第十五話 怪盗、死者の国にて。
袖の内側のワイヤーを引っぱるとスムーズに滑車がまわる。
「よし、ワイヤー装置は生きてる。ハーピーの息吹と気球袋もある。で、閃光弾と煙幕弾が半分以上なくなってる……。代用できるものが見つかればいいけど」
しかし、とクリストフはため息をつく。
不気味な森である。
外の薄暗さを考えれば、いくら葉のない枯れた森といえど、夜みたいに暗くなるはずだ。
ところが、実際、森のなかは白々としていて、よく物が見える。
とはいえ、焼死者みたいにねじれた松、小さな首なし石像が何百体と並んでいるところなど、見えて楽しいものは一つもない。
それに生き物がいない。
虫一匹見かけない。
あるのは触ると煤が手につく裸の松と砂まじりの灰色の地べた。
それと、ジルヴァの暗殺用ナイフ専門店くらいだ。
「……なにしてるんだ?」
ジルヴァは砂の上に様々な暗殺用のナイフを並べて、膝を抱えて座っていた。
そして、売り場の端には『非売品』の立札。
マリスやツィーヌ、アレンカのことなら、仁義もへちまもない日々のおやつの奪い合いでなんとなく性格もつかめてきたが、ジルヴァについてはいまだ謎が多い。
素顔すら見たことがない。いつもマスクをしている。
(この子もおれみたいにマスクが一つの性格の元になるのかなあ?)
クリストフはこれまでジルヴァのことを冷静沈着で任務の遂行のみを考える非情なアサシンと思っていたが、死者の国で非売品のナイフ販売を始めているあたり、この子は結構不思議ちゃんなのかもしれないと薄々思い始めた。
「……これ、売り物じゃないんだよな?」
こくん、とジルヴァはうなずいた。
「じゃあ、どうして売り場に並べてるんだ?」
「……売りたいから」
「でも非売品なんだよな?」
こくん。
「じゃあ、どうして売り場に並べる?」
「……売りたいから」
んん? さっぱりわけが分かんないぞ。
「どうして非売品のナイフを売りたいんだ?」
「……それが悪い商売だから」
「ラケッティアリング?」
「ラケッティアリングのあるところにマスターは来る……」
なるほど、そういうことか。クリストフは合点した。
来栖ミツルとはなにもないところから悪い稼ぎを生み出す天才であり、悪さに関する嗅覚は犬並みだ。
だから、売りたくない暗殺用ナイフを売るのだ。
なぜなら、それが悪い商売であり、来栖ミツルがそれを嗅ぎ分けてやってくるかもしれない。
戦略は分かった。ただ、戦術に問題がある。
来栖ミツルのラケッティアリングはもっと規模が大きい。
武器についても取引をしてはいるが、もっぱらマスケット銃だ。
暗殺用ナイフの販売はあまり魅力的なラケッティアリングに見えないだろう。
そういえば、来栖ミツルはいつだったか、アサシン娘たちの社会性の無さについてこぼしていたことがあるが、なるほど、あれは嘘ではなかった。
「たぶん、そのラケッティアリングじゃ、ミツルは呼び出せないと思うよ」
「……」
「きっと、あいつのことだから、もうどこかでカジノかギルドをつくり始めてるかもしれない。そういった噂をもとにこっちから探すほうがはやい。」
「そこに気づくとは……天才?」
まったく表情は変わっていないが、彼女なりに驚いているらしい。
「とにかく、この森を出よう。おれも最初はここがあの世かと思ってたけど、どうも違うらしい。人里を見つけて、他の連中について情報を集めるんだ。いいか?」
ジルヴァは、こくん、とうなずいた。
――†――†――†――
薄気味悪い森を抜け、崖のふもとをまわりこむと、存外近くに町が見えた。
大きな城もあるので城下町というのが正しい。
「これで少しは状況も好転したかな」
だが、ある懸念が芽を出し、町に近づくにつれて、懸念は確実性を得はじめ、最後には絶対的な事実として、二人の前に現れた。
それは骸骨が人間のように暮らす町だった。
(来栖ミツルの言葉を借りるなら『カルシウム・タウン』)
とはいえ、所詮は骸骨である。
酒を飲めば、肋骨のなかを流れ落ちて、腰骨がびちゃびちゃになるし、ちょっと人と肩がぶつかっただけで、肩の骨が文字通り外れておっこちる。
クリストフが知っている限り、ドクロ系の魔物が話すのをきいたことがあったが、ここの骸骨たちは言葉を交わさず、そのかわりに体を揺らしてカタカタ鳴らし、それで意思疎通を図るという、非常に独特のコミュニケーション体系があった。
