第三十話 ラケッティア、ばあでん・ばあでん。
「つまり、こういうことっす。一夜の舞台で遊女歌舞伎をやってくれれば、金三枚払います。お客と寝るとかなし。演奏と舞いだけで金三枚。得な話でしょ?」
遊女屋の親爺は納得のいかない顔をしている。
話がボロ過ぎて、穴があるんじゃないかと疑っているらしい。
「それでお前さんにどんな得があるんだい? 木戸賃を銀一枚とったとしても、金三枚儲けるにはかなりの客が来ないと――」
「いや、木戸賃は取らないっす」
「は?」
「遊女歌舞伎は一番でかくて人の目につく舞台でやってもらいます。誰でも無料できけるし見られる」
「そうなったら、お前さんは金三枚損をするぞ」
「いえいえ、むしろ遊女歌舞伎を演目に加えるおかげで一日の売り上げが金十枚増えます」
「どうして? その〈かじの〉ってのは賭場なんだろ? 賭場が演目をやるってだけでも変なのに、お前さんはその演目をタダで見せちまう。これじゃあ、損だ。みんな遊女歌舞伎だけ見て、賭けずに帰るだろうし」
これなのだ。
カジノでタダの食事をふるまったり、タダの見世物を出したりすると、必ずこう言う――タダ食いタダ見だけして帰られたらどうするんだ?
ウェストエンドにいたころにはアサシン娘たちにそう言われたし、カラヴァルヴァのカジノでもその方針を取ると言ったら、やはりタダだけの客が出るんじゃと心配され、いま、ここ、アズマでも同じ心配をされている。
しかし、カラヴァルヴァの空中庭園である程度の食い物と見世物をタダにしていて、実際、一銭も賭けずに帰るやつは一万人に一人いるかいないかだ。
だいたいは賭ける。
最初はスロットマシンあたりだが、そのうちファロやブラックジャックのテーブルにかじりつきになる。
理由は簡単でタダ飯を食らい、タダでダンスや芝居を見たケチンボどもはすぐに帰らず、その場でゆっくりぐうたらしてしまう。
空間全体をタダで借りた気になって、自分が見事ケチ臭く食費を浮かしたことに気をよくするのだが、そこらのスロットマシンなりテーブルなりから銀貨がじゃらじゃらと流れる音をきくと、達磨さんぐらいに精神が強くないと魔が差してしまう。
浮かした食費のうちのほんの少しだけ使って、運試ししてみる気になってしまう。
そうやってスロットマシンに一番小さくてすり減った銅貨を入れた瞬間、ケチンボはお客さまになり、カジノ黒字化を支える課金ソルジャーとなるのだ。
同じことが〈ばあでん・ばあでん〉でも起きている。
たとえば、あんたが遊女歌舞伎をタダ見しに来たケチンボだとする。
まず、あんたが見るのは〈ばあでん・ばあでん〉までの藪道を照らす赤い提灯の列だ。
三メートルごとに立てた提灯に導かれると、今度は門が隠れるくらいのどでかい提灯の親玉が門の左右に配置されている。雷門みたいにな。
で、肝心の建物はというと、橙色の照明を基調とした完全な和風テイスト。
一階ではサイコロと賑やかな笑い声、二階からは手拍子と鳥の声、湯屋からはかけ流しの湯が白い湯気をたてながらあふれ出し、庭の一番大きな池の上につくられた特別の舞台の上で豪華な着物をつけた垂髪の遊女たちが三味線を弾き、少女が鼓を打ち、男装の麗人が竹の子皮の太刀を手に舞い踊る。
あんたはその遊女歌舞伎の、女が男の役をするところにちょっといけない倒錯を感じつつ、風呂に入る。
大きな岩風呂で他にも十人くらいが湯船のど真ん中に立つ石灯籠の火を眺めつつ、冷やっこい酒をやっている。
すっかり旅の垢を落として、外にでると、暇そうにしているものが一人もいないことに気づく。
食べるか、見るか、聴くか、賭けるか、温泉に入る。
客は必ずこのどれかに夢中になっている。
あんたはタダの団子を食い、いい気分になっているが、そのくせ隣の間で行われていることが気になる。
なにやら白い碁石の山にお椀をかぶせて、湯治客たちが盛んに賭けている。
いや、今日は賭けずにタダで飯を食いに来たのだとあんたは自分に言いきかすが、隣の博奕、そんなに難しくなさそうだし、賭けているのも小銭だ。
どうやらお椀のなかに隠れた碁石を四つずつ取り除いていって、最後にいくつ余るのかを当てるのだ。
穴あき銭一枚くらいなら賭けてもいいのではないかと思い、あんたは三つ余るのに賭ける。
すると、どうだろう。見事大当たり。
穴あき銭一枚が四枚になって返ってくる。
あんたは得した気分になれるか?
とんでもない!
