第十六話 ファミリー/ラケッティア、仮定の話。
マヌエルはメッセンジャーとして生きることを許され来栖ミツルの口から脱したが、その内容をサルヴィアソに伝えはしなかった。
サン・グレから出ていけば、命だけは助ける。だが、戻ってきたら殺す――こんなものをきかせれば、カッとなりやすい子爵のことだから、どんな目に遭わせられるか分からなかった。
そんな用心をしたマヌエルだったが、長生きはできなかった。
巧みな嘘で自分だけが命からがら逃げてきたことをサルヴィアソにうまく信じさせることができたと思っていたが、サルヴィアソはまったく信じておらず、市内の路地裏のタバコ農園沿いのどぶ溝で喉を切り裂かれた状態で見つかった。
サルヴィアソはドン・ヴィンチェンゾの首に金貨五百枚を、甥の来栖ミツルには金貨二百五十枚の賞金をかけ、三人の腕の立つ殺し屋をカラヴァルヴァに送り込んだが、三人はカラヴァルヴァに足を踏み入れるなり消えてしまった。
噂では順番に絞め殺されてバラバラに刻まれ、どこかの工事現場の漆喰壁に塗りこめられたらしい。
次の週にはサルヴィアソ子飼いのアチュカルロ判事が(これは最初の会談のときにいた判事だった)クルス・ファミリーと付き合いのある密輸業者サンディ・ハロラーニを武器の不法所持で逮捕し、即席裁判で絞首刑にした。
アチュカルロ判事は、その日の夜、市参事会ホールのパーティに現れるはずだったが、姿を見せなかった。
パーティが始まって、宴もたけなわになってきたとき、天窓のステンドガラスが突然割れて、首に縄を巻きつけたアチュカルロ判事が宙にぶら下がり、ガラスの破片が賓客たちの頭に降り注いだ。
南洋海域からのキャラック船がエスプレ川の河口で軍艦に乗ったサルヴィアソの私兵に臨検され、サウススターのあがりである金貨1100枚を強奪された。
二日後、サルヴィアソの私兵組織が所有する小型艦が炎上して沈んだ。
これに怒り狂ったサルヴィアソはサン・グレを自分の私兵組織による軍事的独裁下に置き、クルス・ファミリーの息のかかったと思われる人間を徹底的に狩りだすことに決めた。
これには地元の政治家や司法関係者、騎士や商工業者が反対したが、サルヴィアソの意思に逆らうことなぞ到底できず、サン・グレは私軍の管理下に置かれてしまった……。
――†――†――†――
ジャック「だから言ったんだ。そんなやついるわけがないって」
おれ「マヨネーズのカクテルなんてきいただけでオエッとくる」
クリストフ「でも、そのマヨネーズはブランデーにあっという間に溶ける。ラムにバターを入れるようなもんじゃないか」
おれ&ジャック「それとはまったく違う」
そのとき、〈ちびのニコラス〉のドアにつけたベルがチリンと鳴った。
カウンターに寄りかかっていたおれとクリストフがドアのほうを見ると、青いマントを肩にかけた白髪の男が入ってくるところだった。さらに後ろから同じように青マントを肩にかけた男装の女がやってきた。
二人とも青い更紗を縫いつけたつや消し革の胴衣から丈夫そうに膨らんだシャツの袖に通して腕が伸びている。
その腕をだらんと垂らせば右手は剣の柄に、左手はピストルの握りに届く。
白髪頭のほうは策謀家らしく賢しいが人好きしそうな青い目、女のほうは髪と同じ朱色の剣客らしい目。
そのおめめがですね、油断なく、だがさりげなく、おれ、クリストフ、そしてカウンターのジャックへとポーカーの手札でも配るように見つめてくる。
ジャックがカウンターの下の山刀みたいに大ぶりのナイフへ手を伸ばす。
いまはサルヴィアソと戦争中だ。
いちおう警吏たちに特別ボーナスを支払って、サルヴィアソの殺し屋が市内に入ってきたら、情報をよこすようにしているが、その警戒網をくぐりぬけたやつがいないとは限らないので警戒するに越したことはない。
