第二話 ラケッティア、セディーリャの秘訣。
一週間後、セディーリャは銀行をつくった。その名も〈マンドラゴラ銀行〉。
銀行の目的はマンドラゴラの販売業者への融資。
さて、セディーリャが銀行をつくったところでやつの錬金術の秘訣も間もなく分かった。
セディーリャは預金の引き出しに備えて金貨10枚を銀行の金庫に残し、金貨90枚をマンドラゴラを仕入れようとしている業者に貸しつける。
が、この手の商取引では借りたカネが一度に使われることはない。
マンドラゴラを買いに産地へ旅行し買い付けるためのカネをおろし、残りは銀行に預けたままにしておくものだ。
そんなわけでマンドラゴラ銀行にはマンドラゴラ業者が預けた金貨90枚が金庫にある。
これをまた金貨10枚だけ残して、別のマンドラゴラ業者に金貨80枚を貸す。
その業者がマンドラゴラ銀行に借りた金貨80枚をマンドラゴラ銀行に預ける。
すると、マンドラゴラ銀行は金貨10枚だけ残して、別のマンドラゴラ業者に金貨70枚を貸す。
これが繰り返されると、マンドラゴラ銀行の総預金高はだいたい、
90+80+70+60+50+40+30+20+10=金貨450枚になる。
元手は金貨100枚であり、金庫に実際に残っているのは金貨20枚であるにも関わらずだ。
これによりセディーリャは金貨100枚でマンドラゴラを買い付けにいく商人ではなく、扱う預金高が金貨450枚もある銀行家として自分を売り込めるし、マンドラゴラ業者への貸付金も金貨450枚あるから利子を得られる。
おまけにやつ自身はマンドラゴラを引っこ抜くツンボたちとがっちり結びついてるから、マンドラゴラ業者が商品を仕入れるのに困らない。
考えたなあ。
金貨百枚出資してよかった。
出資のルールは簡単なもので、おれはマンドラゴラ銀行設立から一か月後なら好きなときに金貨五百枚を受け取ることができる。
一か月後に自分の銀行が金貨五百枚抜かれても平気なくらいにできると自信があるわけだ。
――†――†――†――
二週間後、珍しい散歩がしたいというのでアサシン娘たちを連れて銀取引所に行ったとき、その中庭でセディーリャを見つけた。
羽振りがだいぶよくなったらしく、毛がカールした銀色の立派なカツラもかぶってる。
「マスター!」
「ふぁっ!」
「こんなかわいい女の子が四人も一緒にいるのに、へんなカツラかぶった男ばっかり見てるってどういうこと?」
「そんなに見てた?」
「そりゃあもうじろじろと」
「そんなつもりはなかったんだけどなあ」
だが、気になる。
セディーリャを囲む人ごみのなかに二人の『王立取引人』がいるのだ。
銀取引所というのは銀以外のもの、たとえば羊毛とか香辛料とかワイン、そして金塊とかも取引する場所なのだが、そこで取引ができるのは十五人の王立取引人だけで、たとえばこの取引所で鉄鉱石を買いたいなら王立取引人を挟まないといけない。
ありがたい話だ。
こうしたロイヤリティ目的の独占制度があるからこそ、おれみたいな密輸屋が儲かる。
でも、銀取引所が寂れることはないし、それどころかここはいつだって人とカネで賑わっている。
というのも、ここで行われる取引のほとんどは一か八かの危険な投機、商品取引の姿を借りたギャンブルだからだ。
取引の舞台となる石畳の広大な中庭には十五人の王立取引人の他に、一日じゅう取引所に入りびたり朝買った商品を昼に売って利ざやをせこせこ稼ぐ鞘取り屋や一発大当たりを狙う大胆な相場師がいて、儲け話の匂いがしないかクンカクンカしてる。
「むーっ! アレンカ、今日は朝から髪をすごくいい匂いがするシャボンで一生懸命洗ったのです! マスターはクンカクンカするなら、アレンカの髪をクンカクンカしてほしいのです」
「でも、どうしたって、カネの匂いがするんだよ。ああいいにほひ」
「それはマスターが変態さんだからなのです」
「えー、ロリっ子の髪をクンカクンカするほうがずっと変態だと思うけど」
「でも、アレンカ、本で読んだことがあるのです。世の中には女の子に興味が持てずに、お皿とかお人形さんとかしかクンカクンカできない人がいるって。そういう人たちは変態さんなのです」
「お皿に性的興奮を覚えるやつが変態だって意見には賛成だけど、カネの匂いとはまた別物だよ」
さて、ここで取引できるのは王立取引人だけなのだが、王立取引人は十五人しかいない。
それでカラヴァルヴァじゅうの投機家の注文をさばききれるわけはなく、そこに『仲介人』が現れる。
この仲介人は投資家と王立取引人のあいだに入って、取引をまとめ、王立取引人に投資家の売りや買いの注文を伝える。
言うまでもないが、投資家にとって仲介人を使うほうが手数料がかかる。
でも、十五人の王立取引人と直接取引できるのはよほどの大富豪か大貴族であり、彼らお得意さん以外の人間が銀取引所の投機に一枚噛みたかったら、仲介人を挟むしかないのだ。
まあ、こんなわけなので、当然、王立取引人>仲介人の図式が成り立つ。