なにかと不便も多い体のようだが、いいことだってある。
たとえば、スイカを食べて種を飲み込んだとき、スイカの芽がへそから生えてくる心配をしなくていい。
種はすかすかの骨の体から外に出るし、そもそも骸骨にはへそがない。
まあ、利点らしい利点はそのくらいだろう。
害意はないらしいが、あまり気味のいいものではない。
ここに来栖ミツルがいる可能性は低そうだ。
が、知っての通り、来栖ミツルはどんなところでもラケッティアリングを思いつく悪の天才である。
クリストフが知っている限り、来栖ミツルはカラベラス街で見つかるミイラを聖人の死体だと言って、信心深い金持ちに売り払ったことが二度ほどあった。
だが、あのときのミイラたちは動かなかったが、この骸骨は動く。
聖人の死体として売りさばくわけにはいかないだろう。
骸骨を擦りつぶして薬と売る可能性も考えたが、来栖ミツルはふだんからヤクは扱わないと言っているから、この線もない。
以上からこのカルシウム・タウンに来栖ミツルがいる可能性はやはり低いと判じざるを得ない。
親切な骸骨にこの国から出るにはどうすればいいかたずねてみると、骨をカタカタ揺らしながら、大通りの曲がり角を指差した。
広めに道を取った町の向こうに橋がある。その名を六道橋。
そこを通れば、生きた人間がいる世界につけるようだ。
まあ、そこらへんは推察するしかないが、あながち外れてもいない。
というのも、橋の上に骸骨ではない人間の大男が番をしているからだ。
よほど重要な橋らしい。
男は身の丈が二メートルを超える大男で、髪は真っ白だったが、顔は若々しく白髪とは違うらしい。
橙色に渦巻き模様の着物で腰には磨いた石の玉に通した紐を巻き、鹿革を垂らしている。
「別に橋を渡らなくてもいいんじゃないか? この川、そんなに深くないぞ」
そこで橋の脇から川辺へ降りるのだが、途端に体がだるくなり、足が信じられないくらい重くなった。
息をするだけでもひどい疲れを感じていて、もう十キロ歩いた気がするが、実際は十メートルも進んでいない。
川を渡るどころか川そのものにたどり着けないと思ったクリストフは来た道を戻ることにしたが、橋の前まで戻ると、さきほどの気だるさや疲労が嘘のように消えてなくなった。
「この橋を渡るしかないってことか――なあ、あんた! おれたちは別に悪さするとかそういうつもりじゃない。いちゃいけない世界に迷い込んだだけだ。帰りたいから通してくれないか?」
が、大男はなにも言わない。
クリストフは橋に一歩踏み込んだ――大男は動かない。
もう一歩――動かない。
さらに三歩。大胆に――まだ動かない。
これはいけるかもしれない、と思い、クリストフは相手の横を走り抜けようとした瞬間だった。
拳が風を巻いて、クリストフを吹っ飛ばした。
――かに見えたが、間一髪でクリストフは空へ飛んだ。
また風のうなる音が鳴ったので、咄嗟に飛び降りると、軽々飛びあがった大男が携帯用気球をバアン!と蹴り割った。
クリストフはごろごろ転がりながら橋から逃げた。
クリストフの体が橋の外へ出ると、大男の攻撃はぴたりと止んだ。
拳を下ろすと、そのままのしのしと橋の真ん中、最初に立っていたところへ戻っていく。
「あの手の大男は仕掛けが鈍いと相場は決まってるもんだけど――」
と、クリストフとジルヴァに声がかかる。
「大きな間違い。攻撃のはやさには注意しないとあっという間に強打を数発食らって、全身バラバラ、骸骨どもの仲間入りだ」
ゆらっとする柳の下でもう何日も前からそうしているようにごろりとなっている。
「そういうことは先に言ってくれよ」
トキマルは、ふああ、とあくびする口に手を当てた。
「そいつを殺るのはやめたほうがいいんじゃない? 七人衆の一人、国崩しのゴンタだ」
七人衆? と言われて、船で見た老人のことを思い出した。
突然、船室に現れたおじいなる老人が言っていた七人衆。
コオリガワ家を復興し、アリナガの野望を止めるにはサイガの里の七人衆を集めろと言われていた。
その一人がそこにいる。
「じゃあ、トキマル。お前の知り合いなら、説得してくれ。こいつ、橋を渡ろうとするだけで、いきなり殴りかかってくるんだ」
「無理」
「なんで?」
ひょいと軽く跳ね起きると、トキマルは首をコキコキ鳴らしながら言った。
「ゴンタのやつ、魂を抜かれてる。そいつを取り戻さないと橋は渡れないし、ゴンタも仲間にならない」




