第四話 ラケッティア、前々から思っていた疑問。
菫色の夕暮れのなか、立ち並ぶ〈銀行〉からは酒と煙草と封を切ったばかりのカードの匂い、役所から自宅へ帰る役人たちは明日はもっとたくさんの賄賂を取れるように頑張ろうと建設的。
他にも拳闘士が殴り合うのを見ながらカツレツが食えるレストランや銅貨二枚とブリキのカップを置けば粗悪な密造酒を注いでくれる小さな窓なんかもあるが、十一歳の少女を喜ばせるものというと、これは難しい。
サンタ・カタリナ大通りは対象年齢十八歳以上の通りなのだ。
「うーん、なんかないかなあ。ヴォンモが好きそうなもの、ないかなあ?」
すると、ヴォンモは嬉しそうに、ふふっ、と笑いながら、
「マスター。おれ、行きたいところがあるんです」
「お、ホント? どこどこ?」
「アルトイネコ通りなんです」
サンタ・カタリナ通りを東へふらふらしていたのを踵を軸にぐるっと百八十度転身して、西は石造りの建物が並ぶアルトイネコ通りへ。
ちなみにそのあいだもヴォンモがおれの手をぎゅっと握っている……おれ、もうロリコンでいいや!
「さて、アルトイネコ通りに着いたけど、まさか行きたいところって治安裁判所じゃないよね」
「はい。ここからシデーリャス通りに出ます。そうしたら、シデーリャス通りをまっすぐです」
大邸宅ばかりが目につくシデーリャス通りには十歩ごとに大きなカンテラが下がっていて、夜闇を薙ぎ払い、盗人の類を寄せ付けない。
邸宅の持ち主のほぼ全員が盗人であるにも関わらずだ。
盗み方はいろいろあって、市の金庫から直接金貨を鷲づかみにするのもあれば、インチキサイコロやしるしをつけたトランプで上げたのもある。
そいつら盗人どもに共通しているのは「おれは盗んでもいいが、お前は盗むな」だ。
シデーリャス通りやサン・イグナシオ大通りに邸宅をもった選ばれし盗人たちは自分よりもランクの低い盗人が自分から盗むのも嫌がるし、通りに盗人が足を踏み入れるだけでも嫌がる。
てめえ勝手な話。
盗人対策のつもりか、大聖堂の中庭や船員教会にたむろしてるごろつきどもを雇って束ねて自警団などと言わせているが、これが油っ気たっぷりのボロ着にでかい剣をさげた不潔で物騒なやつらで、一か月は風呂に入ってないヒゲ男や蛮刀でやられた傷痕が顔にばっちり残ってるやつなど、どう見ても、邸宅街の景観を損ねている。
そういえば、クリストフからきいた話だが、あいつ、もう二度ほど、このあたりの邸宅をやったらしい。
カラヴァルヴァには私腹を肥やす貧民泣かせの悪党だらけで忍び込む先に困らないのだそうな。
おれはやめとけと言ったのだが、クリストフは予告状なんか出しやがるもんだから、ターゲット側に雇われた自警団や警吏たちの面目丸つぶれ。
ちなみにクリストフは盗んだお宝を銅貨一枚だって懐に入れたことはない。
まあ、かかった経費だけはとっておくらしいが、それ以外は手をつけない。
みーんな貧乏人にばらまく。
一度見たことがあるが、あれはすごい光景だったな。
そんなわけでカラベラスみたいな貧民街では怪盗クリスの名前は守護天使のおまじないみたいに唱えられているが、派手にやり過ぎたのも事実。
どうも聖院騎士団が調べ始めている気もする。
言わんこっちゃねえ。
聖院騎士のおたずねものになるのは考えているよりずっとしんどいのだ。
「そういえば、ヴォンモはクリストフからもいろいろ教わってるんだってな?」
「はい。クリストフさんにはガジェットの使い方を教わっています」
「ガジェット? 手品の小道具みたいなもん?」
「はい。もし、マスターがご迷惑でなければ――実際にやってお見せしましょうか?」
「ぜひともお願いしやす」
次の瞬間、ねずみ花火みたいに回転する小さな玉から真っ白い煙が噴き出して、ぼふっ! なんも見えなくなった。びっくらこいて、ヴオア!とか叫んじゃったよ。
煙が溶けるわたあめみたいに消えたら、なんてこった、ヴォンモまで消えちまった。
