第三十三話 怪盗とバーテンダー、コンビも板についてきた。
クリストフ「もし、おれたちの行為が賞賛され、のちの世まで知られるようにと壁画が残されたら、どうなる?」
ジャック「残されるわけがない」
クリストフ「たとえばの話だよ。そうなったら、どんなふうになるかな」
ジャック「錠前師が儲かるな。盗みが賞賛される世の中になるんだから」
船尾楼の窓は侵入するために開けたままになっている。
黄色いランプの光のなかに海図を広げた机があり、壁には船の設計図が釘で留められている。
その横には鍵束がぶら下がる。
鍵束を手にとったクリストフは船の設計図を前に腕組みをし、
「さて、どう思う?」
「ベルモットの入れすぎだな」
ジャックはテーブルの上にグラスを味見していたらしい。
その飲み物は今度の遠征を受け持ち、そしてイヴリーを反逆罪で船倉にぶち込めと命じた騎士のためにつくられたものだったが、ジャックに締め上げられ、どこにイヴリーが監禁されているか白状した後に気を失い、今は床の上に伸びている。
「そうじゃなくて、どう忍び込むかだよ」
といわれ、ジャックはグラスをテーブルに置き、ジトっとした目でクリストフを見る。
「どう忍び込むかだって? もう忍び込んでるだろうが」
「船のなかを自由に動けないってことだ。鎧でも着てごまかすか?」
いや、とジャックはマスクを引き上げ顔を隠す。
「船のなかは火事の防止するために灯火をぎりぎりまで少なくする。そのとぼしい灯りですら、鉄の籠のなかに入れている。だから、あちこちにかなり濃い暗闇がある。息さえ潜めれば、ただ闇のなかに身を低くしてるだけでやり過ごせる」
「バレたら?」
「顎から張り倒してやれ。それより、目標の確認だ」
「イヴリーの救出と聖ルブの剣の奪取。あの剣はおれが彼女にあげたんだからな」
「それにもう一つ加えてくれ」
「なんだ?」
「この船の飲み物係にお前のつくったロブ・ロイはベルモットを入れすぎだと教えてやる」
「それって悪漢の手に落ちた少女を救ったり、伝説の剣を奪い返したりするのと同じくらい重要か?」
「重要だ」
陰はあるが、曇りはない眼でそう言った。
ふうー、とクリストフはため息をつき、
「わかった。イヴリーを助け出す、聖ルブの剣を奪還、そして、船の飲み物係にお前のつくったナントカはカントカの入れ過ぎ――」
「ロブ・ロイにスイート・ベルモットを入れ過ぎ」
「ともかく、そう教えてやる。ちなみにジャックくん。きみのなかでの任務優先順位一番を言ってみたまえ」
「これ以上、甘ったるいロブ・ロイがこの世に生み出されるのを阻止すること」
――†――†――†――
まるで竜の一匹でも潜んでいそうな、洞窟のような船だった。
がらんとした通路の半分以上は闇に閉じ、暗がりから暗がりへと飛び石をつぐように進むにつれて、道幅が狭まっていった。
ときどき人のいる部屋を通り過ぎることもあった。
床を転がるサイコロから目を離そうとしない水夫たちの寝床。
遠征中に発生した経費を計算する老会計官の部屋。
騎士たちの鎧を手入れする甲冑職人の作業部屋ではガタンガタンと鉄板をやかましく鳴らしていたので、ほんの一歩離れたところをそろそろと歩く二人に気づきすらしなかった。
潜入任務の目的の一つ、聖ルブの剣の奪取だが、場所が分かった。
船の一番底だ。
船の底には通常バラストと呼ばれる石が敷き詰められている。石の重さで重心を下げ、左右の揺れに船を強くするためのものだが、そのバラストの一部が剥がされ、剥き出しになった底板に聖ルブの剣は深々と刺してあった。
なるほど敵も考えたもので、どこかの怪盗が剣を抜けばたちまち海水が噴き出し、船が沈む(来栖ミツルの言葉を借りるなら『手榴弾のピンみてえだな』)。
剣を安全に抜くには乾ドックに船を入れるしかない。
「クリス。剣は後まわしだ」
「悔しいなあ。お宝はすぐ目の前にあるってのに」
「先に飲み物係を探すぞ」
「それにイヴリーも」
船の厨房は船底の一つ上にあった。
自在鉤で吊るした鍋が石でかためられた炎の穴へとぶら下がり、シチューを煮込んでいる。
