第十三話 騎士判事補、訴訟地獄。
またか。
ロランドは舌打ちを我慢する。
またマンドラゴラ関連の訴訟だ。
所有権が二重になっているならまだいいほうで、三重、四重、最悪は十七人が同じマンドラゴラに所有権を訴えたものまであった。
他にも取引の手数料を売り手と買い手のどちらが持つのかでもめるケースもあれば、遺産相続絡みの地獄のあやとりもあり、権利、特記事項、保証、信用状といった悪意の書類の数々がもたらす破滅的な仲違いが婚約や結婚を解消し、親と子の縁をばっさばっさと切りまくった。
裁判で儲かるのは代言人や代訴人たちで訴状をつくると手数料がもらえる、さらに別箇提出用の謄写をつくるとまた手数料がもらえる、上訴すると手数料、上訴の訴状と謄写で手数料と依頼人のカネをむしり取る。
オリーブ通りの聖院騎士団支部には裁きを求める人々でごった返していた。
みながみな自分の訴訟を有利に進めることしか考えず、代言人の控室では臆面もない証拠偽造や偽証人の価格がマンドラゴラ同様に投機の対象になっていた。
もちろんそれらは違法であり、地下牢には詐欺師、相場師、代言人、代訴人、〈商会〉の下級構成員、大物では客のマンドラゴラを横領した王立取引人が一人、要塞監獄に送られるのを待っている。
ところが要塞監獄に送られた途端、賄賂で再審を買い、それを治安裁判所に持ち込んで、無罪評決を得て、野放しになるということが繰り返されていた。
訴訟は迷宮だった。
治安裁判所の判事たちは買収できるからそっちで訴えるのがいいというものもいれば、強欲だがちょっとだけ正直な連中は買収が効かないからこそ聖院騎士団で訴えるのがいいと言った。
うんざりしているのはイヴリーやアストリットも同じで、アストリットに至っては審議の簡略化と称して、大きな袋に原告と被告を詰め込んでエスプレ川に放り捨てて生き残ったほうが勝ちということにしようとしたが、バタバタ動く袋の紐を結んでいるところでロランドが慌てて止めさせた。
「気持ちは分かりますが、アストリットさん、いくらなんでもまずいですよ」
「このほうが後腐れがないぞ」
「どちらも浮かんでこなかったらどうするんですか」
「それが狙いだ。言わせるな、恥ずかしい」
「え、ええー」
一方、イヴリーはというと、足を突っ張って背中を自分の部屋のドアに当てて、内側から開かないようにしていた。部屋はどうやら修羅場らしい。
ドアはこぶし大の雹にでも打たれたみたいな音を鳴らし、今にもイヴリーを弾き飛ばしそうな勢いだった。
「なかにいるのは?」
「マンドラゴラで一山当てた粉屋とその奥さん、愛人が一人、隠し子が一人、奥さんも愛人も知らなかったけどなぜか隠し子は存在を知っていた別の愛人ですが、これがたったの十五歳です。このこんがらがった問題の解決の糸口を握るのは奥さんが飼ってる犬のパオロらしいんですが、わたしにはさっぱりです」
「学者犬なのかもしれないな」
「学者犬?」
「計算ができる犬を大道芸で見たことがある」
「あ、わ! も、もう抑えきれないかもしれません。イヴリー・ド・ラ・リシュ=ヴィルクルは騎士として立派に死んでいったとみなさんに伝えてください」
「ちょっと待っててくれ。すぐ戻る。なんとか持ちこたえろ」
ロランドは捕り方の物置部屋から身柄拘束用の大きな手かせを持ってくると、それをドアノブにガチャンとかけて、鍵を捨てた。
「これで出てこれないだろ」
「助かりました。ありがとうございます。ロランドさんは命の恩人ですね」
大げさなこと言うなよ、とロランドがその場を立ち去ると、イヴリーがトコトコついてきた。
「なんでついてくるんだ?」
「先ほどごらんになった通り、わたしの職場にはしばらく戻れないので、先輩騎士判事補であるあなたの仕事を退屈しのぎ――こほん、勉強のつもりで見学したいんですけど、いいですか?」
「なんか含みがある言い方だけど、まあ、いいよ」
「はい――ありがとうございます、って、あの、あなたの部屋はこっちではありませんよね?」
治安判事のコルネリオ・イヴェスは聖院騎士団支部の三階にある続き部屋を借りて仕事をしていた。
裁判所と騎士団の人事交流の一環ということになっていたが、実際はこの未曽有の贈収賄チャンスに賄賂の効かないイヴェスがいてはうまくいかないということで、体よく追い出されたのが真相だった。
