斬って捨てれば百人斬り。
「と、まあ、こんなところかな。巷で言われているほど興奮するものでもないよ」
「アーカイブを更新。百人斬りに――」
うなる太刀風を下にかわし、頸がメリッと折れるほどの掌打を下顎に打ち込む。
「――項目が追加されました」
河岸は辻向いのかんざし屋に変わり、そこできらびやかな珠や金の飾りを蹴散らしながら奮闘していたフレイにサイゾウは百人斬りについての所感を述べながら、忍者を二人、浪人を一人斬り、フレイの内臓が破裂するほどのまわし蹴りを連続で放って、ヤクザ二人を三和土に転がした。
雑多な悪党が刃を連ねて、二人を囲む。
袴も股立ちを高くとった浪人風の男や鹿の行縢を穿いた僧兵、諸肌脱ぎにした龍の入れ墨の男、壷装束を着崩したばさらもの。
サイゾウはまるで彼らを優しく諭すように、
「いまでこそ、きみたちの命の値打ちはごく安いわけだけど(もし来栖ミツルの言葉を借りるなら『ご奉仕価格』)、生まれたときはお母さんがいて、きみたちをこの世で唯一無二の宝物と思ってくれたんだろうね。こんなことを言うのは、きみたちに母親のことを思い出しながら死んでもらいたいと思ったからなんだよ」
と、言ったそばから浪人風の男が断ち切られた二本の脛から下を残して消える。
体のほうは後ろの階段を転がり落ちていた。
響き渡った断末魔の悲鳴から考えると、母親のことを考える余裕はなさそうだ。
そして、サイゾウの地をなめるように低い位置からの切り上げで僧兵と入れ墨男が構えをあおられ、剣が上に向くと、息をためたフレイの手刀突きが脾腹をとらえて倒す。
壷装束のならずものは市女笠を捨てて、慌てて逃げていたが、長すぎる裾をサイゾウに踏まれて転んだところを作物でも刈り取るようにさっと命を取られてしまった。
そのとき、尋常ではない圧を感じ、フレイは宙返りを打った。
「おっと――ッ!」
荒れ狂った分厚い太刀風がサイゾウを吹っ飛ばす。
身の丈七尺を越える大男が厚重ねの蛮刀を片手に姿を現した。
月代もろくに剃らない無精面、入れ墨肌のふんどしに板仕込の革胴鎧に大きなまさかりの刃を腰から下げている。
「はっはぁ! 人斬りサイゾウも大したことはないな。おい、小娘。お前も――」
(戦術ログ参照――相手の口述の最中に先制攻撃による接近から敵性対象の武器の利点を削ぎ、防具に守られていない手足か頭部へ痛撃を与え、制圧)
とん、と走り込む。
だんびらの間合いを殺し、懐に潜り込む。
「うおっ!」
左足への蹴りを見舞おうとしたとき、黒い拳がフレイの目の前に飛び出した。
のけぞって間一髪で避ける。
後ろで柱がぶちぬかれるように折れた。
さらに黒い拳は連続して叩き込まれた――ただの拳にしては強すぎるが、だんびらの刃が通用する間合いではない。
後ろへ二度飛びずさって、だんびらの間合いを越えたところでタネが分かった。
大男は左手に大きなまさかりの刃を握っていた。
まさかりの背に近い部分に指を通すための大きな穴があけられているので、大男はだんびらを潜り抜けた敵に対し、殴りつける動作でまさかりを打ちこむことができるのだ。
「だんびらをくぐれば勝てると思ったか? 馬鹿め! たとえ、わしのだんびらを避けたところで、このまさかりがあれば、お前など真っ二つじゃ。それ!」
車輪のようにまわしただんびらが柱を切り割って、フレイを狙う。
距離を詰めれば、まさかりをはめた拳がうなり、床をぶちぬくほどの一撃が待っている。
決定打を欠いたまま、フレイは防戦一方になった。
だんびらが風を巻いて襲いかかるたびに、フレイは右へ左へと飛びまわり、寺の鐘より重い刃から必死に逃れようとしていた。
「どうした、どうした! 逃げてばかりではこのわしは倒せぬぞ!」
「確かに打撃による不利は覆しがたい現状です。ですので――」
フレイがまた駆けた。
まず、左から薙ぎ払いにかかってきただんびらを潜り抜ける。
馬鹿め、その手は通じぬわ、と大男はまさかりの拳を打ちこもうとするが、フレイはさらに間合いをつめて、大男の左足の付け根に抱きついた。
かと思えば、次の瞬間には腰へ移動し、小柄なフレイはイタチの木登りのように螺旋を描きながら、大男の体を登った。
ぽきっ、ぽきっ、ぽきっ、ぽきっ。
「う、うぎゃあああ!」
激痛に耐えかねた叫びが上がったが、それもそのはず。
大男の足の付け根、腰骨、右肩、首の骨が次々と外されていたのだ。
へなへなとその場に崩れる大男を横目に、フレイはかんざし屋の窓から外へ飛び出した。
ただ、その途中で大黒柱の一本を軽く指で軽く弾くのを忘れなかった。
大男のだんびらによって、すでに十八本の柱を失っていたかんざし屋の重み全てがかかっていた大黒柱はフレイのでこぴんに対し、あっけなく白旗を上げた。
かんざし屋の三階から上が落ちてくる。
骨を外された大男は逃げられるわけもなく建物ごと押しつぶされた。
これにて、あと七十九人……。