白髪のほうが口を開いた。
「来栖ミツルに会いたいんだが、あんたで間違いないか?」
あ、これ、殺し屋じゃない。
たぶん警察か政府のために働いてる人間だ。
あんたで間違いないか、なんていかにも役人らしい言葉遣いだ。
が、油断はできない。
サルヴァトーレ・マランツァーノをだまし討ちにしたとき、リトル・ニッキー・レンジリーは部下をモーテルに閉じ込めて、三日三晩、役人のしゃべり方やしぐさを叩き込んだ。
「叔父じゃなくて、おれに用ですか?」
「この時期にドン・ヴィンチェンゾとすぐ会えるとは思ってないさ。それにきみは叔父の代行として組織をまわしている。だから、我々はきみと話したい」
「剣と銃を腰に下げたまま?」
「我々の仕事は微妙でいて、危険が大きい」
と、言ってきたのは女のほうだ。
「ふーん。ここであんたたちに訪れる危険といえば、梁からふってくる埃くらいのもんだけど、それすらほとんど掃除で拭われてる。でも、まあ、手元に剣があったほうが話しやすいなら、それでもいい。ただ、確認だけはする」
「確認?」
「クリストフ。悪いけど、二階からカールのとっつぁんを呼んできてくれ。あと、アサシンが誰かいたら、一人頼む」
とっつぁんとやってきたのは、マリスだった。
腰にまわしたベルトにレイピアと左手用の短剣をつけ、二人の客の左側の位置についた。
その距離は体を伸ばし切った突きを繰り出して、相手の心臓を親指の太さ分だけ貫通できる間合いだ。
カールのとっつぁんを見るなり、白髪頭のほうが自分の頭の後ろを叩きながら、
「いやあ、カルデロン判事。しばらくぶりですな」
「判事はやめたんだ。今は隠居暮らしの身でね。来栖くん。紹介しよう。彼はアルストレム・ヴィーリ。〈青手帳〉の人間だ」
〈青手帳〉。
ロンドネ国王直属の諜報機関。名前の由来は諜報員が集めた情報は全て国王のみが読むことのできる青い手帳に記載されることからきている。
ロンドネ版のCIAといったところだ。
名前だけはきいたことがあったが、こうやってその工作員と直に会うのは初めてだ。
マフィアとCIAはキューバ危機が起きたあたりではなかなかの蜜月を築き上げていたと言われている。
それを考えると、まあ接触すること自体は悪くない。
「アルストレムはこれでもまだ二十九歳だ」
カールのとっつぁんはそれがたまらなくおかしいらしく、くすくす笑った。
「まだ二十八ですよ。判事」
苦笑いしているアルストレムを見ると、確かに頭は真っ白で細く整った口髭は灰色だが、顔つきは皺がまったくなくて若々しく、肌の色つやも赤んぼみたいにいい。
もう一人の女剣士はエレアザーレ・ロスダ。
やはり〈青手帳〉の一員――ということ以上は教えてくれなかった。
なんか飲み物をと言って出したジン・アンド・ビターズを、
「こいつはきくなあ」
と、飲み干すあたり、アルストレムは砕けた策略家タイプに見えるし、黙って一口、また一口なエレアザーレは仕事命の女剣士といった感じだ。
「こんなふうに氷が簡単に手に入るのはうらやましいこって。うちの官房にも魔法使いはいますがね。まあ、正確には弓術士なんだが、そいつのつくる氷がまずいのなんの」
「コールド・ドリンク目当てに来たんなら、ミント・ジュレップを勧めるっすよ。これからの季節、ああいうスカッと冷たいのがほんと重宝しますからね」
「真夏の暑い時期に仕事をさぼって、ここに入り浸るのも悪くないなあ――と、まあ、それでも仕事はしなきゃいけないわけで」
アルストレムの賢しげな青い目が上目遣いにこちらを見る。
「サン・グレの一件なんだがね」
