第四十四話 ラケッティア、石鹸の効能。
その男はこのクソ暑い九月の残暑のなか、真っ黒なローブを頭からかぶっていた。
正体を知られてはいけないからだ。
「じゃあ、これで借金は帳消しになるんだな?」
「その通り。あんたはブツを引き渡し、こっちはブツの代用品を大聖堂に安置しておく。まったく瓜二つのものをつくったから見てもバレない。というより、信者は触ったりできないんだろ?」
「普通の信徒は三十歩のところまでしか近づけない。でも、王や枢機卿は違う。もっと近寄れる。もし、偽物だとばれたら、わたしは終わりだ」
男は声を震わせた。
カジノの高額レートポーカーで途方もなくデカい借金をこさえた。
カネを貸すやつがいないので、おれが貸し、結局、こいつは金貨四千枚負けた。
ちなみにこいつのいう『わたしは終わりだ』とは社会的制裁を恐れての言葉ではない。
そんなものは通用しないほど、こいつは高位の人物なのだ。
だが、教皇直々に賭場への出入りを禁止にされる。
それで声を震わせているのだ。
カジノや戦車競技場を出入り禁止にされ、ナンバーズにすら賭けられなくなるのが、死ぬほどつらいのだ――カヴァスの大司教さまは。
カヴァスの大司教とは二週間前、戦車競技場の王族席で顔をつないだ。
ギデオンをとっつかまえ、あんだけ働いたんだからエロ・カードを返すにプラスアルファを持ってこいとぎゃあぎゃあ騒いだ結果、ギデオンの謎のコネで王族席にまた入ることができた。
そして、そこにいたカヴァスの大司教にカジノの高額レートポーカーについて、あれこれ吹聴した。
この生臭坊主、相当の悪で、ディレの聖公女を観覧させて布施を取り、そのカネでギャンブルしてる。
おれが見たときは既に金貨二百枚をスっていた。
誓って言うが、イカサマはしてない。
ポーカーゲームは二十五階の噴水のある果樹園で夜通し行われ、ウンベルト・デステ伯爵ら参加者にいいようにむしられた。
借金は金貨二千枚。
すぐに払えない。というか、時間が経っても払えない。
そこで優しいおれはおたくの教会で安置してるディレの聖公女と引き換えに借金をチャラにしてやると言ったが、大司教猊下は、そんなことできるわけないだろ、と食ってかかった。
が、おれが借金チャラにプラスしてチップを金貨千枚分つけると、あっさり承諾した。
そして、その千枚分を負け、さらに信用貸しで金貨千枚をおれから借りて、すっからかんになった。
ホント、ギャンブルは胴元を儲けさせるためにある。
――†――†――†――
おれはてっきりディレの聖公女は屍蝋した死体だと思っていた。
何らかの原因で腐敗が進まず、体内の脂質が石鹸になったってあれ。
どっこいホントに新鮮な死体だった。
肌つやはいいし、表情も崩れてない。
おれのいた世界でこれにかなう死体はシチリアはパレルモのロザリア・ロンバルドという1920年死去、享年二歳の女の子くらいのものだろう。
さて、そっくりな蝋人形をつくらせて、ディレの聖公女をすりかえると、箱詰めしてカレイラトス行きの船に乗せた。
約束は守ったんだから、ルクレールにはサウススター年金基金を是非とも実現してもらわなければならない。
「さて、面倒事はだいたい解決した。しかし、残暑が厳しいなあ」
帰還から一か月。
カラヴァルヴァも南洋海域ほどではないが、九月の残暑はなかなかに厳しい。
おれはというと、〈モビィ・ディック〉でジャックがつくってくれたレモンベースのボトル・カクテルをぐいぐい飲みながら、エルネストとカルデロンと一緒にカジノに関する費用計算を読んでいた。
辺境伯戦争がまた激化したせいで物価高になり、建材や魔法書などの値段が高騰しているらしい。
完成にかかる費用は金貨十五万枚に跳ね上がっていた。
「くそったれ戦争め。なんてこった。おれはこの地上に四十三階建てのカジノをつくりたいだけの善良なラケッティアなのに。密輸した酒を軍に納入して物価高から稼ぎ出せる利ざやは?」
「利ざやは増えてるけれど、カジノにかかる費用暴騰を相殺するにはとてもではないけど足りないね」
「月の収入はきみがおらんあいだに、金貨2400枚に増えた。それにプラスして、南洋海域のサウススターから入る金貨が月に8000枚だとしても、航海にかかるコストがあるし、役人を買収しなければいかんし、それにカジノ自体の運営コストがあるから、なかなか難しい」
「カジノもしばらくは維持で工事は中断か」
「集めた技師や工夫たちが散ってしまうのは惜しいけど、今はあまり投資しないほうが正解だと思うよ。物価高がカジノの売上にも響いてるし」
「戦争はどのくらい続きそう?」
「それは一時停戦までの期間か? それとも完全な終戦か? 後者なら期待せんことだ。辺境伯とロンドネ国王の戦争はわしが生まれる前から続いている。停戦と開戦を繰り返しながらな。アサシンたちに片づけさせればはやい気がするがね」
「でも、それってどっちが悪いってのがないんでしょ? それであいつらを使うのはちょっとなあ。それにあいつらの腕なら相当稼ぐけど、それに依存したら、おれのラケッティアリングの敗北宣言だし」
「きみはとても合理的な思考の持ち主だけど、ときどき変なところで非合理的になるね」
「こだわりがあるんだ。こだわりが。ん、待てよ。今、カタクチイワシの取れ高は?」
「相変わらず豊漁だよ。アンチョビも相当浸透してきて、街じゅうで使われてる。今や塩と同じ必需品だ。稼ぎ頭になりそうだ」
「オイル・サーディンをつくれないかな? 軍事用の保存がきく携帯食として」
「オリーブオイルを安く手に入れる算段がつけば可能だ。できたオイル・サーディンを従軍商人に卸せば、戦場まで行かずに済む」
「よし。その方向で動いてみるか」
エルネストとカルデロンはそれぞれの帳簿を閉じて小脇に抱えて自分の部屋に帰っていく。
「……」
異世界ファンタジーに飛ばされて南の島まで行ったのに、女の子の水着姿も拝まぬまま帰ることがこんなにもむなしいとは思わなかった。
やっぱ、エロ・カードのことなんてほっといて、四人を連れて行きゃよかったと悔やんでも遅い午後三時――、
「あのー、すいません」
見ると、店の前に郵便馬車が停まっている。
馭者が一通の手紙を手にやってくるところだった。
「あんたがクルスさんかい?」
「んだね」
「じゃあ、これ」
他に配達しなければいけないところがあるのだろう、郵便馬車の馭者は手紙の詰まった革のカバンを肩から下げて、出て行った。
なんの手紙だ? おや、ルクレールからだ。
封蝋を破って、手紙を広げる。
それは老後の安心のために一日の稼ぎから銀貨一枚を納めるサウススター年金制度のパンフレット。
「ッしゃあ! ルクレエエエエエル! ディレの聖公女の死体さまさまだあああ!」
カウンターをバンバン叩きまくって喜んだので、おれの頭がいかれたかとエルネストたちが降りてきた。
おれはこの精緻で実入りのいいおもちゃの説明をした。
よーし、融資をあっせんするぞー! 不正融資を斡旋するぞー!
あれ、そういえばさっき、おれ何かでへこんでたけど、なんでへこんでたんだっけ?
まあ、いいや。年金基金ができたんだ。他にいるもんなんてあるか?
海竜騎士団領 真夏の海のラケッティア銃士隊編〈了〉