仲介人は王立取引人に取引注文を受けてもらわないとおまんまの食い上げなので、仲介人が王立取引人を扱う様子はまるで皇帝を崇めるようだ。
そんな王立取引人がセディーリョを中心とする人だかりに二人もいる。
仲介人は数えきれない。
こう言っちゃなんだが、マンドラゴラ銀行を大きく見せるテクニックはあっぱれだが、総預金高が金貨450枚の銀行家は王立取引人からすれば、言葉をかけるのも許されない金融界の賤民に過ぎない。
それが、二人も。うわー、くそ気になる。
ちょんちょん、とジルヴァに肩をつつかれる。
「はい?」
「マスター……見てて」
ジルヴァはいつも顔を隠している布を下げて、一瞬、ほんの一瞬だが素顔をさらけ出した。
すぐ顔をいつものように隠しなおし、恥ずかしそうにマリスたちの後ろに隠れる。
すると、三人はわざとらしく、
「わー、ジルヴァが顔を見せた(一瞬だけど)」
「マスターに気にしてもらいたいに違いないのです」
「男だったら、ここは気にかけるところよねー」
そこまで言われたら、はい、そうですね、とこたえるしかない。
「だけど……」
「だけど?」
「すまん! あとで何でも好きなお菓子つくってやるから!」
いっせいにブーイングした四人を鞘取りどもの人ごみに残し、セディーリャを囲んでいる人ごみへダイブする。
が、なかに全然進めないので、まわりにいた小太りの仲介人に何があったのかたずねてみた。
仲介人はうっとおしそうに、
「アウグスト・セディーリャがマンドラゴラを売りに出したんだよ! ほら、邪魔だ、邪魔だ!」
小太りの仲介人は自分の買い注文を王立取引人に伝えようと大声を上げていた。
「〈腕組みをする猟師〉! ディ10! 権利半分を買いだ!」
セディーリャがマンドラゴラを売りに出した?
あいつはマンドラゴラを仕入れる業者向けの銀行家であって、マンドラゴラ業者じゃないだろうが。
そもそも〈腕組みをする猟師〉ってなんなんだ? 投機家の言葉は独特で分からん。
十数人の仲介人や投機家に邪険にされながら、おれはセディーリャに何があったのかを知った。
セディーリャはマンドラゴラ銀行を売ったのだ。金貨500枚で。
預金は金貨450枚に利子を生む優良な債権450枚分で合わせて、金貨500枚。
その金貨500枚の現ナマでセディーリャは『マンドラゴラ商業銀行』を設立し、五十のマンドラゴラ業者にカネを貸し、例の裏技で、預金高12250枚にまで引き上げて、これも売りに出したが、今度は少しまけて金貨12000枚で売却。
手に入れた現ナマをもとに『マンドラゴラ商会』を設立。
かつてカネを融資した連中を相手にマンドラゴラの買い占めを行った。
で、今、ちょっとしたマンドラゴラ・ブームが起きているわけだ。
ちょうど辺境伯戦争が終わって、流通の妨げもなくなり、物価も適正なところに落ち着き、銀取引所の取引も冷静さを取戻し、食料や武器に対して行われていた投機が落ち着いたところで、マンドラゴラが注目商品として投機のスターダムにのしあがった。
でも、分からないのはいったいどこからセディーリャは五十ものマンドラゴラ業者を見つけたのか。
こたえは辺境伯領にあった。
その北部はマンドラゴラの生息が確認されていたのだが、戦争で収穫がおぼつかない状態だった。
が、戦争が終わると、マンドラゴラの収穫は以前よりずっとやりやすくなり、年間通して不足気味のマンドラゴラが市場に流れて、魔法使いや錬金術師が自前の実験目的に買い注文を出し始めて、マンドラゴラは流通量が増えたにもかかわらず、投機家たちが買い注文に混じったせいで値上がりしていったらしい。
そして、現在、マンドラゴラの根は一本金貨20枚!
〈ラ・シウダデーリャ〉の錬金術の店ですら、一番高くて金貨五枚と大銀貨三枚だった。
それもとても大きくて優れたものにつけられた値段だ。
こんなに高いんじゃ、もう投機家も手が出しづらいだろうと思ったが、セディーリャはそこに分割買い取り制度を持ち込んだ。
つまり、マンドラゴラの根を半分だけ買うのだ。
もちろん実際に真っ二つにするわけではなく、権利を買う。
さっきの仲介人の「〈腕組みをする猟師〉! ディ10! 権利半分を買いだ!」は腕組みをする猟師の形をしたマンドラゴラの根の半分を金貨10枚で買う、という意味だ。
ディは金の古い名前であるディナロの短縮形だ。
マンドラゴラの根はいろんな形があり、それによって値段が変わるというわけで、他にも〈気疲れ貴婦人〉〈鎚をふるう男〉〈えらそうな提督〉なんてのもある。
「しかし、マンドラゴラの根一本が金貨20枚ってのは、いくらなんでも。日本円になおしたら60万じゃ――」
何タワケたことを言ってんとるんじゃ、小僧! と白髭の王立取引人に怒られた。
「マンドラゴラの根は弱気筋になった市場を活性化させる救世主じゃ! それに金貨20枚でも安いくらいだ。一週間もすれば、金貨50枚出しても、一本を手に入れることができなくなるぞ!」
実際、その通りになる。
ただし、それは一週間後ではなくて、二時間後の話だった。




