第十五話 ラケッティア、ずらかる。
「ぶっ殺してやるのです! アレンカはやります! マスターを殺そうとするやつ全員、地獄に落とすのです!」
怒れるアレンカの抑えきれぬ魔力が波のように部屋を揺らす。
最初のうちは食器棚がゆれ、落ちた皿が割れていたが、そのうち皿は落ちなくても木っ端みじんになり、鋳鉄のシャンデリアがガチャガチャ振り回されながら天井にぶつかり、黒い痕を残し始めた。
「頼むから落ち着け。家じゅうの皿が割れたら、どうやってメシを食うつもりだ? マリスからもなんとか言ってくれよ」
「悪いけど、マスター、今回はボクもアレンカに同意見だ。ヴァレンティのクズども、楽には死なせない」
「それに納得いかないのは、どうしてジルヴァ一人を単身でヴァレンティの屋敷に忍び込ませて、わたしたちはここで待機しなきゃいけないの? 冗っ談じゃないわよ!」
「ツィーヌの言う通りなのです!」
「だから、お前らを送ったら、それこそ戦争になるだろうが」
おれが返り血で血みどろになって戻ってきて以来、ずっとこの調子だ。こういうときこそ、あのポーカーフェイスみたいなクソ落ち着きが必要なのに、こいつらときたら、皆殺しにしてやるの一辺倒でこっちの言うことききゃしねえ。
「エルネスト。あんたからも言ってくれないか?」
「彼女たちはきみの言葉だけに従う。ぼくが言っても、無駄だよ」
カノーリ脱税詐欺が終ってから、エルネストは自分の店に戻っていた。
ところが今朝、ヴァレンティの手下がやってきて、上納金を三倍にすると言われたらしい。
エルネストは金貨で一千枚もらっているから、払えないことはないが、払ったら、四倍五倍と増えていく気配が濃厚だった。
それにまわりで偽造をしている連中は増額分の上納金を間違いなく払えそうもない。
そこでエルネストはおれからもらったカネを安全面に投資し、一丁金貨五十枚はするホイールロック・ピストルを買い、ついでにおれたちのほうにも似たような話がきてないか様子を見に来て、殺されそうなおれを見つけたわけだ。
しかし、どうもおかしい。
やり口が乱暴だし、思慮に欠けてる。
「でも、マスター。やつらは真っ直ぐマスターを狙ってきた。これのどこが思慮に欠けてるんだ?」
「マリス。あいつらはじじいになったおれの姿しか知らない。つまり、こっちのボスを狙うつもりでやってくるなら、じじいバージョンのおれが出てくるまで辛抱強く待つ。
逆に今朝のことは辛抱できずに誰でもいいから殺しちまえと思っての仕事の可能性が高い」
あのいかにも賢そうなドン・ファウスト・ヴァレンティらしくない。
嫌な予感がする。それが当たるなら、もうファウスト・ヴァレンティは――。
「殺されていた」
戻ってきたジルヴァが報告した。
薄々そうなってるんじゃないかと思っていた。
「いつ?」
「昨夜遅く」
ドン・ファウストは三十年来の愛人の家で馬車を降りたとき、別方向から猛然と走ってきた馬車から撃たれて、胸に二発もらったらしい。
まさか、ファンタジー異世界にまで、走行中の車からの発砲があるとは思わなかった。
結局、親の心子知らずか。
ジュニアはドン・ファウストの寿命が尽きるのを待てなかったらしい。
何が起きたかは想像がつく。
あの会談の後、ファウストはジュニアをしかりつけたのだろう。
自分の愚かさをおれに見せつけ、おれからはファウストが心配している図星を突かれた。
もっと思慮深く行動できないのか?