「一応、言っておくと、うちはサン・グレの件なんて、なにも知らないんだ」
「そいじゃ、仮定の話にしておこうかな」
「仮定の話」
「サン・グレの街がどうなってるか、だいたい知ってはいますかい?」
「事実上の軍事独裁みたいなことになってるときいた」
「その通り。ただ、ロンドネ王国はこうした国家内国家が出来上がることをよしとしない。辺境伯戦争――いまは停戦してるが、これだけでも手一杯なのに、サン・グレの街が武器を持った兵隊崩れの天下とあっちゃ、エスプレ川を使う内陸部への交易にひびく」
「それについちゃ、あんたたちはサルヴィアソと交渉すべきなんだ。おれの叔父さんじゃなくて」
「言ってきくようなやつなら苦労はしない」
「会ったことが?」
「仕事の関係で三回ほど」
「いつも機嫌の悪そうな顔をしてるよなあ。仮定の話だけど」
「そうなんだなあ。仮定の話」
「仮定の話、うちのファミリーがサルヴィアソとトラブルを抱えていて、さらに仮定の話、ここに叔父さんがいたら、あんたたちは何を頼むつもりだったのかなあ」
「サルヴィアソをぶっ殺してくれと頼む予定だった」
「そりゃすごい。でも〈青手帳〉にも仮定の話、暗殺者の一人や二人飼ってるんじゃないの?」
「仮定の話、まあ二人はいる。が、いたとしても、うちでやるわけにはいかない。サルヴィアソは名誉子爵の地位を持っている。その名誉子爵の地位は代が変わるごとに国王陛下が勅任する。つまり、サルヴィアソは勅任官位を持っている。そんなやつを国王陛下の機関で禄を食んでる暗殺者がやっちまったら、国王陛下の勅任に誤りがあったと認めるようなもんだ」
「一国の諜報機関の暗殺者が手掛かりを残すようなヘマをするんすか?」
「手掛かりは残らずとも、人は噂話をする。いいかげんな憶測で〈青手帳〉が殺っつけちまったって噂が流れれば、たとえ尻尾をつかまれる証拠がなくとも、おしまいだ。王の名に瑕がつく。ただ、もし、サルヴィアソと対立している〈商会〉が殺れば、それはただの抗争事件として方がつく」
「仮の話として、国王は無傷でいられる」
「その通り」
「うちは別にサルヴィアソと揉め事なんかない善良な商売人だけど、仮にうちがサルヴィアソと抗争をしていて、あんたたちにいいようにサルヴィアソをぶち殺したら、いったいどんないいことがあるのか」
「知りたい?」
「ぜひ知りたいっす」
「あんたらはカネで殺しは請け負わないときいた」
「仮定の話」
「そう。仮定の話。だから、もしあんたらがサルヴィアソを始末したら、〈青手帳〉は個人的に恩に着るだろう」
「それだけ?」
「おれは下っ端なんで、約束できるのはそれだけ」
「支援なしでサルヴィアソをぶち殺したら、〈青手帳〉に一つ貸しができる、と。これが取引?」
アルストレムはうなずいた。
バカバカしいと普通なら蹴るところだが、まあ、いいか。
諜報機関とコネができることがどれだけ得になるかは未知数だけど、相手はこっちのことをそれなりに調べてきてるんだから、うちに借りをつくったら、どうなるかくらい、すでに考えているんだろう。
「仮にその取引を呑み、サルヴィアソをぶち殺し、サン・グレがうちの縄張りになるか、傀儡のボスを新しく立てるかすれば、当然、エスプレ川の河口を使った密輸はうちの独壇場になる。それに対して、〈青手帳〉が介入しないってだけでは、その借りを返したことにはならない。そのことをそちらのボスは理解してくれるんかな? そうでないってんなら、お帰りはあちら。もちろん、理解する、末永くお付き合いしたいってんなら、おかわりはあちら」
アルストレムは満面の笑みでジン・アンド・ビターズのキンキンに冷えたやつをおかわりした。




