第二十一話 アサシン、雪に思う。
雪のなかを歩いていると、さる国の男爵を思い出す。
その国は王党派と革命軍に分かれて五年近く戦っていて、男爵は王党派の騎兵隊司令官だった。
男爵の騎兵隊は革命軍と関係のあると疑われた村や町を焼き払い、男女や年齢の区別なく殺しつくした。
男爵は自分の部下たちに命じた。
槍騎兵中隊は反乱者の赤ん坊一人の串刺しを掲げて閲兵に望むこと。
婦女の凌辱はまず娘を親の見ている前で犯すこと。
自分の命令を神の命令と思い、殺し、焼き、犯すこと。
ひるんだものは絞首刑とする。
依頼者は男爵に家族を殺されたものたちで、大勢の難民たちが銅貨一枚一枚をかき集めた。
戦争が終わった後の男爵は多くの栄誉と領土を国王から受けたにもかかわらず、それらを全て返上して、修道院で清貧に暮らした。
「ついに来たか」
「……」
「さあ、やれ。わしは多くの子どもたちを殺した。今度はきみらがわしを殺す番だ」
殺されるその瞬間も男爵はジルヴァに抵抗することもなく、なすがままに心臓を貫かせた。
その裸足は真冬の勤行で赤くしも焼けていた。
前のマスターに任務完了の報告とともに、そのことを話すと、前のマスターは少し哀しげな顔をしてから、依頼人には本当のことを言わないほうがいいと言った。
前のマスターは依頼人たちに、男爵は反省者の仮面をかなぐり捨て、生き延びようとあがき、犯した罪を悔いることもなく死んでいった、と伝えた。
死んだものを甦らせる方法がない以上、依頼者たちは男爵の真摯な後悔など望んでいなかった。
「難しい……」
「今、なにか言ったか?」
「難しい……」
「確かにとんだ悪路だ」
季節外れの雪は止む様子もなく、潤滑油が凍りそうだ。
四鬼王寺はこの雪山の向こうにあるという。
吹きだまった谷には武家屋敷の残骸のようなものが見える。
崖だと思っていた岩の塊が石垣だったり、岩に掘り込んだ武将の像だったり。
ひょっとすると、ここはもともとはこのような氷に閉ざされた土地ではないのかもしれない。
なにか悪いことが起きて、人の住めない土地になったのかもしれない。
普通の土地が吹雪の山岳になるような悪とはどんなことだろう?
ジルヴァは無口だが、頭のなかではこんなことを徒然思いつくままにさせている。
経験からこうした精神状態が不意の戦闘や暗殺そのものと相性がいいことを知っていた。
とはいえ、これはジルヴァの場合である。
マリスはどちらかというと普段から研ぎ澄ますタイプだし、アレンカも魔法を使う関係上あまり奇妙なものに思念を取られたくないと思っているのかもしれない。
ツィーヌは四人のなかで一番面倒見がいいので、他の三人をあれこれ気にすることで頭がいっぱいだ。
ただ、共通しているのは三人とも不意の戦闘と暗殺そのものに完璧に対応することができることだ。
普段の心の持ち方は違うが、大切なのは誰かを殺す瞬間に冷静かつ正確に対処できるかだ。
それ以外の時間は任務に響かない限り、自由にしていればいい。
……これも前のマスターの方針だ。
「マスター……どこに……」
ぽつん、とつぶやく。
もちろんマスターとは今のマスターである来栖ミツルのことだ。
海賊の襲撃で斬られて海に落ちたところは見た。
その後、ジルヴァは来栖ミツルを斬った赤ずくめの海賊の足の腱を切って強制的にひざまずかせ、その胸に歪んだ形のナイフを突き刺して痛いのは百も承知で刃をひねって肋骨を折りながら力ずくで引き抜き、大型ナイフのバックハンドで相手のこめかみを砕いてから歪みナイフで喉を切り裂くと、奇跡的にもまだ生きていた海賊の頭蓋のてっぺんに二本のナイフを突き立てた。
オーバーキルを仕上げてから、すぐに舷側から来栖ミツルの姿を探したが、空っぽの樽や海賊の死骸が浮いているだけで、カラヴァルヴァきっての犯罪王の姿はどこにも見えなかった。
(きっと、生きてる……)
ジルヴァはそう信じながら、左方の空中を一閃した。
宙が血飛沫を上げ、隠れ身の白布がはらりと落ちると、一拍遅れて、白装束の忍びが倒れた。
ぞぞぞ。
次々と雪のなかからサイドウの忍びが湧きあがり、次々と放たれる手裏剣が参魂丸の目と喉と膝頭を捉える。
参魂丸が倒れると、忍びたちはとどめを刺すべく集まった。
「仕留めたぞ」
「からくりなぞ、所詮は木偶に過ぎぬ――あ」
そこに転がっていたのは参魂丸ではなく、最初に斬られた忍びだった。
その瞬間、雪に埋められていた竹筒に火縄の火が入り、丸く脹れた炎が弾けて、忍びたちの肉片が五十間四方に飛び散った。
隠れ身の術に変わり身の術を返すのは鮮やかだったが、雪山で火薬を爆発させるリスクについては、もうちょっと慎重になるべきだったかもしれない。
爆発の震動で四方の斜面から雪塊がずるずると滑り落ちたかと思うと、白い爆風となって、木々や屋敷跡をなぎ倒し、三人も慣れぬ参魂丸で奇跡的なつなげ技を見せて、雪の肥やしとなるのをなんとか防ぎ、(来栖ミツルの言葉を借りるなら『ディスカバリー・チャンネルで特集組んでもらってもいいくらいの活躍で』)逃げ切ることができた。
「ホントに死ぬかと思った……」
「おれたち人魂だからすでに死んでるようなもんだけど」
