第十四話 ラケッティア、襲われる。
夜が明けて、小鳥がちゅんちゅん鳴いている。
曇りだが、雲の隙間から見える空は染み入るように青い。
おれはというと、屋敷の長椅子で一晩一睡もしないでいる。
おれの膝にはツィーヌの頭が乗っかってる。
いわゆる膝枕だ。
ただ、おれが想定していたのと違う。
ここはおれが膝枕してもらうとこだったはずだ。
そのためにスケベ心満載の語りで次回へ続く、って感じにしたのに。
まあ、ゲーム自体はひどいもんだった。
おれにまわってくるカードがみんな三とか四とかで勝負にならない。
で、罰ゲーム『得点の一番高い人は低い人に膝枕をしてもらえる』によって、最高得点のツィーヌがドンケツのおれの膝を枕に寝ることになった。
で、今に至る。
ツィーヌは恥ずかしがって、あーだこーだ言いながら、ぐっすり寝ている。
おれはというと、一晩中、ズボンのなかの我が息子がいきり立ったりしないよう、必死に己を抑えていた。
いくらなんでも、ここで我が放蕩息子が自分を前に出したら、変態呼ばわりされるくらいでは済まない。
バラバラに刻まれて、ツィーヌがつくる毒薬の材料として鍋にぶち込まれるかもしれない。
命に関わる罰ゲームはなし、と言っておきながら、己の浅はかなスケベ心で結局、我が命を危険に晒すこの有様には人間の欲望とその結末に関する寓意を豊富に含んでいる気がしないでもない。
ざっくばらんに言えば、自業自得ってこと。
でも、まあ、おれは日ごろから心を鍛錬して、こういうときはニューヨーク五大ファミリーの名前を唱えることで心を落ち着けることができるようにしているから助かった。
そうでなかったら、今ごろバラバラ死体よ。
ただ、一晩中、ニューヨーク五大ファミリーの名前を唱え続けなければいけなかったのは誤算だった。
少しでも詠唱を怠れば、息子がむくむく大きくなってしまう。
死にたくなければ、汝、詠唱を止めるべからず。
詠唱を止めたとき、汝、豚汁の具となり果てる。
でも、もういいだろう。
ツィーヌは熟睡してるから、頭の下から腿を抜いてもたぶん起きない。
まず、左足を引き抜いて自由にする。
ゆっくりと。型抜きでもするみたいに根気よく。ゆっくりと。
ツィーヌの頭が乗っかってたせいで血行が阻害された左足に血が流れると、めまいが起きた。
いや、決して手でそっと持ち上げたツィーヌの頭が思いの外ふかふかしてたからとかのめまいじゃないですよ。
ありませんとも、決して。
……まあ、ちょっとはあったかも。
いや、かなり。
五代ファミリーの名前にフィラデルフィアとニュージャージーのマフィアも加えて、呪文を強化して唱えつつ、右足も引き抜き、かわりの枕になりそうなものを――あ、あれ。あのサラミでいいや。サラミをツィーヌの頭の下に敷く。
足が痺れて何かにつかまらないと立っていられないが、とりあえず身の自由は確保した。
この居間から庭が見える。
公約通り、愛と勇気とド根性で雑草を一掃したおれの庭。
あとは種苗屋からトマトの苗を買ってくればいい。
――†――†――†――
種苗屋はギルド屋敷からほんの数分のところにある。
他に花屋や果物売りの屋台が並んでいて奥行きもあり、小さな市場のようになっていた。
ひょうたんみたいな梨を桶に入れて運ぶ女商人。果物の皮をつつく子ども。
オレンジ屋台の前で大柄な二人の男が一番大きなオレンジをくれと言って主人を困らせている。
それにラッパの音。ドレミファソラシド――ドシラソファミレドの繰り返し。
薪が燃える鉄籠でベイクド・ピーチをつくっている角を曲がり、奥の種苗屋へ。
八歳くらいの子どもが留守番をしていた。
売られている苗は種類ごとに売り台に並び、どれも根っこと土を藁で丸く包んであった。
「トマトの苗が欲しいんだけど」
「それなら、お客さん。こいつが一番でさ」
「なんだ、こりゃ? えらく小さいな。プチトマトの苗じゃないだろうな?」
「産まれはデルモントの公爵トマト。今は小さいけど、実がなりゃ、でかくて甘いのなんの」
「じゃあ、五つもらおう」
小僧がおれが指さした苗をボロボロの麻袋にひょいひょい入れていく。
――ドレミファソラシド。
ふと、入ってきた角に目をやると、桃を焼く鉄籠のそばに大柄の男が二人。
――ドシラソファミレド。
さっきオレンジ屋台で一番大きなオレンジを欲しがっていた二人組だ。
――ドレミファソラシド。
二人ともマントの左肩を外して、それを引き寄せ、右手を隠していた。
――ドシラソファミレド。
「はい、お客さん。デルモントトマトの苗五つ。銀貨五枚だよ――お客さん?」
――ドレミファソラシド。
男たちが一歩前に進む。すると、マントがずれて、大きな銃が目についた。
――ドレミファソラ、ズドン!
咄嗟に放り投げた苗の袋が破裂した。
「きゃああ!」
「わあ!」
買い物客が逃げ出し、店主たちが売場台に潜り込む。
おれは逆方向へ走った。
足に何かぶつかった。
籠が倒れて、鮮やかなオレンジが足元を転がっていく。
そのオレンジに足を取られ、おれは表の街路へ思い切りスッ転んだ。
起き上がろうとしたとき、追手の姿が目に入った。
山が丸いフェルト帽、よごれた胴衣。大きなマント。
額から目と口髭を縦断して盛り上がる醜い刀傷の痕。
そして、鋼鉄のゼンマイをまわして火花をつくるホイールロック式のピストル。
大男がおれの胸を踏み押さえて立つと、大きな銃口がまっすぐおれの顔に向けられた。
「ドン・ヴァレンティがよろしくとよ」
おれはこれで死ぬんだな。そして、最後に心に浮かんだのはなんだと思う?
日本にいる家族?
四人のアサシン娘たちがまたメシに困るんじゃないかってこと?
ドン・ヴァレンティへの恨み?
このシチュエーションがドン・コルレオーネが撃たれたときに似てること?
それとも、またどこか別の異世界へ飛ばされるんじゃないかってこと?
違う。おれが考えたのはスロットマシンだ。
ホイールロック・ピストルがつくれる技術があるなら、スロットマシンだってつくれるんじゃないか?
ほら、ドラクエのカジノにもスロットマシンはあるわけだし。
スロットマシンを自分の縄張りの居酒屋や小間物店に置いていけば、きっと儲かる。
ああ。おれはもう骨の髄までラケッティアになったわけだ。
銃声がきこえた気はしなかったが、脳みそは飛び散った。
いや、おれの脳みそじゃない。
おれの上に立っていた男の頭が右半分吹き飛んでいる。
右のほうで何かがきらっと光った。
エルネストだ。
手に銃口から煙が上がったホイールロック・ピストルを持ってる。
死体がおれの上に覆いかぶさる。
おれは必死で死体の下から這い出そうとする。
もう一人、最初におれに向かって撃ったやつ。
そいつが予備の銃を振り上げて、弾切れになったエルネストを狙う。
おれは覆いかぶさった死体の手から銃をもぎ取り、それをぶっ放した。