あんたはドケチなんだ。もし、銀一枚を賭けていたら銀が四枚になったのに!と激しく後悔する。
と、まあ、こんな感じで課金ソルジャーが完成する。
こっちだってチャリティーやってるわけじゃないのだ。
さて、〈ばあでん・ばあでん〉が他のアズマ式賭場と違うのは目当てにしている客層だ。
これまでの賭場というものはヤクザかその予備軍のギャンブル・ジャンキーどもだったが、うちの客層はまるで湯治客みたいに上品な連中である。
武家、坊さん、豪商。公家もちっとは混ざってるか。
そいつらが、湯上りにうまい酒飲みながら、賭博をしてる。
ゲームは定番の花札や丁半博奕から、文化人向けの闘茶、鳥合わせまで多種多様で賭客のニーズにおこたえしている。
ちなみに胴元にはベニゴマ一家から女の子借りてきて、賭けを仕切らせてる。
ほら、言ったでしょ? 現役女子高生ディーラーなら儲かるって。
しかし、軌道に乗せるまでの時間は短かったが、かなり大変だった。
サカイの上流階級を〈ばあでん・ばあでん〉に惹きつけるためにカジノというよりは温泉付き高級料亭みたいなことをしていた。
何度か通わせるうちに、湯で体がほぐれて、腹もくちくなったお偉いさん方が、なにか頭をつかって、それなりに楽しめることがしたいと思わせるのに結構かかった。
最初のうちは飼っている鳥の見せ合いっこだった。
次は闘茶。茶を飲んで物賭けて銘柄をあてるってやつ。
そのうち、茶ではなく酒を飲みながらできるものはないかと言い出したところでうんすんかるたを勧めて、あたりを取った。
そのあたりから、いろいろゲームを増やしていき、〈ばあでん・ばあでん〉の名をサカイの外に広めるために真っ赤な旗に宣伝文句をかいて、飛脚にあちこち引き回させたりと、広告対応をしていった。
〈ばあでん・ばあでん〉はちょっとリッチでラグジュアリーな空間を目指しているが、だからといって、庶民を完全に弾き出したのではもったいない。
庶民には増築した庶民コーナーをつくり、金持ち空間を崩さずに庶民を取り込む。
そこで導入して、一番大ヒットしたのは中国由来のファンタン賭博だろう。
ファンタンとは正四角形の卓子に白い碁石を山と盛る。
で、その上にお椀をかぶせる。お椀のなかに入らなかった碁石はどける。
で、このあと、石を四つずつ取り除けるのだけど、最後にあまりがいくつ出るかを賭ける。
1、2、3、4のどれかでこれがルールも簡単で実に評判がいい。
それに賭け方も一点張りだけではなく、1と4とか2と3といった張り方もできるので、そこそこの当たりを取って、賭客たちに得した気分を味あわせることができる。
完全当て字の半丹という名で広まっているが、これがタダ客たちを最も取り入れやすいゲームとして機能している。
まあ、収支的にみると、やっとトントンだけど、軌道には乗った。
これでフレイがいれば和風スロットマシンで荒稼ぎできるぜえ、ぐへへ、と想像を巡らせながら、おれ専用の小さな厨でせっせと山芋をすり下ろす。
なにしてるのかって?
そりゃあ、〈ばあでん・ばあでん〉で働くお姐ぇさん方のため、なんかつまめるうまいもんをつくってるんですよ。
ちなみにいまつくっているのは『いもごみ』。
ばあちゃんに教えてもらった菓子でそんなに難しくはない。
お米粉にすりおろした山芋をまぜて、大根みたいな形にしてから昆布で包み、甘めのたれみそで煮る。
で、煮あがったら昆布は外して、小口切りにして出す。
このいもごみの偉いところは甘いのも辛いのもいけるということだ。
辛口で食べるならしろみそ、甘く食べたいならきな粉をかければよし。
食感は高級チーズみたいにもちもちしていて、腹にたまる。
だが、チーズと比べると弾力があり、餅と比べると噛み切りやすい。
ちょうどいいころ加減の柔らかさだ。
さて、出来上がったいもごみをあちこちの間で頑張ってるお姐ぇさん方に配ってまわる。
「お姐ぇさん方。いもごみ、お持ちしやした」
「これは親分のお手ずから。ありがとうございます」
「わぁ。いもごみだ。これ、好きなんですよ」
「うめーっ」
女の子たちが自分のつくった料理をうまいうまいと食べてくれることはありがたいことで――ん?
「旦那、おいらたちの分は?」
「来栖の親分~」
ジンパチとオリュウが空っぽの腹をさすり、やはり空っぽになった大皿を恨めしそうに見つめている。
「あー、わりぃ。全部配っちまった」
「そんなー」
「はあ、腹減ったな」
「いや、冗談だって。こっちこっち」
おれ専用の厨の横の茶室並みに狭い部屋に水を切ったいもごみが十切れずつ漆の皿にのっかってる。
「やったぁ、さすが旦那!」
「これが意外と酒のアテになるんだ」
嬉しそうに円座の上にドスンと腰を落とすと、おれは二人にたずねた。
「きな粉としろみそ。どっちがいい」
「あたしはしろみそ」
「おいらはきな粉」
こうして夜食をがつがつ食っていると、〈モビィ・ディック〉を思い出す。
ノンアルコールのボトル・カクテル飲みながら、アンチョビのマカロニなんか食ったりして。
残留組の連中、今ごろなにしてるかなあ。




