第一話 ラケッティア、その男セディーリャ。
生まれのよさを感じさせる品のようなものがあったんだ、セディーリャには。
まあ、どこの生まれなのかは結局分からずじまいだけど。
のちにアウグスト・セディーリャはマンドラゴラ取引で一日に金貨十万枚を動かすほどの大物になるのだが、あの十一月の温暖な日、〈ラ・シウダデーリャ〉で会ったときのセディーリャは若禿を隠すカツラも買えない男だった。
品のいい美男子で背も高く、それにこちらが思っているほど、ハゲを気にしているわけでもなかった。
ただ、ハゲているよりもカツラをかぶっていたほうが、客受けがいいというだけで、カツラをかぶっていたらしい。
カツラや髪は頭を蒸す、ハゲているのは常に涼しい頭、冷静な頭を持ちなさいという神さまの贈り物だ、と本人は言っていたが、教会に通うタイプには見えなかった。
ただ、顧客や出資者が教会に熱心に通うタイプなら、それに話をあわせ、教会音楽の様式や建築について、話せることができた。
高い教養があったのは間違いない。
ただ、あの日のセディーリャは高い教養のある一文無しだった。
それから数週間後にはカラヴァルヴァじゅうの投資家や金持ちが、このセディーリャと知り合いになりたがり、ビジネス・パートナーになりたがり、三月の始まりには庶民から貴族まであらゆる人間がセディーリャと会いたがったが、それはセディーリャを生きたままノコギリで真っ二つにするためだった。
そいつらはセディーリャをペテン師呼ばわりした。
それは間違いない。
間違いないが、マンドラゴラの強気市場は最後のほうではセディーリャの操縦からも離れていき、ただ、欲の皮のつっぱらかった連中のキチガイ騒ぎに持ち上げられていたに過ぎない。
だいたいマンドラゴラ・バブルも最後のほうになると、マンドラゴラの根毛一本に金貨三百枚の値段がついた。
普通の人間なら、それは異常な事態と分かるが、みなあのときは熱狂していた。
だから、分からなかった。
それにセディーリャ自身も、最後にはまたカツラ一枚買えない身に堕ちた。
さて、そろそろセディーリャとの会談へと話を戻そう。
――†――†――†――
「わたくしは三十人のツンボと取引があります。それも生まれつきのツンボであります」
それが第一声だった。
すぐ、自己紹介がまだだったことを思い出し、わたくしはアウグスト・セディーリャです、と自己紹介した。
今思えば、相手の話に興味を持たせる話術の一つだったのかもしれない。
「それで、どんな御用だね。セニョール・セディーリャ」
「ドン・ヴィンチェンゾ。マンドラゴラという植物をきいたことがありますか?」
「ああ。ある。そこの市場でも売っているよ」
なるほど、こいつの言ってることが分かってきた。
マンドラゴラとは魔法薬や錬金術の実験に欠かせない植物で、とくにその根には魔力がたまっていて、それは媚薬や霊薬の合成に使われる。
その根一つが金貨一枚、大きさや魔力の充填具合では三枚から四枚で取引されることもある高価な材料だ。
ところでマンドラゴラの根っ子は人間みたいな形をしているのだが、これを地面から引っこ抜くとすごい断末魔の叫びを上げる。
そして、その叫び声をきいた人間は発狂して死に至る。
だから、マンドラゴラを収穫するのは聴力を完全に失っているツンボだけなのだ。
それも生まれついてのツンボでなければいけない。
わざと耳を潰してもダメ。
このセディーリャはマンドラゴラを収穫する聾者と取引がある。
つまり、マンドラゴラを仕入れるカネを出資してくれと言いに来たらしい。
なら、お断りだな。
ゴッドファーザーはささやかなお願いはきくけど、カネクレくんはお呼びでないの。
「ドン・ヴィンチェンゾ。わたくしが設立する銀行の出資者になっていただきたいのでございます」
あれ? 銀行? マンドラゴラ買うんじゃないのかよ?
