第十五話 騎士判事補、亡命少佐。
休憩室の政治的亡命者に会うことはクルスに関する調査とはまったく関係がなかったし、必要もなかった。
だが、あのパストランという将軍に関することで誰かが不利益を蒙ったとすれば、それは自分とイヴリーにも責任の一端があるような気もしていた。
それを無視するような冷酷人間にはロランドは到底なれそうもなかった。
結局、ロランドはハイラルという名の召使いの少年に手を引かれる形で休憩室へ戻った。
仮眠用ベッドがどこまでも並ぶ天井の高い部屋には非番の少年たちがごろごろしていて、猟兵少佐の軍服を着た少年が不満をぶちまけていた。
この少年――シャンガレオン少佐はカラヴァルヴァ軍において非常に厄介な立場にあった。
彼は美少女のような可憐な顔つきで体格も全然軍人向きではなく華奢な十六歳の少年のくせに階級が少佐ということで、あらゆる軍人から怒りを買っていたのだ。
彼より歳が上の大尉や中尉たちは自分たちの働きを否定されたとして怒り、連隊長クラスの大佐たちは直属の部下に美少女のような可憐な顔つきで体格も全然軍人向きではなく華奢な十六歳の少年がいることで自分たちが軽んじられていると怒り、眼帯をしたり空っぽの袖をボタン前に突っ込んだりしている少佐たちはシャンガレオン少佐が目玉も腕の一本も失わずに少佐になったことに嫉妬していた。
騎兵たちは猟兵とは猟歩兵のことであるから歩兵の仲間に違いないと彼を仲間外れにし、歩兵たちは猟兵とは騎馬猟兵のことだから騎兵の仲間に違いないと仲間外れにした。
そして、軍曹や兵卒たちは全ての士官を憎んでいたから、当然、美少女のような可憐な顔つきで体格も全然軍人向きではなく華奢な十六歳の少年の猟兵少佐も憎まれることとなった。
もちろん、パストラン将軍も彼を憎んでいて、なぜそんな彼が猟兵少佐になったかといえば、彼が美少女のような可憐な顔つきで体格も全然軍人向きではなく華奢な十六歳の少年であり、そんな少年を佐官に任じることによって、軍内部の憎悪を新たな高みへと上らせることができるという将軍の思惑があったのだ。
射撃はうまかった。
彼はカラヴァルヴァ軍において唯一の銃使いであり、彼の銃にはファイアドレイクの牙を埋め込んだ撃発装置が特別につけられ、また銃身と同じ長さの真鍮製の細い望遠鏡があるので、はるか遠くの敵兵の頭を間近に見るようにして弾丸を命中させることができた。
その彼が〈槍騎兵〉へ政治的亡命をするハメに陥ったのは、パストラン将軍がつい今さっき、四人の黒衣の少女を連れた通りすがりの老人ドン・ヴィンチェンゾ・クルスから銃殺刑のやり方を教わったせいだった。
「つまり、銃殺刑とは銃殺したい対象を杭に縛りつけ、九人のマスケット銃兵に撃ち殺させることだというんだな?」
将軍はピリピリした口調でクルスにたずねたが、それというのも、その少し前、浮かれた馬鹿者が壜に詰まった電気蟹を将軍に向けて、ぶちまけたせいで、ただでさえ怒髪天を突く勢いの白髪が四方八方へ立ちまくり、大きな皇帝髭や山羊髭が蓄えた電気を放つ相手をもとめて、雷雲みたいにバリバリと音を立てていたのだ。
左様、とヴィンチェンゾ・クルスがこたえた。
「大切なのは銃殺したい対象を杭に縛りつけることだ」
「縛りつけないとダメなのか?」
「縛りつけないと逃げると思うがね」
「なんということだ、将軍に銃殺されろと命じられても、それに反抗する兵隊がいるとは。ますます銃殺しないわけにはいかなくなる。畜生めが。だが、銃殺隊は絶対に九人なのか?」
「別に八人でも十人でも構わない。ただ、十三人にすべきではないな」
「なんでだ?」
「一人の死刑に十三発も弾を使うのは無駄だと思うがね」
こうして銃殺刑のなんたるかを完全に理解した将軍は銃殺刑にするにはもってこいの人間を探し始めた。
カラヴァルヴァ軍結成以来の銃殺刑なので、チンピラみたいな平の兵士を銃殺するのはよろしくない。
それなりの階級の人間を銃殺するのが一番だ。
