第六話 ラケッティア、ギルドを買う。
ウェストエンドは治安の悪い地区だが、ストーンウェイク横町はそのなかでも特に悪いらしい。
横町の入口からスープ窟〈悪魔の闇鍋〉まで歩数にして二百二十歩の距離だが、その短い旅路のなかで追い剥ぎ三件、刃傷沙汰一件、殺人が一件が起きた。
なるほど、四人が嫌がるだけのことはある。ひでえ街だ。
〈悪魔の闇鍋〉と思しき建物からはもくもくと煙が上がっている。
もとは何かの学校だったのを、壁を全部取っ払ったもので、馬鹿みたいに広い一つの部屋にスープ鍋と人間と野良犬を詰め込めるだけ詰め込んだ食の総合エンターテインメントになっている。
明るいなかで行われるえげつない闇鍋。
ただスープを飲むだけのことが、ここではハラハラドキドキの手に汗握るアドベンチャーだ。
ドブ川の仕掛け網でとった奇形の魚、茶色く変色した野菜くず、死刑場に生えていたハーブを寸胴のスープ鍋に入れて、濁った水で煮込む。
どろっとした異臭を放つスープがボウル二杯で銅貨一枚。
安さは認めるが、これ飲んで腹壊して薬代を払うのでは結局、損な気がする。
まあ、〈悪魔の闇鍋〉がどれだけひどい場所か分かっただろう。
あと、ここには野良犬がわんさといる。
絶対蹴飛ばしてはいけない。脛を食いちぎられる。
それにここでは野良犬は資産運用法の一つだ。
つまり、スープ屋は痩せた野良犬を手に入れてスープ窟に放牧し、よその店の残飯だのを食って、食べごろに肉がついたら、つぶしてスープ鍋にぶち込むのだ。
さて、菓子職人ギルドを買い取ったら、こんなマッド・マックスみたいな世界からは早々に退散したいのだけど、まわりにいるのは楽しいお食事を邪魔されたら、すぐカッとなりそうなやつばかり。
おれは下手に出て、できるだけいい印象を抱いてほしいなと思いながらたずねた。
「こんばんは。人を探してるんだ。菓子職人ギルドを売りたがってるやつなんだけど」
顔に炎みたいな模様の黒い入れ墨をした髭もじゃがおれの顔をねめつけた。
「教えてやってもいいがな。何事もカネのかかるもんだぜ」
「それが世の中。いくら払えばいい?」
「有り金全部に着ているものも全部脱げ。それと後ろの娘っ子どもも置いていきな」
「それって、こういう反社会的人間の巣窟にありがちな隠語か何か含まれてます?」
入れ墨男のテーブルにいたヒゲの十数人がゆっくり脅かすみたいに立ち上がった。
彼ら一つのスープ鍋で結ばれた友愛の兄弟たちの武器は斧、レイピア、幅広の山刀、こん棒。
クソマズなスープばかり飲んでるにしては体が、なんかこうゴツゴツがっしりしてる。
「もう一度だけ言ってやる。有り金全部置いて、女どもを残して消えな。でねえと、後悔するぜ」
「後悔するのはそっちのほうよ」
ツィーヌがおれと入れ墨顔の男のあいだに割って入った。
「あ、ツィーヌ。あんまり刺激しないほうがいいんじゃない? たぶん、こちらの人はお食事の邪魔をされて怒ってるから」
「いいから、黙って見てなさい」
「はい……」
ツィーヌが満足げな顔で陶製の小瓶を男の前に突き出す。
「なんだ、そりゃあ?」
「解毒剤よ。あんたたちの鍋に入れた毒の解毒剤」
全員が鍋を見た。おれも見た。
粗末なテーブルの上に直に置かれた寸胴な鍋。
おれが見ている限り、ツィーヌにあの鍋に毒を入れるチャンスはなかった。
同じことをたぶんヒゲどもも考えたらしく、ゲラゲラ笑い始めた。
「ひーひひ、ガキが下らねえハッタリかましやがって。ああ、腹が痛え。いて、いてえ、いてててて」
ツィーヌがおれに忠告する。
「マスター、左に三歩下がって」
言われた通り、三歩下がると、顔面入れ墨男が顔を歪め、おれがさっきまで立っていた場所へ血をシャワーみたいに吐き出して、ぶっ倒れた。
どひゃあ! スプラッター!
