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ラケッティア! ~異世界ゴッドファーザー繁盛記~  作者: 実茂 譲
ウェストエンド 脱税のカノーリ編
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第十話 ラケッティア/騎士判事補、鍛冶の園にて。

「持ってみろ。ほら、羽のように軽い。だが、こいつなら板金鎧プレートメイルの胸甲だって貫ける。切れ味も抜群だ。刺したはいいものの骨に引っかかって抜けないなんてマヌケなことにはならない」


 ロランドは短剣を手に乗せてみた。

 粗悪な合金を使ったらしく、柄と刃のバランスがしっくり来ない。


 首をふって、短剣を鍛冶屋に返し、左手に持っている食べかけの焼き菓子をかじった。


「しかし、ここのやかましさはちっとも昔と変わらないな」


 金属を打つ音。巨大なふいごの喘鳴ぜんめい

 炉が薪を食らう音。水に突っ込まれた焼けた鉄が吹くあぶくの音。

 そこに物を売ったり買ったりしようとする人間の声が十重二十重とえはたえに重なる。


 スミスフィールド。

 ウェストエンドで金属を扱う人間なら知らぬもののない鍛冶市場。

 刀鍛冶、錠前工、鋳掛屋、甲冑職人に板金を供給する鋳物工場など金属加工の技術を持つものたちが市場の大屋根の下で場所を区切って商売をしている。

 騒々しい市場の通路をロランドは目的を隠して歩いている。


『スミスフィールドでフライデイ商会がクルスという男と会合を持つ』


 昔、フライデイ商会の私闘フェーデ支援でひどい目を見た零落騎士からの情報だ。


 ここ二か月、このクルスなる人物がウェストエンドの暗黒街で急速に頭角を現しつつある。


 だが、その姿も年齢も、性別すら分からない。

 だが、ヴァレンティ商会はこのクルスに興味を持ち、ファウスト・ヴァレンティその人が直に会ったという。


 そして、今回のフライデイ商会との会合。


 ロランドのカンはコーサ・ノストラの四人のアサシンをクルスが継承したと思っている。


 そうでなければ、ヴァレンティとフライデイがこんな短時間に相次いで会いたがる理由が分からない。


 クルス、という人物について、あちらこちらでさりげなくきいてみたが、どれも空振りに終わった。

 だからこそ、このスミスフィールドでの会談を探りたい。


(だが、うまくいくかな。この騒々しさじゃ、盗み聞きなんて無理だ)


 なんとか会合に近づく手段はないかと考える。


 突然、ガラガラ声に呼び止められた。


「そこの坊主。いいナイフがあるぜ。見ていかねえか? ぶっ殺したいやつはいるけど、ムショには入りたくねえってんなら、いい買い物になるぜ」


 深い血流しを刻んで殺傷力を高めた短剣を持ち出して、殺人をそそのかす鍛冶屋は目の前の少年が聖院騎士だとは夢にも思わない。


 ロランドは髪の色と同じあかのレザーアーマーをつけ、やや細身の武骨なロングソードをベルトで下げていた。

 そして、変装のキモとして、黒い厚手の脚衣レギンスに縛りつけた短剣用の鞘は空っぽになっている。


 だから、スミスフィールドをうろつくロランドの姿は、なくした短剣のかわりを物色している駆け出しの傭兵剣士か何かにしか見えない。


 ウェストエンドに戻って密偵を始めた最初のころは長いこと留守にしたこの街にとけ込めるか気を揉んだが、なかなかどうしてやってみると簡単にいく。


 今だって、吸いなれた古巣の空気が孤児院の教育機関で苦労して身につけた行儀作法や教理問答をすんなり外に追い出し、生粋のウェストエンド生まれにしかできない悪たれ口をたたかせた。


「冗談じゃねえや。そんなバッタモンのなまくらぁ。おれのバアちゃんだってパンにバタぬるときゃ、もっと気合いの入った刃物ヤッパ使うぜ」


「ちっ、失せちまえ、クソガキ!」


 鍛冶屋に追っ払われながら、クリームの乗った焼き菓子の、最後のひとかけらをぱくりと頬張る。

 脚衣と同じ生地でできた黒い手袋に白い点々が散っているが、これは菓子に使われていたパウダーシュガーだ。


「おれがガキのころはこんなもの贅沢品だったが――」


 手を打ち合わせて砂糖を手袋から叩き落としながら、市場を見回す。

 

 すると、この新しい菓子――カノーリがあちこちで見つかる。

 大半は食べながら歩くひやかしたちの手に握られている。だが、休憩のときに食べるつもりで鍛冶屋たちが皿の上に置いたカノーリもある。


 うまくて、安くて、手軽に食べられるこの菓子がウェストエンドの街頭でデビューを飾ったのはほんの二日前だが、今ではウェストエンドのみならず、王都全体でも売られるようになり、噂では国王までがこの菓子を口にしているという。


