第四話 ラケッティア、魚のたとえ。
「ドン・クルス。会えてうれしい」
「わしもですよ、ドン・ヴァレンティ。いずれ伺おうと思っていた」
ドン・ファウスト・ヴァレンティ。
思ったより大柄で、古いウールの軍服らしいカデット・グレーの外套をつけ、チョッキから時計の銀の鎖が見えている。膝には二つ折りにした毛布をかけていた。
今日はそんなに寒くない。それなのにこの厚着。
皮膚は蒼白く、細い首を襟がもてあまし、
たぶん持病があると見た。
顔はどんなかんじかというと、ハリポタのダンブルドア先生みたいだといえば、たぶんよい子のみんなは分かるだろう。
ちなみにリチャード・ハリスではなく、マイケル・ガンボンのほう。
ちなみにマイケル・ガンボンも『モブスターズ ~青春の群像~』というマフィア映画でサルヴァトーレ・マランツァーノを演じているから、この話し合いはジョセフ・ワイズマン扮するサルヴァトーレ・マランツァーノとマイケル・ガンボン扮するサルヴァトーレ・マランツァーノの話し合いということになる。
というわけで、いよいよテンション上がってきた。
ここに来て、ゴッドファーザー度がぐんと上がったな。
ダンブルドア先生が出てくるなら、ゴッドファーザー度じゃなくて、ハリポタ度が上がるべきだという意見もあるだろうが、ここはスローなマフィア・ライフ(?)を楽しむ異世界だ。
ハリポタ度が欲しいなら、チートな魔術師が出てくるほうへどうぞ。
「軍にいたのかね?」
おれがたずねると、ドン・ヴァレンティはうなずいた。
「若いころに。二十一だった。志願兵を集めて部隊をつくり大尉の階級で参加して、戦争が終わるころには将軍になった。ヴァレンティの名が通用しない世界でどれだけやっていけるか試そうとしたのだが、得た教訓は一つ。国のために命なんて懸けるな。戦争でやられて、びっこを引くなんてもってのほかだ。こうして軍服を着るのは、そのおかげで自分の仕出かした馬鹿をきちんと覚えていられるからだ。大きな過ちを常に身に感じることで人間は少しは注意深く生きていける。あんたは若いころ、何に命を捧げた?」
絶賛捧げ中の若いもんで、とりあえず弱小アサシンギルドを大きくすることにハマってます。
――とは言えないので、適当に取り繕う。
「ファミリーだ。つくっては解体し、またつくった」
「今度はそれをウェストエンドのわたしの縄張りでやろうとしている」
「ささやかな小遣い稼ぎだがね」
「そのささやかな小遣い稼ぎは一か月に銀で二万五千枚にはなるのだろう?」
「あんたの抱えている市場ほどではない」
「ナンバーズ。あんたは錬金術の才能に恵まれている。これまで三つの商会の誰も目を向けなかった貧乏人どもを金の卵を産むガチョウにした。加えて、あんたはコーサ・ノストラのアサシン四人をそのまま抱え込んでいる。ささやかというにはその組織、質が高すぎるとは思わんかね?」
「人間、用心しすぎるということはない」
「自分の商売については誰からの保護も必要ではないということか?」
「お互いに敬意を払い合っている限り」
「だが、世の中には敬意というものが分からんやつらもいる。フライデイのやつらは獰猛な狂犬で、フェアファックスはクソの詰まったシルクの靴下だ」
「今のところ、やつらに仕掛けられたことはない」
「だが、不変なものなどあり得ない」
「そうだな」
かっこいい。
かっけー! かっけー! かっけええええ!
おれ、いま、めちゃくちゃかっけー!
『ファミリーだ。つくっては解体し、またつくった』
高得点ーっ!
やり取りはごく自然だし、お互い、大物っぽい雰囲気は崩していない。
これがもとのさえない高校生の姿ではこうはいかない。
おっけー。
相手は『不変なものなどあり得ない』と言ってきた。
なんて、返せばいいかな?
ここはこのまま『いかにもたこにも』と肯定的な返事をすべきか、あまのじゃくにいくか?