「この街では銀行とはカジノと同義だが、あんたの言っているのは本物の銀行かね?」
「はい。この街独特の狭義の意味ではなく、世間一般のいうところの銀行です」
ここで説明しておくと、この世界にはルネサンス時代のメディチ家みたいな大銀行がある一方で小さな規模の銀行も非常に多い。
高い利子を約束してカネを集めてからドロンする計画倒産目当ての銀行もしょっちゅうある。
つまり、現代日本ほど銀行をつくるのが難しいわけではない。
だから、今はカツラが買えないセディーリャみたいな人間が簡単に銀行をつくるとのたまうことができる。
もちろんカネがないとつくれない。
そのカネを出してくれと言っている。
「その銀行はいくら必要なのだね?」
「金貨で百枚」
「あまり手広く仕事のできる銀行ではなさそうだね」
「まったくもってその通りで、海洋貿易向きではないのは重々承知です。わたしは出資していただいた金貨百枚でマンドラゴラを購入する販売業者向けの貸付を行うつもりです」
ん?
「あんたはマンドラゴラを掘る聾者三十人と取引がある。これは確かかね?」
「はい。左様で」
「買おうと思えば、あんたはわしが出資した金貨百枚でマンドラゴラを現地で仕入れられる。これは間違っておらんね?」
「はい。左様で」
「だが、あんたはマンドラゴラを自分で買うかわりに、銀行を開き、マンドラゴラを買う他人にそのための資金を融通する、ということだな?」
「はい。左様で」
それがお前にどんな得がある、とはきけなかった。
それじゃ馬鹿丸出しだ。
マンドラゴラはそれなりに高値で売れる。
だが、マンドラゴラ販売業者とそれに出資した銀行家なら儲けが大きいのはマンドラゴラ販売業者だ。
銀行が受け取れるのは利息だけだし、その利息がマンドラゴラ販売収益よりも大きいことはありえない。
それじゃ、マンドラゴラ販売業者が破産する。商売としてなりたたん。
以上のことから考えると、マンドラゴラを自分で買って自分で売ったほうが利益が大きいのに、セディーリャはそうではなく、マンドラゴラから一番の利益が出る仕事は他人に譲って、自分はそのための資金を融通して得られる利子で満足するというのだ。
どうしよう。すっごい気になる。
うーん、この手のお願いで出資を頼られたら、基本はお断りなんだけど、これ、すげえ気になるぞ。
もちろん、こいつの言ったことは全部ウソでツンボの友だちなんて一人もいなくて、おれから金貨百枚をだまし取るための詐欺である可能性がある。
つーか、その可能性が高い。
しかし、その手のペテン師はとんでもなく儲かる話するものだ。
すると、こっちは、じゃあどうしてその方法を使って自分で儲けないんだ、そんなにいい話なんだろ、と突っ込んで、それで終わり。
ところが、セディーリャは二番目に儲かる話をしている。
つまり、一番儲かる秘訣をこの男は握っている。
それに世間一般でのクルス・ファミリーの評判は「忠誠には恩義で、裏切りには壮絶な復讐で報いる」だ。
ダンジョンやディルランド、海竜騎士団でのことがその手の評判を呼んでいる。
このセディーリャだって、それを知らないはずはないのだから、おれに面と向かって嘘の儲け話を持ちかければ、命がいくつ足りないくらいのことは知っているはずだ。
これがペテンなら、人の心理の隅々まで見抜いたあっぱれなペテンだということになる。
金貨百枚は日本円で三百万円相当。
大きな額だし、無駄使いしていいカネでもないが、しかし、ここで金貨百枚払わずに返したら、気になって眠れなくなるのは間違いない。
……。
よし、払おう! 知的好奇心を満たすのだ!
もし騙されたら、そんでもってこの男を見つけられなかったら、そんときゃ人生の勉強料だとあきらめる。
その後、えーんえーんと泣きながらアサシン娘たちのもとへ突撃し慰めてもらえばいいじゃないか。
つまり、ホントだったら儲かる。嘘だったら美少女にいいこいいこしてもらう。
この鉄壁の布陣により、おれはどうあっても精神的には損をしないわけだ。
「エルネスト。金庫から金貨百枚出して、セニョール・セディーリャにお渡ししてくれ」
――†――†――†――
これが、のちに起こるマンドラゴラ・バブルの発端だ。
マンドラゴラ・バブルは他の先物取引まで刺激して、猫も杓子も取引に夢中になって、最後には破綻をするのだが、その原因――とは言わないが、きっかけをつくったのはおれだった。