 ウェストエンドは変わりようのない、どうしようもない場所だと思っていたが、変わることもあるんだな。


(おれはここを抜け出せた。努力はしたが、運がなければ、どうしようもなかった。途方もなく厳しく取締まれば、ウェストエンドは変われるかもしれない。でも、このカノーリみたいにまともな稼ぎが増えれば、それだけでも、孤児が犯罪に走る確率はぐんと減る)


 噂、というより、伝説の域だがカノーリをもたらしたのは一人の少年だという。

 その少年からカノーリのレシピを受け取った菓子職人曰く、少年の背中には白い翼が生えていたとか、菓子の材料を通常の半額で皆に分け与えたとか、雲が裂け、そこから差し込む金の光のなかをカノーリが降りてきたとか。


 聖職者系騎士団に身を置いているロランドからすると、どれも眉唾ものだが、人々がカノーリの出現に神の御意志を見ようとするのは事実だ。


 あながちそれも嘘ではなく、カノーリは神さまの贈り物なのかもしれない。


 ロランドはそんなことを考えながら、鍛冶屋の冷やかしを装って、奥にあるフライデイ商会の本部へ注意を向けた。

 サイコロのような真四角、二階建ての木造で、傭兵くずれの団員が建物のまわりで睨みを利かせている。

 なんの変哲もないように見えるが、あの場所できわどい傭兵契約や麻薬密輸に関する取り決めがなされているのだ。


 見張りの目が届かない位置からその建物を見張る。


 三十分後、二頭立ての箱馬車がやってきた。

 黒っぽい衣装の少女が手綱を取り、馬車が止まると、なかからまず三人の黒装束の少女が降り、最後に老人が降りてきた。ロランドのいる位置から老人を左から眺めることができる。


 穏やかだが知性の光る眼つきをし、形のよい口髭をたくわえた上品そうな老人だ。

 そして、その老人のまわりを四人の少女が常に付き従う。同じ黒の服をつけ、感情のかけらもない目の配り方は刺客や密偵を警戒するそれであり、ロランド自身、その視線に危うくとらえられかけた。


 その視線を振り切るにはスミスフィールドを出なければいけなかった。

 ようやく少女の視界から外れたとき、ロランドは自分の心臓がひどく拍動し、息が切れ、めまいすら覚えた。


 魔法使いのなかには見つめるだけで、相手に害をなす邪眼の持ち主がいるが、それにかかったかと思うほどの動揺がまだ続いていた。


 なんだろう? あのなんの感情もない視線を見たとき、冷たい水をかけられたように悪寒が走った。

 きっとおれを殺すとき、あの少女はあんな視線でおれを見ながら、おれを殺せる。

 そんな光景が勝手に心のなかに描かれ、焼きつけられ、心臓を鷲づかみにされたような痛みに襲われたのだ。


「まちがいない。あいつらが、コーサ・ノストラのアサシン、そして、あいつがクルス……。大した自信だ。姿も殺気も隠そうとしないなんて」


 くそっ。体が震える。


 だが、必ず正体を暴いて、尻尾をつかんでみせる!


     ――†――†――†――


 ここに来るまで、一波乱あった。


 おれはあのアサシンウェアをやめたほうがいいんじゃないかなと言ったのだが、


「マスターはアレンカたちの考えた服は嫌いなのですか?」


「いや、嫌いじゃないよ。嫌いじゃないけど、なんていうか、ほら、四人一緒だと目立つじゃん? いかにもこう心のないアサシンですって感じだし、そういう顔するし。これじゃ、誰が見ても、四人ともアサシンだってバレるじゃん」


「やっぱりマスターはアレンカたちの考えた服が嫌いなのです……」


 アレンカの目が涙で潤み始めると、おれは軽いパニックに襲われた。


「いやいやいや、嫌いじゃないって。すごく似合ってるって。それに同じ格好をした殺し屋がそのおかげで目くらましできた例があることはあるよ。1985年12月16日のニューヨーク、マンハッタンのステーキハウス〈スパークス〉の前でガンビーノ・ファミリーのボス、ポール・カステラーノが手下カポレジーメのジョン・ゴッティにられたとき、殺し屋全員、毛皮帽にトレンチコートのロシア人みたいな恰好をしてたから、事件後、警察がいくらたずねても、目撃者はおんなじ格好のやつだったってことしか思い出せなくて、殺し屋の人数さえ目撃者によってまちまちになる有様で――あの、だから、うー、って言いながら涙ためるのやめて。なんかおれ、すっごい悪い人みたい。あ、急にめちゃくちゃ、あのアサシンウェアがいいものに思えてきた。だって、あれ着たアレンカかっこよさとかわいさが同居しちゃうんだもんなー! うわー、やばいなー!」