とにかく気の利いたセリフを一発お見舞いして場外ホームランだぜ。
お、思いついた。
脳みそがOKを出し、肺がOKを出し、喉がOKを出した。
気の利いたことを言おうと、薄い唇が離れた瞬間、
「オヤジ! オヤジ!」
この知的なゲームを台無しにするバカみたいな声。
池の反対側にある扉が開いて姿を見せたのは、間の悪さと声の馬鹿さ加減を裏切らない酒太りしたおっさん。おまけに両肩にけっばい娼婦を抱き寄せてて、その娼婦が、キャー、超大きい家、とか言ってやがる。
バカ三人はゲラゲラ笑いながら退場。
でも、こいつらのおかげで返答が思いついた。
ドン・ヴァレンティ、と、おれは優しく言ってやる。
「不変なものは存在する。帝国がその器でないものに受け継がれ、潰えていく空しさと哀しさと怒り。これはあらゆる帝国の建設者が抱く不安だ。父親の愛と呼んでもいいだろう」
カキーン! ランディ・バース! 甲子園球場で場外ホームラン! 神さま仏さまバースさま、ホームランかっ飛ばしました! イエーイ!
こほん。
ドン・ヴァレンティは間違いなく病魔にその体を蝕まれている。
だが、もっと大きな問題は自分の帝国を受け継ぐ息子、仮にジュニアと名づけるが、そのジュニアがどうしようもないほどのおバカさんだということだ。
そして、ファウスト・ヴァレンティがおれを呼び、おれのナンバーズから上がりをかすめるつもりもなく、マフィアのボス流の言葉遊びみたいなことをしたのは、もし自分が死んだ後、あのジュニアに肩入れさせるためなのだ。
もちろん、相手も海千山千の強者だから、今日、今すぐ味方しろと言質を取ったりはしない。
ただ、おれたちのナンバーズビジネスに興味を持っているのはヴァレンティ商会だけではない。
フライデイ商会やフェアファックス商会がどう出るか?
そこらへんの情報が出そろったところで、おれたちの勢力と同盟するはずだ。
まあ、それだけ、あの四人のアサシンがすごいということだ。
チートなのは主人公ではなく、美少女たちのほうだったわけだ。
ドン・ヴァレンティはおれの言葉に何か返すかわりにガラスの水差しを手に取った。
その水差しはさっきから不思議に思ってたんだけど、なかに人差し指くらいの大きさの小魚が泳いでる。
ドン・ヴァレンティがその水差しの中身を池に注ぎ込む。
小魚はしばらく蓮の葉のあいだを泳いでいたが、黒く大きな魚影が見えたかと思った途端、水が飛び散り、小魚は消えた。
一瞬だったが、大きな魚の尖った顔が見えた。
ヴァレンティ商会の封蝋に描かれていた魚と同じだ。
小さな組織はしばらく自由に泳いでいられるが、そのうち大きな組織に喰われてしまうといいたいのだろう。
いい趣味だ。おれもピラニアみたいな魚を飼って、真似したくなった。
要求を呑まないチンピラやカネを返さないイカサマギャンブラーの目の前で肉を食いちぎる様を見せつければ、効果抜群のはずだ。
――†――†――†――
さて屋敷に帰ってきて、最初にやることは会談中、馬車に残ってたツィーヌとアレンカが代わりばんこで厨房からこっそりかっぱらった高級食材の数々を我がギルドの食料庫に運び込むことだ。
薄切りにしてメロンに添えるような稀少なハム。
金色の鯛。濃密なカカオ飲料。
肉のしまった鶏。胡桃の森に放って育てた豚。
さすが食材にみかじめ料取りたてているだけのことはあって、調理しがいのあるものが揃ってる。
「いやあ、腕がなるね。明日の夕食楽しみにしとけよ……ん、どしたの、あなたがた? そんなにおれのことじっと見てさ。なんかついてる?」
「もう戻ってもいいんじゃないの?」
「何に?」
「元の姿」
「えー。もうしばらくこの格好でいたいな」
と、言ったら、四人の猛反対にあった。
「元のほうがずっといい!」
「声も優しいのです!」
「ほら、さっさと戻りなさいよ!」
「マスター……」
「わかった、わかった、わかりました。戻ればいいんでしょ、戻れば」
ツィーヌから元に戻る薬をもらって、飲み干す。
目のかすみがなくなって、背中もしゃんとして、いかにも若返りました感が出てきたけど、おれの趣味が全否定されたようで、なんというか、空しい。
この空しさを癒す方法はただ一つ。
パンチラ? ツンデレ? ラッキースケベ?
違う。
カノーリだ。それもとびきりうまいやつ。