「自分の吐いた血反吐で溺れ死にしたくなかったら、きかれたことにこたえなさい。菓子職人ギルドの売り手はどこ?」
十七本の人差し指が部屋の奥のアーチ状の窪みを指差した。
ツィーヌが解毒剤の栓を抜いて、スープに注ぎ込むと、ヒゲ男たちはそれが地球に残された最後の空気みたいに飛びついて、象みたいな想像を絶する勢いでぐびぐび飲み始めた。
「知ってる、マスター?」
ツィーヌがおれのほうを振り返って、ウィンクした。
「解毒剤は空腹に勝る調味料なのよ」
「ただし、毒を飲み込んだマヌケに限る、だろ?」
「その通り」
――†――†――†――
ストーンウェイク菓子職人ギルド。
スープ窟〈悪魔の闇鍋〉の奥にある小さな部屋がギルド本部だ。
空っぽの本棚や木箱に麻袋をかぶせただけの椅子からはペーパー・カンパニーの匂いがぷんぷんする。
「ここは便宜上の本部にすぎん。スープ窟が製菓学校だったころの名残だ」
ギルドのオーナーであるウィンヒルは懐かしんだ。
「わしはウェストサイドが現在よりもまだ少しはマシな街だったころを知っている。徒弟時代を過ごした場所がヘドロの製造所になるのを見ることになると分かっていたら、こんなに長生きはせんかった」
「それでギルドの全権利の譲渡にかかる購入費用なんですけど、本当に金貨三十枚でいいんですね?」
「ああ。前から田舎に土地を買ってある。そこで、村の子どもらに小さなクッキーでもつくってやって、好々爺として残り少ない余生を過ごすつもりだ。
しかし、若いの。本当に菓子職人ギルドを買うのかね? はっきり言って、このギルドでカネを儲けるのは難しいぞ」
「儲けるために買うんじゃない。つくってもらいたい菓子があるから買うんだ」
「それはいい。だが、後になって、どうしてあのとき教えてくれなかったと言われても困るからな。このギルドについて、もう一度ざっと説明しよう。
たいていのギルドは職人同士の連帯によって生まれるが、菓子職人ギルドは国王付き財務官の強制で生まれた。
菓子は行商が多く、小売り商人から税金を取り切れない。
だから、材料を菓子屋に卸す時点で税を一括徴収しようとしたのが始まりだ。菓子職人ギルドは菓子税を払い、その分を菓子職人に卸す材料に上乗せする。ここまでは分かるな?」
「ええ」
「その上乗せのせいで、パン用の小麦と菓子用の小麦は全く同じものなのに、値段が四倍も違う。おまけにパン用の小麦を菓子に流用するのは重罪扱い。これじゃ繁盛しろというのが無理だ」
「でも、特権もある」
「まあ、そうだな。小麦、砂糖、ミルク、卵などの菓子の材料については無担保で料金後払いの信用買いができる。それも最大で金貨一万枚分。だが、材料をさばき、購入費を精算し、税金を取られた後では金貨にして百枚も残らない」
ひでえ商売だな。
金貨一万枚分の菓子用材料にかかる税金は四百パーセント。
それを上乗せして、職人に材料を売り切れたとして、売り上げは金貨四万枚。
そこから税金を持っていかれ、その他もろもろの経費を差っ引くと残るのが金貨百枚。
つまり、利益率は0.25%。
とは言え、こっちは別にギルドで商売しようってのではない。
「それでオッケー。これが代金です」
カノーリをつくらせるのが目的だ。
それだけなのだが……。
「さあ、用も済んだんだし、はやく帰ろう――マスター、きいてるのかい?」
「マスター? ちょっと、マスター!」
使える。そんな気がして、しょうがない。
このギルドを使って、ラケッティアリング。
なんというか、こう、喉まで出かかってるんだけど、まだ形がしっかり定まらない。
確かに税金の重さが半端ない。
だが、金貨一万枚分の材料を担保なしで購入できるというのは、武器になる。
金貨一万枚は日本円で三億円相当。
これを利用せずにいたのでは、おれもそこらのチンピラスープと変わりがない。
ここからスマートな稼ぎを思いついてこそのゴッドファーザーだ。
「マスター! 伏せろ!」
体当たりされうつぶせに倒れるおれのすぐ上を剣が横に薙ぐ。
倒れたおれの背中を膝で押さえたまま、降り注ぐ乱刃を防いでいるのはどうやらジルヴァらしい。
ヒュン! ザクッ、ザクッ! ブシュッ!
「ぎゃっ!」
剣閃。悲鳴。ぶっ倒れたならずもの。
おれの目の前に突き出された顔はX字に、喉は真一文字に切り裂かれている。
おれは襟元つかまれて、子猫みたいに引っぱり上げられた後、
「走れ!」
と、言われた。
言われたとおり、走る。
「いったい、何が起きたんだ? ――げっ!」
おれの目に入ったのはスープ窟全体を巻き込む乱闘流血の巷だった。