料理人たちは健啖家の騎士たちのために大きめに切った塩漬けの鱈を鍋のなかに落とし込んでいる。
飲み物をつくる係のものは使用済みの前掛けが積み重なった調理室の外れにいた。
酒壜が並んだテーブルに突っ伏して鼾をかいていた。
ジャックはテーブルの足を蹴った。
「おい! なにしてんだ!」
ジャック、大したことじゃない、と肩をすくめてからまたテーブルの足を蹴った。
鼾が止まった。
クリストフは暗がりに逃げ込んだが、ジャックはいくら引っぱられても、飲み物係の後ろから動こうとしなかった。
飲み物係は顔を突っ伏したまま、うるせえなあ、と気だるげな声をあげた。
「なんだよ、ちきしょう」
「船尾楼のお偉いさんにカクテルをつくったのはお前か?」
「なら、なんだ?」
「ベルモットの入れ過ぎだ」
「ご忠告どうも。ZZZ……」
ガン! ジャックが今度はテーブルの天板を蹴った。
「なんだよう」
「言ったろ? お前のロブ・ロイ、スイート・ベルモットの入れ過ぎだ」
「てやんでえ。あれはロブ・ロイなんかじゃねえよ。〈命の水〉のシロップ割り。お子さまスペシャルよ。おれだって最初はちゃんとロブ・ロイつくって出したんだ。ところが、うちの船長はよ、舌がお子さまなのよ。苦いって言いやがるのよ。そのせいでまずビターを入れるなって話になって、つぎはベルモットの増量よ。信じられるかよ。ビター入ってないんだぜ。わざわざ硝石砕いて水に溶かして氷までこさえてやったのに、ビター入れるなってこういいやがるのよ。こうなっちゃ、腕のいい飲み物係は寝るしかねえ、……って、あれ? 誰もいねえ……」
――†――†――†――
外の廊下へ逃れて目いっぱい走り、人気のないところで立ち止まると、クリストフが両手で膝を押さえて、ぜえぜえ息をしながら、
「お前なあ、机蹴飛ばすなら先にそう言えよ」
「今度から気をつける」
「もし、あいつがしゃっきり目を覚ましてこっちをふりむいたらどうするつもりだった?」
「顎から一発張り倒すつもりだったが?」
「お前もたいがいだな」
「何のこだわりもなく任務だけに生きるなら、暗殺組織で事足りる」
「クルス・ファミリーは違うっての?」
「オーナーは一度、自分から刑務所に入ったことがある」
「は? 何のために?」
「玉ねぎ多めのミートソースをつくるためにと言っていたな」
「そんなもの、外でいくらでもつくれるだろ」
「いや、刑務所のなかでつくりたかったそうだ」
「さっぱり分からん」
「おれに言わせれば、怪盗のこだわりも不可解だ」
「そっちのほうがいいんだよ。何でもかんでも分かっちゃうより、謎だらけのほうがミステリアスでかっこいいだろ?」
肩をすくめたジャックだったが、イヴリーが船倉の一番底の埃っぽい一角に縛り上げられ、猿ぐつわと目隠しをされた状態で放り出されているのを見たときは怪盗の流儀というかこだわりというか、大の男がそろって一人の少女をこんなふうに扱うことに対しての怒りのようなものは共有できた。
「ジャック。イヴリーを頼む」
「頼むって……お前はどこに行くんだ?」
「ちょっと野暮用」
半ば気を失ったイヴリーの縄を解いてから、嗅がせれば気づけになるヒタイ草の薬液をイヴリーの鼻元に寄せる。
すぐ咳き込み、ぐったりとしながらもまぶたを開き始めたイヴリーは、
「……ク、リス?」
「残念。ジャックだ。クリスは、まあ、ちょっと野暮用だ」
帰ってきたぜ、と戻ってきたクリストフの手には聖ルブの剣。
「これ、きみのだろ?」
「でも、それは――」
「これは本物の騎士の持ち物だ。それにおれがプレゼントしたものだしね。受け取ってよ。怪盗がプレゼントしたものを他の誰かが奪い取ったなんてサマにならないからね」
イヴリーはまるで電気を帯びた石に触れるように恐る恐る聖ルブの剣に手を伸ばした。
壁画の真実を世間に公表しようとした彼女はすでに騎士の位を剥奪されていた。
だが、クリストフが執拗に、なかば押しつけるみたいにして剣を帯びさせると、聖騎士の剣は彼女のために打たれたみたいにぴたりと当てはまった。