「上ですよ、マスター」
「上。上になんぞある――って、おわ!」
遥か上空、というと大げさだが、地面から十メートルくらいの高さでヴォンモが宙に浮いていた。
あちこちの邸宅で行われている庭園パーティの灯りのなかをゆらゆら揺れているが、翼が生えたようには見えないし、超高い竹馬に乗っているわけでもないらしい。
というより、種明かしを求める観客意識よりも先にそんなところから落ちたら危ないという保護者意識のほうが働いた。
「おーい、降りてこいよ。落ちたら、危ないから」
「大丈夫です、マスター。こうやってしっかり革具でつながって――って、うわっ!」
結論から言うと、腕、めちゃくちゃ痛かった。
でも、ヴォンモに怪我がなくてよかった。
「ごめんなさい! おれが調子に乗ったから……う、う」
睫毛に縁取られた大きな目がじんわり涙で潤んだので、おれは慌ててヴォンモをお姫さまだっこしたまま、大丈夫、こんなのぁどうってことないんだよ、と嘘を吐いた。
実際はこれ以上腕が上がらなくて、小さく前へならえもできない状態だが、それをヴォンモに気づかれるようじゃあ、マスター独占日の甲斐がない。
「そ、それよりも、さっきの種明かしがききたいな」
トリックの正体は気球だった。
半鳥半人の息吹と呼ばれる非常に軽いガスを圧縮して玉にしたものがあり、折りたためばポケットに入る気球袋に(これが下から見ても分からないように夜空に似せて星まで描かれていた)そいつを入れて、圧を解けば、あっという間に気球で空に浮かべる。
この手のガジェットは闇マーケットにある怪盗専用ガジェット屋があるらしい。
「へー、そりゃ面白そうだな。いつか、案内してよ」
「はいっ!」
ぱあっ、とヴォンモの顔が明るくなる。
そんなふうに話してるうちに、シデーリャス通りが尽きて、ロデリク・デ・レオン街へと出る。
「なあ、ヴォンモ。行きたいところって本当はどこだったんだ?」
「……本当はなかったんです。行きたいところ」
「へ?」
「でも、少しでもマスターと一緒に歩きたいから――二人だけの時間を少しでも長くしたかったから、わざと遠回りな道を言ったんです。ごめんなさい」
……ちょっと、奥さん、ききました?
あーっ、なんでこんなに健気なんじゃあ!? なんでおれのことを好いてくれるんじゃあ!? これはアサシン娘たちにも言えるし、フレイにだって言えるけど、もっとイケメンで、もっと強くて、もっと優しいやつ、いくらでもいるじゃん! カルリエドとかエルネストとか! トキマルはまあ、めんどくさがりだけど、あれだってジャニーズ事務所に叩き込めば、それなりにファンは付きそうな顔してるし、ダンスはお手の物だろうし、ジャックは飲み物で大人の時間を演出することができるし、同じ歳のおれたちよりもずっと大人びてるところの魅力たっぷりだし、クリストフなんて実際怪盗キッドみたいなことしてるし! 怪盗のときのクリストフはめっちゃレディファーストでユーモアもあるし!
それに比べて、おれなんて、数当て賭博走らせたり、ラム密輸したり、高級娼婦とWin-Winな協定結んだり、スロットマシン普及させたり、高額レートのポーカー主催したり、街一番のクオリティのポルノ販売したり、労働組合犯罪仕掛けたりするくらいしか能がないのに、なんで、この子たちはこんなにいい子なのか!? わけわからん!
ハーレムだからか!? それだけで納得できるわけないだろ! このボケ! ハーレムと言ったら、イースト・ハーレム116丁目だろうが! そこで1930年8月15日にジュセッペ・“クラッチハンド”・モレロが殺されたんだぞ! リトル・ニッキー・レンジリーが殺ったんだぞ! しかも、モレロが数えていた高利貸しの上り二万ドルをボーナスとしてゲットしたんだ! どうだ、分かったか! 分かんねえだろ、おれもさっぱり分かんねえ! あーっ、しんどい! 尊過ぎてしんどい!