「じゃあ、アレンカは、アレンカたちが考えた服、着てもいいのですか?」


「うん、もちろん! スッゴイいいよ! うわー、見たい、はやく見ないと死んじゃうかも!」


「すぐにお着替えしてくるのです!」


 マリス、ツィーヌ、ジルヴァの三名はおれ相手に何か交渉するときはアレンカを交渉人ネゴシエーターに立てれば、一撃必殺だと思ってやがる。


 そして、事実一撃で葬り去られる豆腐メンタルのおれがいやがる。


 以上はおれがゴッドファーザー化した後の出来事だ。

 おれの声はしゃがれ声で再生してくれたまえ。


 で、現在に戻ろう。


 でっかい鍛冶市場の奥にある納屋のような事務所のようなよく分からんちんな建物で、フライデイ商会の最高幹部の面々を相手にあれこれ世間話をしている。


 フライデイ商会はフライデイさんがつくったというわけではなく、フライデイ商会発足に関わった五人の元傭兵が義兄弟の契りを交わしたのが、金曜日フライデイだったからに過ぎない。

 まだ、組織の規模が小さかったころはフライデイ兄弟団と呼んでいたそうな。


 こいつら、なかなか野心的で、いずれは正式な文書を取りつけて、フライデイ騎士団へとランクアップするのを狙っている。


 こいつらの特徴は戦争と麻薬を食い物にしていることだろう。

 ここでつくられた武器を戦地へ売りつけたり、傭兵契約の仲介をしたり、元の世界の民間軍事会社みたいなことをしていて、代金は金銭以外でも戦地の略奪品、または麻薬という形で受け取る。


 このへんは『ゴッドファーザー』よりは『ロード・オブ・ウォー』に似ている。


 さて、ここで実は一つ、大きな問題がある。


 おれの前に置かれた小さなグラス。

 なかは透明な液体で満たされている。


 フライデイの面々が注いでくれたのだが、これがウォッカ並みのお酒らしい。


 なんで、そんなことが分かったかっていうと、同じものが相手にも注がれたんだけど、そのなかにハエが一匹落ちてきた。

 すると、そいつはこんなもん飲めるかといらだって、グラスの中身を炉床でくすぶる火に捨てた。


 ボワッ! それがガソリンみたいに燃えやがったのよ。


 で、そのガソリンもどきがいま、おれの前に注がれていて、五人の幹部たちはそれをおれがいつ空けるのか不思議そうに見ている。


 このガソリン・ウォッカを一気飲みすることが求められているのは明らかだ。


 フライデイの連中はこれを飲み干せるかどうかでおれの男らしさを測ろうというつもりらしい。


 いや、そんな生易しいものではない。

 当然飲めるものと思っていて、飲めないなどということはちらりとも考えにないらしい。


 くっそー。ファンタジー異世界にはアルハラって言葉はないのか?


 おれ、ホントに一滴も飲めないんだよ。


 去年の法事の席で親戚一同集まったときに、悪乗りした大人たち、これにはおれの両親も含まれているのだが、そいつらが面白半分におれのオレンジジュースにこっそりウォッカを注いで、スクリュードライバーにされたことがあった。


 悪乗り大人軍団の言うことを信じるなら、おれのオレンジジュースに混ぜられたウォッカはほんの数滴だという話だが、おれ、そのせいで学校を五日も休んだ。

 二日酔いどころか五日酔いして。


 だから、非常にピンチだ。


 フライデイ商会の幹部たちはメンタルがヤンキーみたいなやつらで、ナメられたら終わりのチンピライズムが幅を利かせているらしい。

 たぶん、今日の顔見せもおれがどのくらいの人物かを測るための通過儀礼なんだろう。


 つまり、これが飲めなきゃナメられる。


 そして、相手がチョロいと見れば、すぐにでも喧嘩を仕掛けてくるのがヤンキーというものだ。


 もちろん、おれには無敵のアサシン少女がついている。

 抗争で負ける気はしない。


 でも、正直、いま抗争はしたくない。

 菓子職人ギルドのラケッティアリングに集中したいし、抗争が起きれば、おれは大丈夫かもしれないけど、百人を超えるナンバーズの集金係たちがマトにかけられる。

 いくら、四人が凄腕でも彼ら全員を守りきるのは無理だ。


 じゃあ、飲めばいいわけだけど、飲んで卒倒したら、もっとナメられる。


 くそー! だから、ヤンキーは嫌いなんだよ! 洗練さが足りない!


 テーブルを挟んで、五人の髭もじゃがおれを相手にナンバースのことやら、ヴァレンティのバカ息子のことやら、話しているが、そのうち、誰か一人が「おい、何で杯が空かねえんだ?」とかきいてくるに違いない。


 そうなったら、逃げが打てない。


 そうなる前に解決策を考えないといけない。


 こりゃ、転生以来、最大のピンチだ。

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