たぶん、そんなことを言ったのだろう。
ファウストからすれば、自分の帝国を子に継がせたいという思いがあってのことだろうが、ジュニアはそれを侮辱と受け取った。
そして、侮辱の対象になるような名誉がそもそも存在しないやつに限って、ひどい逆恨みをする。
ファウスト・ヴァレンティの死因は自分の実の子どもが想像以上のゲス野郎だったことを見抜けなかったことだ。
おれはため息をついた。そりゃあ、長い長いため息だ。
そして、ため息もつき終わったころには、我が四人のアサシン少女たちもおれの話がきけるくらいに落ち着けたらしい。
おれは諭した。
「なあ、皆の衆。おれはこのウェストエンドが嫌になったよ。
あれだけ注意深く生きてきたファウスト・ヴァレンティだってクズみたいな息子の逆切れであっけなく殺されちまうんだもんな。
たぶん、これからヴァレンティ・フライデイ・フェアファックスのあいだで戦争が起こる。終わったころにはみんなボロ切れ同然だ。そして、稼げる仕事はみんな潰されてるだろう。市場のみかじめ料も、賭博場も、酒場も、ナンバーズも。みんなだ。
だからな、ギルドマスターとして命ずる。
この街を出るぞ。
で、どっか新しいところでやり直す。
実はさっき襲われたとき、いいアイディアが浮かんだんだ。スロットマシンをつくる。と言っても、まあ、知らないよな。とにかく、それがひょっとすると、この世界の賭博場をがらりと塗り替えるかもしれない。そんなアイディアがあるのに、それを下らんぶち殺し合いでフイにしたくないんだよ。
だからな、屋敷じゅうの飛び道具を馬車に詰め込んで、出発の用意をするんだ。
これはマスターの命令だ。『でも』も『だって』もなし。
おれたちはこれからトンズラする」
――†――†――†――
旅支度を整えたころにはもうすっかり夜になっていた。
カノーリ脱税詐欺で手に入れた金貨八千枚のうち、四千枚はそれに相当する五つの宝石にし、残り四千枚のうち、三千枚はクレベール銀行の額面金貨五十枚分の預金証明書百五十枚にし、残り千枚を現金として三つの鍵がかかる箱に入れ、馬車のなかにベルトで固定した。
馬車の外と中は装填済みのクロスボウと投げナイフ、弓と矢でいっぱいになった。
そこにおれを襲った殺し屋どもの持っていたピストル二丁。ただ、弾のこめ直し方が分からない。
馭者台にツィーヌとアレンカが座り、屋根にマリスとジルヴァ。そして、おれは馬車のなかでクロスボウを外の少女たちに渡し、新しい矢を装填する係になった。
おれは座席の窓から身を乗り出した。
「エルネスト。一緒に来るか?」
エルネストは首をふった。
「店に命より大切な道具を置いてきている。それだけはどうしても持って逃げたいんだ」
「そうか」
「大丈夫。また、縁があったら会えるさ」
おれが手を伸ばすと、エルネストはしっかり握り返した。
「じゃあな」
「うん。さようなら。きみとの仕事はとても面白かった。また、会おう」
ツィーヌが手綱を打つと、馬車はゆるゆると車庫を出た。
屋敷を眺める。
いつも銀貨が山のように積まれた集計室。
おれのつくった料理をうまいうまいと食べてくれた食堂。
雑草を取り除き、あとはトマトを植えるだけだった庭。
この屋敷にいたのは二ヶ月と半分くらいだが、それなりに感慨する。
ずっと住んでいた四人にはもっと感傷的だろうと思った。
いや、思ったのだがね、
「夜にお出かけです。ドキドキするのです!」
「新しい土地か。ツィーヌ、きみはどこがいい?」
「面白い毒の材料があるとこならどこでも。ジルヴァ、あんたは?」
「海のそば……」
まあ、そんなところ。
この四人にとっては一週間プリンが食べられなくなるほうが辛いに違いない。
馬車はギルド屋敷の門の前で止まった。
外にはヴァレンティの雇った殺し屋がうようよ待っているのが間違いなかった。
まあ、しょうがない。心機一転やり直すためのコストと割り切るしかない。
それにこの馬車の馭者台と屋根には世界一のアサシンが四人もいる。
何を心配することがあるものか。
「マスター、どうするの?」
ツィーヌがたずねる。
おれは戦艦の艦長になった気分で大声で命じた。
「全力前進! 総員、ふりかかる火の粉は全部払え!」
「「「「了解!」」」」
手綱が馬の尻を勢いよく打ち、馬車はロケット花火みたいに飛び出した。




