第七話 ファミリー、それぞれのバブル・その2。
マンドラゴラ・バブルのせいでジャックが文字通り苦い思いをしていた。
せっかくマンドラゴラ・ビターの製法を確立して、カクテルのレパートリーに新風を吹き込もうと思ったのに、その直後、マンドラゴラが暴騰して、材料の確保が絶望的になったからだ。
一瞬、昔取った杵柄の暗殺でマンドラゴラ購入費用を稼ごうかと思ったが、そのことについては来栖ミツルが禁止していたし、来栖ミツルはジャックが人を殺すことをとても申し訳なく思っている様子なのでためらわれた。
正直な話、正当防衛や来栖ミツルを守るための殺人については別に良心は痛まないのだが。
結局、ジャックはちょうど助手を欲しがっていたクリストフと一緒に怪盗の真似事をして、マンドラゴラ購入のための資金を稼いでみようとたくらんだ。
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クリストフはカラヴァルヴァにやってきて以来、怪盗クリスとなって、(もちろん来栖ミツルの許可をとってからだが)あくどい金持ちから華麗な手口で盗んだカネを貧乏人や詐欺の被害にあった人々にばらまく義賊的な行動をとっていた。
そのたびにいまや聖院騎士団の騎士判事補となったイヴリーにしつこく追いかけられるのだが、怪盗クリスは一枚も二枚も上手で見事に姿をくらませるのだった。
そんなクリストフの問題はお宝のマンドラゴラ化である。
悪いやつらの邸宅に忍びこみ、その金庫を開ければ、以前は純金でできた鷲の像やクルミ大のダイヤをハメた王冠といったロマンティックなお宝が入っていたものだが、今はどこの悪党たちも金庫にまだ土も落としていないマンドラゴラを入れていて、苦労して盗むわりにはなんだか張り合いがなかった。
しかし、助手のジャックはそのマンドラゴラこそ欲しかったお宝だと言って、持ち返る。
「そんなもん持ち返ってどうするんだ?」
「わかってないな。これで夢のようなジン・アンド・ビターズがつくれるんだ」
「これ、飲むのか? マジかよ」
マンドラゴラを飲む。
ジャックのやろうとしていることは銀取引所の投機家たちから見れば、狂気の沙汰だった。
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狂気の沙汰というと、印刷所軍団のディアナが何をトチ狂ったのか、マンドラゴラ(♂)とマンドラゴラ(♀)が絡み合うすっぽんぽんなエロ絵を描いた。
もともと畑の土以外の何もまとっていないすっぽんぽんのマンドラゴラなので何を今更という感じもするが、そこは画伯、二人(?)のマンドラゴラがなまめかしい動きで絡みつく絵は説明しがたい猥褻さがあり、マンドラゴラ・バブルの真っ最中であるカラヴァルヴァで飛ぶように売れた。
購入者たちは投機がうまくいくおまじない札がわりに買っていたのだが、そのうちヒトではもうダメ、マンドラゴラじゃないと興奮しないというコアな客層が開拓された。
のちにバブルが弾け、多くの人々がマンドラゴラなど見たくもないとツバを吐いたそのときも、マンドラゴラ春画だけは魔族居住区の印刷所でガッタンガッタン生み出され続け、クルス・ファミリーのポルノ・ビジネスは盤石のものとなったのだった。
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ギル・ロー、ディアナと来ると印刷所三羽ガラスの最後の一人、アドリアン・フストが気になるが、あれだけのバクチ狂だから、さぞ取引にどっぷりつかって、けちょんけちょんに負けているだろうと思う向きもあるだろう。
――が、意外にもフストはマンドラゴラ取引にまったく興味を持たなかった。
「あんなのバクチじゃねえよ。バクチの風上にもおけねえ。商人の売り買いじゃねえか。仮にもギャンブラーを自称する人間があんなもんに血道をあげちゃあおしまいよ。――え? じゃあ、お前のいうギャンブルってのはどんなのだって? おれに言わせりゃあ、ギャンブルってのは記憶力とか洞察力とかでガンガン頭を使って慎重に動いて、それでいて一気に攻めると決めたらガンガン攻める大胆さもまた必要で、それに運を自分のほうに引っぱってくるくらいの強引さが必要だが、そんななかにも洗練されたルールがあって、そいつがまたゲーム全体の品位を高めてくれるような――って、おい、オレンジが売ってるぞ! あれを丸ごと一個、口のなかにに入れられるか、賭けようぜ!」
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マンドラゴラ・バブルが始まってから、〈フライング・パンケーキ・モンスター〉は大わらわだった。
劇場はマンドラゴラであぶく銭をつかんだ成金たちでいっぱいだった。
支配人のアレサンドロは新しい客筋のために踊り子たちの槍騎兵風の制服のスカート丈を二センチ詰める必要があることを説明し、ブーイングする踊り子たちに特別手当ととてもおいしいパンケーキを供給することを約束しなければいけなかった。
彼はせっせと働き、稼いだ分をせっせとマンドラゴラの購入にまわしていた。
というのも、パンケーキ仲間の会合で、金銭的に余裕のあるものはマンドラゴラ投機に積極的に参加すべしという通達があったのだが、それもマンドラゴラで得た資金で持って、パンケーキ慈善院をつくるという崇高な目的があったからだ。
パンケーキ慈善院。
訪れたものは誰でもターコイズブルーのパンケーキを好きなだけ食べることができる。
病気のものは卵を多めにした滋養パンケーキを食べて病と闘うための力を得ることができるし、気鬱のものは空飛ぶパンケーキに乗って晴れやかな気持ちになれる。
世界をパンケーキの愛で包み込むのだ!