剣の長さやバランスといったものではない、この剣が持つ精神がイヴリーの高潔さにふさわしいかのようだ。
「お似合いだよ、ルーンの聖騎士どの」
「……恥ずかしい」
「恥ずかしがることなんて、何もないと思うけどな」
いや、恥ずかしいんだよ、とジャック。
「恥ずかしがっても別にいいんだ。分かるだろ?」
「???」
「あんた、肝心なところで鈍いな。ところで、あの剣、どんなトリックをつかって手に入れた?」
「何も特別なことはしてない。ただ、引っこ抜いた」
「……じゃあ、今、船底は?」
こたえるかわりに船が左へ四十五度、一気に傾いた。
――†――†――†――
「いやあ、いいことをすると朝日も気分よく迎えられるなあ」
いいこと、とは騎士たちの船を沈めることである。
海竜騎士は海の名を冠しながら、ろくに泳げないものが多く、救命ボートはそうした騎士たちを拾うのに忙しかったので、カレイラトス島目指して風に乗るド丸には気づかなかった。
ド丸は聖ルブの島を北に残し、朝日を左に眺めながら南下した。
黄金色に輝く海をトビウオの影が切り裂き、蒼ざめた月の凹凸がはっきり分かるほど澄み切った空には茜色の雲が吹き流されていた。
カレイラトス島の沖合に一隻のキャラック船が錨を挙げようとしているのを見つけると、ド丸をその舷側までギリギリ近づけてから、フック付きワイヤーをさっと放って、舷の縁に引っかけると、あっという間にキャラック船の甲板へと上って行った。
しばらくして、縄梯子がド丸へと放り投げられ、クリストフが降りてきた。
「交渉してきた。きみはこの船でカラヴァルヴァに行くんだ」
「カラヴァルヴァ?」
「さすがに海竜騎士団の島に戻るのはできないからね」
縄梯子をつかみながら、イヴリーの表情が曇った。
家族を残して出ていくことになる。
それにこうしてクリストフが自分を何度も助けてくれたのに、まだきちんと礼も言えていない。
「あ、あの――」
「うん?」
「その、ありが――」
「騎士、やめるなよ」
「え?」
「きみにはそれが一番あっている。悪しきをくじき、弱きを助ける。名誉と正義を重んじる。きみの天職さ」
おーい!とキャラック船の舷縁から声がする。はやく上ってこいと言っているらしい。
「さ、行った行った! 縁があったら、また会おう」
キャラック船の水夫たちはもどかしがったのか、イヴリーがしっかり縄梯子に足をかけたのを確認すると、そのまま引っぱり上げてしまった。
――†――†――†――
フォリゼーの港から吹く逆風を三角帆で斜めに切りながら、何とか進み、一番海に向かって出っ張っている桟橋につけることができた。
帆の扱いは全部ジャックがやった。
クリストフはというと、例の仮面は外していて、これまでの自分の言動や所作がどれほどキザであったかを思い出し、両手で顔を覆い隠している。
「めっちゃ恥ずかしい。いっそ殺してくれ」
「断る。暗殺はやめた」
「なんで止めてくれなかったんだよ」
「止めて欲しそうに見えなかった」
「うー」
「安心しろ。彼女のなかであんたは生ける伝説だ」
「どうせおれは道化だよ」
「そうじゃなくて――ん?」
明け方の橙が去らぬうちから、街路の一つが騒がしい。
きき間違えでなければ、銃声がするし、町から吹く風が火薬の匂いを含んでいる。
そのうち、港に掃きだされるように出てきたのは、来栖ミツルだった。
その後をトキマルとイヴェス、ヴォンモが続き、さらに――、
「げっ、あいつらだ」
二十九人の銃士隊が走りながら弾を込めるという奇妙な芸当をしながら現れたのだ。
よく見れば、その後ろから、馬にまたがったガエタン・デ・オバンドとその部下たちが追いかけてくる。
銃士隊はその追っ手目がけて銃をぶっ放していた。
「いったい何が……まさか」
来栖ミツルとクリストフの目が合った。
それで分かった。
彼ら全員がド丸に乗り込もうとしている。
「ま、待て! そんな一度に乗れるはずが!」
だが、手遅れで、来栖ミツルとトキマルとイヴェスとヴォンモ、そして二十九人の銃士隊はナイアガラの滝みたいにド丸へと流れ落ちた。