それも軍全体の憎悪がそいつに向いている状態が望ましい。
「それであのキチガイは僕を中佐に昇格させようとしやがったのだ」
分からないな、とロランド。
「どうしてそんなことするんだ?」
「それはあいつがクソッタレ県ドアホ郡スカタン村の生まれだからだ。娘っ子みたいな猟兵中佐は娘っ子みたいな猟兵少佐よりも憎悪を集めやすいと踏んだんだよ。それに、僕はあのキチガイの秘密を知っている。あいつの本名はアンヌ・フェルディナンド・パストランなんだよ。女の名前が一番最初についてるんだ。これぞ、あいつの憎悪の出発点。おふくろの腹のなかにいるころから、二親を憎悪し、アンヌなんて娘っ子みたいなファーストネームをもらった自分を憎悪した。やつはおぎゃあと生まれるとき、わざと難産で生まれて、おふくろを片づけると、次はおやじの始末にかかり、アル中にして片づけた。やつはそのとき十歳で、その時点で世界を憎悪していたから世界を地獄に突き落とすには戦争が一番だということで、軍に志願した。最初は鼓笛隊の笛吹きだったが、やつは一等兵を裏切り、軍曹を事故死させ、中尉を密告し、大佐を格下げにして、ついにとうとう軍閥の親玉にまで上りつめやがった。それでもやつの憎悪は消えることがねえときてる。あんにゃろーは軍人じゃないやつをションベンもらしの腰抜けと憎み、軍人を発狂の報酬をして勲章がもらえることを当然と思ってるふざけた気取り屋として憎んでる。さっき会ったクルス・ファミリーだって憎んでる」
「へえ、それはどういうことだい?」
ロランドにとって、クルス・ファミリーに関する話題はどんなものであれ、興味深かった。
「やつらが血がつながってないのにファミリーを名乗るのは集団錯覚のなせる業だってんで憎いんだ」
「じゃあ、血がつながっていたら?」
「和気あいあいとした血のつながったファミリーほど、やつの憎悪を掻きたてるものはない。やつのクソ面白くもねえ少年時代を思い出してくれよな」
召使いのハイラルがたずねた。
「給料はどうなんだ?」
「そりゃあいいさ。カラヴァルヴァ軍は毎月、どこかの自治都市からカネと食い物を脅し取り、軍から出た残飯を大々的に売っ払ってるから、カネはうなるようにある。カネ払いがよくなきゃ、みんな脱走してらあ」
「政治的亡命をしたら、その給料もパアだな」
シャンガレオン猟兵少佐はしゅんとして、
「そうなんだ。亡命したせいで、毎月のはじめに金貨でふくらんだ革袋を受け取れなくなると考えただけで心が痛むんだ。何とかあのキチガイから逃れて、給料だけもらう手はないものかな」
燃えるような赤毛の、端整な顔立ちの少年が話に割って入った。
「ふん。そんなのどうってことない。おれの悲惨さに比べればな。少なくともお前はホモじゃない。でも、おれは公式にはホモだってことになってる。それも名うてのホモだってことだ。だからといって、お前ら、ケツの純潔の心配はしなくてもいいぜ。おれは世界で唯一の女と寝たくて男と寝たくないホモなんだ」
「ケッタイな話だな。まあ、きいてやるよ」
「つまりよ、うちのマダムは性悪でよ。貴族か金持ちで破滅に追い込めそうなマヌケがいないと、おれたちの仲間内の誰かを破滅に追い込みたがるんだ。やり方は簡単で、みんなが大勢で見てる前でおれを誘惑するんだ。すると、国王がおれを王国から追放しろって勅命を出して、おやじとおふくろは家を追い出されて、飼ってた犬は犬同士で仲間外れにされ、おれは殺人予告を三十通も受け取った。その半分は矢文の形で届けられ、おれは危うく人の身長ぐらいありそうな矢に串刺しにされそうになったが、そんなおれに誰も同情してくれねえ。みんながおれに腐った卵を投げつけたがったから腐った卵の相場が大暴騰して、数人の投機家が大儲けした。ある日、目を覚ますと、おれのすぐ横に陰気で黒い服を着たすえた臭いのじいさんが立っていたことがあって、大声あげて驚いたが、そのじいさん、実は棺桶屋で、おれのこと、この国で一番棺桶を必要とする人間で、殺し屋たちはきみをバラバラに刻むつもりだから、先に寸法を測っておいた、なんてぬかしやがる。