第二十三話 サイドウ家、ある阿呆。
「見よ、この軸を」
サイドウ・アリナガの懐刀であるシュゼンが広げた真新しい掛け軸のなかには鼻に傷が走る犬神が屏風を後ろにして座っている。屏風の図柄は地獄絵図である。
「でかしたぞ、お館さまもお喜びじゃ。さすがはタキヤシャ忍軍」
燈明の届かない隣の間から、はっ、と声が湧く。
一つに重なった男女の声。
夫婦ものの忍び頭領である。
「コオリガワの遺児は?」
「目下探りをいれちゃあいますが、どうにもカミジノの山に入られてんで」
屈託のない男頭領サンザエモンの山賊がらりの声がこたえる。
「もとはお手付きになった側女の子。もとより城には寄りつかず山野をかけること獣のようだと評判で、あるときを境に消えてなくなっちまったんです。地元の連中は天狗にさらわれたと思ってるようですがね」
「庶子とはいえ、コオリガワ・カツヨリの血が通った最後の男子。かつぎ出すものが出れば、面倒じゃ。早々に斬れ」
「へい」
「サイガの生き残りとやってきた異人たちはどうなっている?」
「サカイとムゲンに」
女頭領のオフウがこたえる。
「サカイの異人来栖ミツルは賭場をつくり始めています」
「賭場?」
「はっ」
「やつらはコオリガワ再興のために来たのではなかったのか?」
シュゼンは言葉を切って考える。
知恵の働く懐刀ではあるが、思考は武家のそれである。
ヤクザな賭場をつくることとお家再興がどう結びつくのか分からない。
「ただ――」
「なんじゃ?」
「奇妙なことに、その賭場は集まるのはヤクザだけではなく、むしろ、それ以外のもの――武家や商人、僧の賭客が集まっているということです」
「サカイでは坊主まで博打にうつつをぬかすか」
「いかが、いたしますか?」
「監視だけしておけ。サカイを騒乱に巻き込むことをお館さまは好まれぬ」
サイドウ・アリナガはアズマを統一したら、海外へ攻め込むつもりだ。
そして、そのときサカイは攻撃の拠点になる。
だから、サカイの港と商業を無傷で残す必要があった。
それを忍びに教えるつもりはない。
自ずから気づくだろう。自分たちが相当な勝ち船に乗っていることに。
「コオリガワの残党、サイガの七人衆を斬れ。タキヤシャ忍軍の威信にかけてだ」
「へいっ」
「はっ」
気配が消える。
一人、座敷に残ると、シュゼンは下男を呼び、煙草盆を持ってこさせ、煙管をつけさせた。
夜風も控える静かな座敷に紫煙が上り、ねじれ、絹糸のように細まり消えていく。
さながら、人間の思念のようだ。
アリナガの壮大な野望は理解できる。
サイガの生き残りたちの考えていることも理解できる。
「しかし……」
カッ! 煙管が煙草盆を叩きつけ、焼け縮れた煙草を灰捨てに落とす。
賭場を開くだと?
はぐれた仲間を探しにも行かず、コオリガワの遺臣たちとの接触を試みるわけでもなく?
「ふん。阿呆の考えることは分からぬ」
だが、シュゼンは顎鬚を骨と皮が残っただけの手で梳った。
機嫌が優れぬときにあらわれる癖だ。
そんなことがあるはずがないと分かっている。
分かっているのに、来栖ミツルという阿呆が全てを台無しにする光景がまざまざとその脳裏に浮かぶ。
そんな根拠のない不安を感じる自分にいらつき、顎鬚を乱暴に引くと、白い髭がごそっと抜けた。




