第十話 騎士判事補、杞憂に費やされた想像力。
手のひらから落としたサイコロは一の目を出した。十七回連続だ。
他にも二ばかり出るサイコロや五ばかり出るサイコロもあるし、三回連続で一が出た後、四度目で必ず六の目が出るサイコロもあった。
盲目のサイコロ師は鉛を仕込むなどというありふれた手を使わず、目の異なる九つのヤスリで、四の出やすい角の絶妙さや五の出やすい面の滑りやすさを生み出していた。
薄暗い作業場でサイコロ師が言うには、
「サイコロなんてみんな色は決まってるんだから、目が見える必要なんてねえんだ。目が見えねえ分、指の腹が敏感になって、それでサイの仕上がりが分かる。このマーケットにはわしと同じ盲の職人が大勢いるが、みんな血がつながっとる。たとえば、そこの新しく開き直した劇場には避妊袋ってのをつくってる婆さんがいるが、その婆さんはわしから見て、親父の従兄の姪のはとこの祖父の腹違いの妹の孫にあたる。わしら一族はみんな目が見えんが、口さがないやつは近親相姦のせいだとぬかしやがる。ふざけてるね。わしらは遠い親戚だ。血はつながってるが、そいつは遠いんだ。でも、遠いけど近いんだ。お互い手をがっちり握り合えるくらいな」
グタルト通りではその日二度目の屠殺が始まり、角をつかまれた牛の脳天目がけて屠殺人がハンマーをふりかぶっているころだ。
「もうじきのはずなんだけどな」
もうじきとは、イヴリーとの待ち合わせである。
「どうにも気が重い」
ロランドはため息をついた。
これから彼はクルス・ファミリーが新たな資金源にするつもりで開いた劇場を偵察し、可能ならドン・ヴィンチェンゾか、来栖ミツルの動きを調べ、次の偵察や立件可能な隙を探すつもりだったのだが、それにイヴリーがついていくことになった。
初めてイヴリーを紹介されたときのことを思い出す。
「お前の潜入調査に彼女をつける」
と、先輩騎士のアストリットに言われたのが、三日前のこと。
「それ、断れませんか?」
「なぜだ?」
「育ちが良すぎるんですよ。変装してもバレます」
「育ちのよい家の娘が世の中の怖いもの見たさに下手な変装をしたということにすればいい」
「そんな無茶な」
「とにかく、アルデミルのデウムバルトナ騎士判事がクルスにまつわる調査に使えると言って、送り出してきたんだ。お前もこれで後輩ができるんだから、うまく育てろ」
「アストリットさんはおれが騎士裁判所に来たときはどう思ったんですか?」
「正直に言えば、面倒だった。だが、お前はいい騎士になった」
――などと、言われて、イヴリーの件を引き受けたが、今にして思えば、あれはロランドを持ち上げるためのリップサービスだったのではないだろうかとも思う。
はぁ、とため息。
たどれば十三代前まで辿れるルーンの騎士の家系にあるイヴリーがカラヴァルヴァの、闇マーケットの劇場に違和感なくとけ込めるとは思ってなかったので、ロランドのため息は止まらない。
たとえば長い顎鬚を蓄えた金貸したちが集まって、イフリート革の手帳のなかへ、債務者の名前を綴っていたが、その角ばった筆跡は監獄で使われる足かせにそっくりだった。
貸すときは担保の半分で、借りるつもりなど毛頭ない人間をハメて借金地獄に落として搾り取ることにかけては敵うものはなしだから、ルーンの騎士の娘っ子の一人や二人、売春宿に売り飛ばすくらいのことは平気でする。
最初に出会ったときには白いマントに白の胴衣姿で、ルーン文字の刻印がされた剣を持っていたが、それは心正しきものが握ると文字が光り出し、悪を滅ぼす剣で、聖ルブの剣に非常によく似ていた。
本人は本物だと言っていたが、騙されて偽物を買わされたに違いない。
そんなものを佩びて、マーケットを歩こうものなら三歩に一度は偽物屋が寄ってきて、聖マレイの頭蓋骨だのカラバス書の草稿だのろくでもない品々を見せに来るが、その正体はインチキ取引をしたために王都の中央取引所から追放された仲買人たちで、普段は小間物の行商をしていて、石のかけらや金属の削りクズ、若すぎる葡萄酒、陰気なリボンといったガラクタを大きなトレイにのせて売り歩いているのだ。
危ない落とし穴は薬剤師の店にも開いている。
入り口に渡した鉄の棒から人畜無害な薬草を干している一見普通の店であるが、丸顔の主人がすり鉢で潰しているのは浣腸薬の材料ではなくある種の陶酔作用のある木の実で、それを酒精と蒸留水に溶かし込んで、こっそり販売していた。
まだサアベドラは気づいていないが、それも時間の問題だろう。髪の毛をつかまれてカウンターに頭を叩きつけられるまでに売りまくろうとして、世間知らずのお嬢さま騎士をひっかけるかもしれない。
サアベドラの存在は聖院騎士にとって複雑である。
その正義と麻薬への憎悪を評価するものもいるが、手続きがあまりに乱暴すぎると批判的な意見を持つものもいる。
ロランドは肯定的に見ているが、あの孤独は理解できない。孤軍奮闘もいずれ麻薬組織の逆襲に潰えるのではないかと心配にもなるが、魔族の血が入っていて、驚異的な膂力と治癒力があるともきいた。
危なっかしいことに関してはイヴリー並みと言ってもいいだろう。
双子の時計師が開く店のそばから小柄な男が一人、こちらを見た。
顔はフードに隠れているが、ぴったりとした服に包まれた体は少女のように華奢である。もし、ロランドに害意をもってあたるなら、相討ち狙いかもしれない。
その手のアサシンギルドに睨まれた覚えはないが、まともな考え方で暮らしている相手ばかりではないことを考えた。
ロランドの手はぶらりと下がり、太腿にベルトで縛った短剣の柄に添えられる。
ロランドの指が短剣の鍔にかかったそのとき、
「待ってください、ロランドさん。わたしです」
と、近づいてきた相手が言って、フードを後ろへ落とした。
驚いたことにそれは『育ちのよい家の娘が世の中の怖いもの見たさに下手な変装をした』くらいのごまかししかできず、街に溶け込めないだろうとロランドを大いに悩ませたルーンの騎士、イヴリー・ド・ラ・リシュ=ヴィルクルその人だった。




