第九話 ラケッティア、カノーリがおいしい。
ついにきたぜ、ベイビー。
お皿の上にのっかったカノーリ。
巻いたカリカリのパイ生地にクリームたっぷりのカノーリ。
クラッシュ・アーモンドとパウダーシュガーをたっぷりふりかけたカノーリ。
この光景が実現するために多くの血が流された。
三つの帝国が滅び、五つの戦争により、二千万の命が失われ、世界は暗黒に閉ざされた。
大地は裂け、地獄の業火が天空の星辰を焼き払い、ただ一つ絶望の星だけが地上に遺された命の残渣を冷たく照らすなか、神々は愚かな人間を罰するために天使たちを使わし、そして――、
「マスター、はやくいただきますをするのです! アレンカは、えーと、うー」
「待ちきれない、でしょ?」
「そうなのです。待ちきれないのです!」
はいっ。中二病語り終了。
ギルド屋敷の食堂には淹れたてのコーヒーが香り、大きな皿にはカノーリがピラミッドみたいに山積みにされている。
正直、笑いが止まらん。
「ガーッハッハッハッハ! 今宵は飲めや歌えやの無礼講じゃあ!」
「マスター、よっぽどこのカノーリを待ち望んでいたんだな」
「当たり前じゃ! ゴッドファーザー・パート1でもすごくいい小道具として働いたんだぞ。ファミリーの幹部のクレメンザが裏切り者のポーリーを車のなかで部下のロッコに始末させるんだけど、そのとき、ロッコに銃は車に残して、途中で買ったカノーリは持っていくぞって――」
「そんな話、いいから、はやく食べさせなさいよ」
「おやおや。ツィーヌさん。カノーリにずいぶんご執心と見える」
「う、うるさいわね! 別にカノーリに夢中なんじゃなくて、ただお腹が空いてるだけ――」
ツィーヌの言うことをおれは最後まできかずに、
「はいっ、いただきまーす!」
「いただきます!」
「いただきますなのです!」
「いただきます……」
「ちょっとまだ話してる――えい、もう! いただきます!」
「はい、いただきます」
「あれ、いま、いただきますが六回きこえた。
ちょっと待てよ。ここにいるのはおれだろ、アレンカだろ、マリス、ジルヴァ、それにツィーヌの五人……。
た、大変だ、五人しかいないはずなのに、もう一人いるぞ!」
「マスター、その茶番、最後まで見なきゃ駄目なのですか?」
「あ、いえ。これで終わりです」
「あはは。でも、面白かったよ」
六人目のエルネストが言った。
今回のラケッティアリングは大がかりだし、常に相談もしたかったのでエルネストには仕事道具と一緒にギルド屋敷に来てもらっている。
「じゃあ、変な寸劇挟んだけど、今度こそ。いただきまーす!」
ぱくっ。
ぱくっ。
「お」
お?
「おいしーっ!」
カノーリを頬張った頬がほんのり赤く色づき、四人の少女たちの目がきらきら光る。
はっはっは。そうだろう。そうだろう。
うまいんだよ、カノーリは。
「これはコーヒーに合う。それが今ではウェストエンドのどこでも手に入るなんて」
エルネストも感心している。
「ウェストエンドだけじゃない。最後のほうの買い手は王都の東の菓子屋も大勢いた。王都アルドでカノーリ旋風が吹き荒れるぜ」
と、いい気分のおれにマリスがたずねる。
「でも、マスター。あんなに安売りして、どうやって菓子税を払う?」
「払わんよ、そんなもん」
「え?」
「仕入れ値の四百パーセントの税率? 考えたやつは頭おかしいんじゃねえのかな。まともに取り合うこたぁない」
これにはツィーヌも慌てる。
「ちょっとちょっと、マスター! マスターはこっちに来て、まだ二か月だけど、この国、税金のことにはうるさいのよ」
「おお、ツンデレ娘よ。心配してくれるとはありがたい」
「いけ好かない収税吏に屋敷じゅうひっくり返されるのが嫌なだけよ」
「税務署にウェストエンドまで来るガッツがあるとは思えないな」
「聖院騎士なら来る。悪質な税金逃れには聖院騎士団が来ることがある」
「なんだ、そいつら?」
「世界をまたにかけた警察なのです。アレンカたちも追いかけられたことがあるのです」
「こっちの世界にもインターポールみたいなのがいるんだな。まあ、お前らはそんなこと気にしなくていい。ファミリーの運営はおれにまかせとけ。それより、カノーリを楽しめって。おれはもっとおいしいもの――ラケッティアリングを楽しむから」
マリスが肩をすくめる。
「マスターって度胸があるのか臆病なのか分からなくなるときがあるよ。でも、マスターの考えることにボクは従うよ。それが間違いないって分かっているから」
「アレンカも従うのです!」
「ま、信用はしてるわ」
「わたしも……」
「もちろん、ぼくもだ。それと頼まれた書類の第一陣が出来上がったよ」
「もうか? 一週間はかかると思っていたけど」
「一応、見てもらえるかな?」
一階客間が臨時の仕事部屋になっている。
テーブルにはおれが注文したペーパー・カンパニー用の偽造書類が積み上げられていた。
王国政府発行の営業免状や開業保証金支払済み証明書。
公証人の署名入りの営業権獲得状。ギルドから発行された開業免状。
要するに会社が存在するという証明書だ。
エルネストはうっとりとして、一番上の書類を撫でた。
「どれもいい子たちだよ。これでアルテミルと周辺国にざっと百の会社が存在することになる。運送、金融、原料仕入、倉庫。仲買人事務所もある」
「よし。で、また一仕事頼むんだけど」
「やりがいのある仕事は大歓迎だよ」
「このペーパー・カンパニーどものあいだで、金貨一万枚分の菓子材料を動かしまくってくれ。輸送し、保管し、分割し、貸し出し、統合し、交換し、担保にして金を借り入れ、別の担保で借り換えてくれ。たらいまわしにしまくるんだ。もちろん紙面の上でだけの話だ。できるか?」
エルネストは人差し指と親指で顎をつまんで考えた。
「そうなると、大量の書類をつくることになる」
「ああ」
「ウェストエンドの犯罪史上、そんなに大量の偽造書類が一人の偽造屋の手で制作されたことはないだろうね」
おれの顔に不安を見て取ったらしく、エルネストはふふと笑って、首をふった。
「でも、それはウェストエンドの偽造業界がこのぼくを活かす方法を知らなかったからだ。だからね、クルスくん。ぼくは自信と喜びを持ってこたえるよ。喜んで、偽造しよう。ぼくがつくった子どもたちはウェストエンドの犯罪の歴史のなかで不動の地位を獲得する。考えただけで、ゾクゾクしてくるよ」
おおっと。
こうしてみると、金髪ロンゲのイケメン好青年エルネストもウェストエンドの住人なんだなと思う。
まったく、悪くて楽しそうな顔をしてるんだから。
トントン。
ノックの音。やってきたのはアレンカだった。
「マスターにお届け物なのです。これを渡すように言われたのです」
「どれどれ」
折りたたまれた封筒に赤い封蝋。模様は――、
「交差した剣にF。フライデイ商会のものだね」
エルネストが言う。たぶん偽造したことがあるのだろう。
ウェストエンドを支配する三つの商会のうち、二番目の勢力からお手紙。
用件は読まずともだいたい見当はつく。
「アレンカ」
「なんですか、マスター?」
「ツィーヌのとこに行って、例の薬を用意するように言っといてくれ」