ただ、イヴェス本人、穴だらけヒビだらけの自分の仕事部屋に代言人や投機家のスパイがへばりつくのは面白くないし、司法の公平性を保てないと思っていたので聖院騎士団に仕事部屋をつくることができたのはまんざらでもないらしく、折り畳み式の寝台を持ち込んで仕事をしていた。
「失礼します、イヴェス判事――いてっ」
ドアを開けた途端、何かがコツッとロランドの額に当たった。紙飛行機だ。
「ふーん。最高記録だ」
ウナギの寝床みたいに奥行きだけはある部屋の奥に事務机があった。
イヴェスの机なのだが、その椅子は助手のギデオン・フランティシェクが座っている。
「イヴェス判事は?」
ギデオンは紙飛行機を降りながら、小さな顎で続き部屋のドアを差した。
「寝てますよ。明け方五時まで働いてましたからね。先生は物凄く寝起きが悪いんです。大事なことだから二度言っておきましょうか。先生は、寝起きが、物凄く、悪いっ!」
「わかった、わかった。で、お前は何してるんだ?」
「見ての通り、審議の簡略化を実施しています」
「ここでもか。原告と被告を袋詰めにするのか?」
「嫌ですねえ。しませんよ、そんな野蛮なこと。それぞれの訴状で紙飛行機をつくって遠くまで飛んだほうが勝ちです」
よく見れば、ドアから事務机までのあいだに紙飛行機が散らばっている。
これら全てはみな効率化の犠牲者として静かに抗議の横たわりをしていた。
「外で訴訟に目を血走らせてるやつらのことを考えると、お前のしてることは悪魔そのものだな」
「まさか! むしろ逆で、こうやって審議があっという間に片づくことは原告と被告の両サイドにとって良いことなんです。裁判がもたらす金銭的負担は莫大です。どれだけ大金をもって訴訟に臨んでも、代言人と代訴人が手のひらサイズの人食い魚の群れみたいに襲いかかって、あっという間に骨までしゃぶられます。知ってますか? 原告サイドの代言人と被告サイドの代言人が裏で手を組んで、わざと訴訟を長引かせるんです。これには代訴人も絡んでいて、裁判が長引けば長引くほど、弁護料が増え、訴状も増えて手数料がもらえる。訴訟がどっちかに決まりそうになったら依頼人の味方ヅラして審理無効、裁判は最初からやり直しになって、やり直しの弁護料とやり直しの訴状作成手数料が発生するわけです。それに比べるとぼくのしていることは万人に喜ばれます。弁護料も手数料の最小限で判決が出ますからね。悪徳代言人に出る幕はなし、なわけです。感謝こそされても、恨まれる筋合いはありません」
「もういい。それよりイヴェス判事と話がしたい」
「さっきぼくが言ったじゃありませんか、二度も! 先生は、とても、寝起きが、悪いん、です!」
ギィイデォオオオオオオン!
隣りの部屋から助手を呼ぶケダモノじみた咆哮。
キィィと軋みながらひとりでに開く扉。
「あーあ。先生が起きちゃった。ぼくは知りませんよ。だいたい――ぴぎゃん!」
続き部屋の暗がりから飛んできたのは切ったサラミなんかを焙るのにちょうどいい小さなフライパンだった。
それがギデオンの頭に命中すると、この華奢な助手は足を真上に伸ばして背中から倒れてしまった。
「我が眠りを妨げるものは誰だぁ……」
ロランドは素早く扉を閉めると、ドアノブの下に椅子を斜めにかってやった。
ドアノブが乱暴にガチャガチャ鳴り出したが、椅子は頑丈で大きさもちょうどよかった。
ドアを押せば押すほど、ドアノブの下から床まで斜めになった椅子がうまく踏ん張る。
しばらくすると、シーンとなり、どうやら魔王の封印に成功したようだった。
頼みのイヴェスやアストリットまでがこのありさま。
今や聖院騎士団を支配しているのは狂気と欺瞞であり、発狂したもの勝ちの風潮が強くなり、法律家や投機家たちは先を争って発狂した。
発狂は成功の秘訣だった。
発狂した途端、マンドラゴラ価格が上がり、リスク保証そのものを売り買いする新しい金融商品が続々と生まれ、今朝ぶん殴って家出した女房が戻ってくる。
「ったく。これじゃ、ろくにクルスを捜査する時間も取れない」
「わたしだって怪盗クリスを捕まえる時間が取れそうもありません」
「マンドラゴラさまさま、ってわけだ。迷惑な話――って、あれ、クルスじゃないか」
「まさか。クルスが自分から聖院騎士の本拠地に顔を見せるわけありませんよ。見間違いじゃないですか?」
「そうだよなあ。疲れてるのかなあ。いないはずのクルスが見えるなんて」
勘違いではなかった。
本当に来栖ミツルがクリストフとジャックを連れて、聖院騎士団の本拠地へのこのこやってきたのだった。