おれはすっかりびびっちまってさ、マダムにおれとのあいだには雇用関係があるだけだと言ってくれと頼んだ。次の日、町の公示人が大ニュースだって言って、おれとマダムが婚約関係にあるって抜かすんだ。これにはおれも腰を抜かしたし、マダムを狙う男たちも腰を抜かした。もう街を歩けない。剣を持った殺し屋たちがそこいらじゅうをうろついているし、二頭の驢馬を動力にする腐った卵を連続して投げつける機械まで発明されて、おれは絶体絶命だった。ところが、こんなときに助けなくて何が神さまだって、おれの頭にすべてを解決する魔法の言葉が降りてきた」
「それがホモだってのか?」
「そういうことよ。おれはホモだと叫んで、身近にいたおっさんの口を、ぶちゅっ、てやったら、殺し屋たちは消え失せて、卵用の投石機は倉庫にしまわれ、追放勅令は撤回されて、おやじとおふくろは家に戻ることができた。矢文でおれを脅迫した連中は矢を返してほしいと頭を下げてきたし、腐った卵の相場も元の価格に落ち着いて、売りどきを誤った投機家が何人か首を吊った。飼ってた犬も犬社会におけるささやかな地位を回復したってよ」
一通りのことをきいた後、シャンガレオン少佐が挙手をした。
「質問なんだがな」
「なんだ?」
「お前はホモなんだな?」
「そうだな。おれはホモだ」
「でも、お前は男とファックしたいとは思わない」
「当たり前だろ。気色悪い。おれのことなんだと思ってるんだよ?」
「ホモだと思ってるに決まってるじゃねえか」
「おれは女とだけ、それも別嬪なのとだけファックしたいホモなんだよ」
「じゃあ、お前はマダム・マリアーヌとファックしたいと思うか?」
「嫌に決まってるだろ」
「ホモだからな」
「そりゃ違う。命が危ないからだ。そもそもおれがどうして、自分はホモだと宣言しなきゃいけなくなったのか、この過程を忘れちゃいけねえ」
「お前はマダム・マリアーヌとファックするつもりはないことをみなに知らせるためにホモだと宣言した」
「そうだ」
「マダム・マリアーヌは別嬪の女だな?」
「そりゃ間違いねえ」
「お前はマダム・マリアーヌとファックするつもりはない」
「そうだ」
「つまり、お前は別嬪の女とファックしたくねえってことだ」
「それは――おれがホモだからなのかよ?」
「そういうことになるな」
「そうか。おれはホモだったのか」
「残念ながらな。それとも歓喜に震えてんのか?」
「分かんねえよ。自分のことホモだと思ったことねえし」
そこでロランドが助け舟を出した。
「お前、ここにいる誰かとファックしたいと思うか?」
「なわけないだろ。ここにいる誰かって、みんな男じゃねえか」
「じゃあ、男と寝たがらないのに、どうしてお前がホモになるんだよ」
「そりゃ別嬪の女と寝たがらないからだろ」
「もし、この場にマダム・マリアーヌと同じくらい別嬪の女が舞い降りてきて、一発やらせてくれるって言ったら、やるか?」
部屋にいた少年全員が「やるぞ、やるぞ」と唱和した。
ホールにいた観客たちも「やるぞ、やるぞ」と唱和したし、劇場の外にたまっている辻馬車の馭者たちも「やるぞ、やるぞ」と唱和した。
治安裁判所でカモにできる法律オンチたちを物色する代言人たちも「やるぞ、やるぞ」と唱和して、市の南東にある要塞監獄の囚人たちも「やるぞ、やるぞ」と声をそろえた。
「やるぞ、やるぞ」の唱和は生まれた川を忘れない鮭みたいに〈槍騎兵〉に戻ってきた。
「やるぞ、やるぞ」
〈槍騎兵〉の高い天井からぶら下がる足場みたいなシャンデリアの上にいたアサシン娘たちが唱和した。
いったい何をやるのか。
ああ、そうだ。マダム・マリアーヌがマスターを誘惑しようとして、エッチなことをしたら、飛び降りて、手持ちの暗殺術の一番キツくてグロいやつをマダムにぶち込んで、血と凝固物を炸裂させてやるのだ。