「ジルヴァはこんなときでも沈着冷静なんだな」
「その頑強なメンタルは素直に尊敬するよ」
「……びっくりした」
「あ、一応、驚いてはいたんだ」
こくり、とうなずくと、ひゅうどろろ、と音がした。
――†――†――†――
雪崩で嵩増しされ空が近くなった雪原を北へ歩く。
空からはすでに紫の影が抜けて、夜を知らぬ群青に地平が白んでいる。
四鬼王寺のあるはずの場所に着いたが、当たりは一面雪の原である。
チョウベエからもらった地図が正しければここに四鬼王寺の大伽藍がずどんと聳え立っているはずなのだ。
「道を間違えたか?」
「そもそも道がないのが問題じゃないの?」
トキマルとクリストフが地図の向きを変えて方角をデタラメにしているあいだ、ジルヴァの目は雪原に一つ、ちょこんと転がっている玉ねぎに目が向いていた。
「こんなところに玉ねぎ。何かの罠かな」
「いや、これはひょっとすると擬宝珠かもしれない」
「ギボシ?」
「灯籠のてっぺんにつける玉ねぎみたいな飾りだ」
「じゃあ、あの下に――」
「目当ての灯籠が埋まってるかもね」
雪を掘ってみると、まず青銅の笠があらわれ、さらに掘ってみると、光が現れ、透かし彫りに雪をつまらせた火袋が出てきた。
早速、三人はその火袋に入って、灯籠の火を自分たちのなかに取り込んだ。
「はい、終わり。楽勝」
「おれとしては火を盗む前に予告状を出したかったけど」
「そんなもの、出してどーするの」
「クルス・ファミリーの怪盗メンバーとしての矜持がある」
「どーでも――って、なに、この地鳴り」
足元の雪が震動で粉のように舞い上がる。
なにか巨大なものが雪のなかをかいて、地表に出ようとしているようだ。
突然、氷の崖が吹き飛ぶと、腹にまでびりびり響く恐ろしげな声が雪の霞から参魂丸へと降り注いだ。
「わしの寺を雪に埋めたのは貴様らか!?」
身の丈は雲を突くほどの一つ目の大入道が怒りに顔を真っ赤にして、三人を睨み落とす。
怒りはもっともだし、こちらとしても謝罪するのにやぶさかではない。
その旨を伝えると、
「許さん。貴様ら、食ってやる」
「こんな鉄の人形食っても腹こわすだけでしょ。こっちのすんませんを受け入れてよ」
「黙れい! 一飲みにしてやる!」
こうなれば逃げの一手である。
恐ろしげな足音をききながら、斜面を下る。
一つ目入道の足は竹筒爆弾などよりも多くの雪崩を起こし、参魂丸は右に左に襲いかかる雪の爆風をかわし、かわし、またかわしながら、空が紫に光る不気味なふもとを目指して飛ぶように逃げる。
トキマルが叫んだ。
「いい知らせと悪い知らせがある!」
「いい知らせ!」
「もう半分下った。あと半分!」
「……悪い知らせ」
「入道が雪だるま!」
見れば、一つ目入道はどこかで転んだのか巨大な雪玉から頭と手足を出しただけの状態で転がり落ちていた。
より速く、より多くの雪崩を引き起こしながら、地形が変わるくらいの大参事が後方三十メートルの位置まで迫っている。
加えて、前方の雪のなかから待ち伏せしていたサイドウの忍びが次々と飛びあがる。
ジルヴァからすると、長いあいだ雪のなかで待ち続けたその任務への献身はあっぱれだが、登場二秒で超巨大雪玉の下敷きになるのは工夫が足りない。
じゃあ、自分だったら、どうするだろう?
鋼の忍びと後ろに巨大な雪玉。
昔の自分ならあの忍びたち同様、現れてから潰されるまでの二秒間で標的を仕留めようとするだろうが、今のマスターは『暗殺はおうちに帰るまでが暗殺です』という鉄の掟をつくっているので、標的を仕留めた後、生還することにも重点を置かないといけない。
いっそ巨大な雪玉が通った後に雪から飛び出せばいいと思うが、巨大な雪玉が通った後は重さで氷みたいに固まって出られなくなる可能性が高い。
これはなかなか難題だ。
前に飛び出せばぺちゃんこで、後で飛び出そうとすれば生き埋め。
こんなことを考えながら、参魂丸を操縦できているのだから、ジルヴァもだいぶこの境遇に慣れたと言ってもいいだろう。
ポカン。
気の抜ける情けない音がした。どこから分からない。
いや、頭のなかに直接響いたような音だ。
トキマルかクリストフ、あるいは両方の頭がパアになったのかもしれない。
ジルヴァは次に起こることに警戒したが、なにも起こらなかった。
少なくともパアになった仲間がとんでもない自殺行為に自分を巻き添えにする気配はない。
あれこれ考えているうちに、自分たちの後ろで転がる雪玉の音がだんだん小さくなっているのに気づいた。
ふりかえると、雪玉は直径一メートル足らずにまで縮んでいた。
「……ストップ」
「なに?」
「ストップ」
立ち止まると参魂丸にまわし蹴りを放たせる。
雪玉が真っ二つに割れて、なかから目をまわした一つ目の小僧があらわれた。
「ふーん。これが大入道の正体か。で、どーするの?」
「このままにしていく……」
「てっきり始末するって言うかと思ったけど?」
「悪いのはこっちだから……」
「ま、どーでも」
クリストフがパンパンと手を参魂丸に叩かせる。
「そら、お二方。手に入れるもんは手に入った。はやく帰ろうぜ。これでようやく、この鉄人形ともお別れできるってもんだ。生身の体が恋しいぜ」




