第八話 ラケッティア、大安売り。
ストーンウェイクの大虐殺。
昨晩の大騒ぎにつけられた名前だ。
公示人の広報によると、虐殺の犠牲者はあそこを根城にしていた盗賊や請負殺人をしていた剣客、人さらい、悪名高い密輸人、脱走中の殺人鬼であり、公示人の言葉通りに表現するなら『生きてるだけでもみっともない死んで当然のクズ。そこに金貨が一枚あるときけば、自分の子どもの腹だって切り裂きかねない連中』であり、こんな大虐殺があと二、三回起きてくれれば、ウェストエンドは教皇聖下も足を運べるほどの清らかな土地になるという寸評で結ばれていた。
で、おれはというと、次の日の朝、偽造屋のエルネストのもとをたずねていた。
「おや? きみだったか、クルスくん。どうぞ、今、コーヒーを淹れていたところだ。ご心配なく。コーヒーは南洋諸島から運ばせた本物だから」
エルネストの家はこざっぱりとしていて、いい雰囲気だ。
たぶん、偽造に用いる数百種の紙、羽ペン、インクがきちんと整理されて並んでいるのが品のいい文房具店を思い出させるからだろう。
「今日は何がご入り用かな? 私掠許可書のいい子がいるんだけど――」
「実は結構、大きな仕事を頼みたいんだ」
「大きい仕事?」
「ペーパー・カンパニーってつくったことある?」
「魚に泳げるかきくようなものだよ。どんなのが入用で?」
「輸送会社。倉庫。金融業者。それに、小麦、砂糖、卵、ミルクを扱う商会」
エルネストは手帳を取り出すと、自分のコーヒーに羽根ペンを突っ込んで、メモを取り始めた。
「どのくらい必要なのかな?」
「一週間のあいだにつくれるだけつくってほしい。そして、次の一週間はもっときついものになる。ひょっとしたら、あんたが信用できる同業者を何人か巻き込んだほうがいいかもしれない」
「嬉しいことに、この街にぼく以上の偽造屋はいない。それにぼくが生み出す子たちは質だけじゃなくて、量も確保できる。それ用の魔法があるんだ。まあ、これは企業秘密だから言えないけど、きみの注文にこたえる自信はある。何がほしいか言ってみてくれ」
――†――†――†――
エルネストは月に金貨で二十枚稼ぐというので、二倍の四十枚で雇った。
金額に見合った仕事をしてくれるだろう。それは心配していない。
次は菓子職人。
エルネストと契約を結んだ三日後にストーンウェイク菓子職人ギルドのマスターの名のもとに菓子職人に招集をかけると、小さな広場がいっぱいになるほどの菓子職人が集まった。
徒弟を抱えるほどの店から街頭で売る屋台まで。ざっと二百人。
そりゃそうだ。
材料を通常の半額で卸してやると伝えたんだから。
菓子税による販売価格の高騰と売り上げの伸び悩みは菓子職人共通の悩みというわけだ。
おれは人ごみの中心に停めた荷馬車の荷台に立ち上がり、みんな静粛にしてくれと手をふり回した。
菓子屋たちの考えてることは手に取るように分かる。
不安。
何せ、おれときたら、どこにでもいる十六歳のガキンチョだ。
ツィーヌの薬で変身しようかと思ったが、マフィアのドンが菓子職人を説得する絵面はあまりかっこよくないので、やめにした。
そもそも、変身なしでも大丈夫なのだ。
こっちは現物を押さえている。
「まずは礼を言おう。ギルドの招集に応じてくれたことに感謝する」
わいわいがやがや。いろんな言葉が飛び交ってる。
気取ってんじゃねえぞ、とか、信用できねえ、とか。
でも、ほとんどはそういった疑り深い連中にだまれといい、とにかく話だけでもきこうという態度。
「単刀直入に言うぜ。あんたたちに菓子の材料を通常の半額で卸す。現在、菓子用の砂糖は一キロでいくらだ?」
群衆のなかから、わらわらと値段が湧き出す。
「銀貨で三十枚だ」
「いや、ウェンドリーの店なら十五枚で買えるぞ」
「あいつのとこはパン用の砂糖を流用してる。取締官に見つかりゃ没収だ」
「二十四枚だ! 公定価格は銀貨二十四枚だ!」
つまり、キロ一万二千円か。ヘロインよりも高いんじゃねえの?
「じゃあ、おれは半額の銀貨十二枚であんたたちに砂糖一キロを卸そう。もちろんちゃんとした王国銀貨で十二枚だ。それに、小麦粉も、卵も、ミルクも、菓子に必要な材料全てを半額で卸す!」
聴衆の心はぐらつく。
懐疑的な連中は質の低いものを買わされるのではと不安がっている。
そりゃそうだ。
このまま売れば、おれは菓子税のうちの三分の二を払えず、監獄行きだ。
なら、質の悪いものを安売りして、少しでも利益を稼ごうとするのが王道だろう。
でも、おれはいまラケッティアの邪道を歩いている。
現物を見せるなら、今だ。
おれが合図の声をかける。
「みんな、馬車をこっちへ!」
四人が手綱を握る荷馬車が次々とやってきて、広場に集まった菓子職人たちのまわりを囲む……って、あいつら、また、あのお揃いのアサシンウェアを着てる。
今回はあれは着ないって約束だったのに。
幸い、菓子職人たちは馭者台の冷血アサシン少女たちのことは眼中にない。
荷台の小麦粉や卵にかかりっきりだ。
卵をくるくるまわしたり、指についた粉をなめてみたり。
やがて、品質に納得がいったらしい菓子職人たちは我先にと材料を求めて、おれと四人に殺到しようとする。
「待った、待った! これを売るには条件がある!」
「条件? やっぱり裏があったんだ!」
「いや、違う! あんたたちにもいい話だ。おれから材料を買ったら、この菓子をつくってほしい」
おれは印刷業者ギルドに大急ぎで刷らせたカノーリのレシピの束を一番近くにいる菓子職人に渡した。
束は人から人へとわたり、全員に行きわたったところで、
「このカノーリをつくること。これは悪い条件じゃない。これまでブリオッシュとクリームだけだったウェストエンドのお菓子業界に新しいメニューが増えるんだからな。それも安い値段で売れる」
今度こそ、菓子職人たちは本当に安心した。
不安は一つ、自分がこの割りのいい材料を買いっぱぐれることだけ。
だが、おれは王都の食料会社に金貨一万枚分の後払いで食料を買い込んだ。
荷馬車が空になれば、広場の外に出て、また材料を満載して返ってくる。
売っているあいだにも、この即席販売会の噂はウェストエンドはおろか、郊外の町や王都の中心街の菓子店まで知れ渡り、広場は埋まり、通りは荷馬車でふさがれて、職人たちはカノーリのレシピを奪い合った。
ここまで来れば、こっちのもの。
熱狂ほど購買意欲を沸かせるものはない。
ただ、なかには素朴な疑問を抱くやつもいる。
おれから金貨十枚分の材料を買っていった徒弟持ちらしい菓子職人がたずねた。
「分からねえな。安く材料が手に入るのはいいけど、お前はどうやって、菓子税を払うつもりだ?」
「それはあんたたちが気にしなくてもいい。菓子税を納める義務はおれにあるんだから」
「まあ、そうだが」
そうそう。気にしなくていいの。
だって、おれ、税金踏み倒すつもりでいるんだから。