こうしてパンケーキ仲間はマンドラゴラ価格の上昇をパンケーキに還元して世界を救うという使命を共有し、いつの間にか欲の皮のつっぱらかった相場師が仕掛けてくる売り注文を情け容赦なく粉砕する強力な商品引受誓約団となったのだった。
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仕事に打ち込みつつマンドラゴラを生活の一部にしたものには〈ラ・シウダデーリャ〉の一階で居酒屋を守るシルヴェストロ・グラムがいた。
この警吏嫌いで、いつも警吏をシバキ倒す口実を探して目をぎらつかせている男はいいことを思いついた。
居酒屋を警吏や捕吏、その他治安関係の騎士や役人専用のマンドラゴラ取引場として開放するのだ。
グラムは単純な男だったから、絶対、なんてものは存在しないと分かっていた。
だから、絶対下がらない相場もあり得ないわけであり、絶対暴落しない商品もあり得ない。
だから、グラムは警吏たちを焚きつけて大いにマンドラゴラを買わせ、せいぜいいい夢を見させて、暴落後に警吏たちが絶望する姿をつまみにうまい酒を飲んでやろうと思っていた。
――そう思っていたはずの自分がいつの間にか、マンドラゴラを金貨10枚分も買っていたことについて、グラムはひたすら首をかしげていた。
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仕事に打ち込んだものがもう一人。それはトキマルだった。
マンドラゴラ商会本部でもらったマンドラゴラをちまちま売ったり買ったりしていったのだが、もともと耳はいいので、銀取引所の土壇場でささやかれるマル秘情報がひょいときこえたりする。
みなが欲しがる重要な情報を獲得することは忍びの使命であり、諜報員としての本能が目覚めたのか、トキマルは影に潜り、風に言葉を運ばせ、緊急の手紙を盗み取って、様々な情報を集めるようになった。
必要とあらば女装して、〈槍騎兵〉や〈パンケーキ〉で秘密情報を得たりしていた。
ところが、トキマルの情熱はそこまでだった。
忍者としての誇りを満たされると眠気と怠け癖が襲いかかり、ハンモックで惰眠を貪っているあいだに先んじて手に入れた情報は鮮度を失い、大儲けのチャンスをパーにした。
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バブルにおいて、カルリエドら魔族たちは――、
「ヒューマンのブラッダ、すごいんよー。カルリエド、マンドラゴラゴラに金貨三十枚なんてペイできんだやー」
「マンドラゴラゴラは食べると苦いだやー」
「目がチカチカするほどマズいんよー」
「でも、地面から引っこ抜いたときの声はとてもきれーだや」
「一日じゅうきいてても飽きないだや」
「きっとヒューマンのブラッダ、あの鉄板フォークで引っかいたみたいなラブ声ゥメロメロなんよー。だから、みんな欲しがるんだや」
「そこ気がつく、カルリエド、まじサタンなんよー」
「照れるだやー」
――魔族はどんなときでも魔族だった。
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〈パンケーキ〉にて成金たちが景気よく高級ワインのコルク栓を開け、二センチ短くなったスカートに飛びかかろうとしているわけだから、当然、カジノでも成金が幅を利かせた。
ロムノスももふもふも投機に興味はなかったが、投機が彼らを引きずり込もうとしているのだから、しょうがない。
二十五階の果樹園で行われる高額ポーカーは、以前は金貨10枚から開始だったが、今では金貨100枚からの開始にレートが上がった。
お客さまアンケートに「金貨対応のスロットマシンをもっと増やせ」という書き込みが何十通と舞い込んだ。
成金たちは勝った額よりも、むしろ派手に負けて大金を失った自慢をした。
「物事がゆがんでるでち!」
「大変でち! 王さまは何て言ってるでち!?」
ミツル王は金貨200枚をもふもふたちに与え、「(利潤を)産めよ、増やせよ、地に満ちよ」と言った。
「産むでち!」
「増やすでち!」
「地に満ちるでち!」
王にはどこまでも忠実なもふもふたちは、若干おろおろして止めようとするロムノスを無視して、銀取引所へ大名行列。
ただ、奇妙なことに金貨200枚でマンドラゴラを買いに来たもふもふたちがどうした手違いがあったのか、非分割取引愛玩対象になってしまい、もふもふ一匹につき金貨200枚の値段がつけられてしまった。
そして、これもどうした手違いか分からないが――いや、頭に生えているケモミミのせいだろう、ロムノスは供給業者と見なされた。
マンドラゴラにとってのセディーリャがいるように、もふもふにとってのロムノスというわけだ。
哀れ、ロムノスはカネの下僕と成り果てた投機家たちに追いかけ回される。
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こうして残りは〈インターホン〉、カルデロン、それに新入りの狙撃猟兵シャンガレオンである。
もちろんバブルは彼らにも数奇な運命を用意していた。
三人は来栖ミツルの音頭のもと、恐喝組織『ブラックハンド』の一員として成金たちを片っ端から恐喝にかけていくことになる。




