第三話 ラケッティア、おめかし。
ツィーヌに薬を頼むとき、おれは、しゃがれ声でしゃべる頭のよさそうな老人とだけ頼んだ。
マーロン・ブランド扮するドン・コルレオーネにしてくれとは言わなかった。
そこは恐れ多い。
ただ、ツボは押さえて注文したから、実際、どんな感じになるのかわくわくしている。
というわけで、四日後の午後四時、書斎風の部屋。
おれはツィーヌから渡された薬を飲み、空の小瓶を窓から差し込む西日のなかで透かしてみた。
碧い江戸切子みたいなきれいな瓶で、こういうチョイスにツィーヌの美意識が表れている。
なーんて、本人には言ってやらないんだな、これが。
最近分かってきた。ツンデレは焦らすに限る。
さて、服装もこだわり、この中世ヨーロッパ風異世界において、一番ゴッドファーザーっぽい服を選んだ。
とはいえ、フェルト帽は中折れ帽というよりシルクハットみたいだし、靴もすこしゴツい。
書斎にあった鏡は外の廊下に運び出したので、自分が今、どんな姿かは外に出てみるまで分からない。
たぶん四人も待っていることだろう。
というわけで、いざ行かん!
「ひゃっほう!」
ドン・コルレオーネ風のしゃがれ声で歓喜の掛け声を飛ばしながら、元気よくドアを開けた。
鏡はドアの真ん前に置かれていた。そのなかに映るおれの姿はというと――、
「おお、いけてる! 服装も思ったより、それっぽい!」
どんな感じかって?
『バラキ』というマフィア映画に出てくるジョセフ・ワイズマン扮するサルヴァトーレ・マランツァーノにそっくりだといえば、よい子のみんなにも分かるはずだ。
なに? 分からん。分からん人はツタヤで借りるかしてくれ。
おれは今、嬉しくて、説明していられんのよ。
「いやあ、これは参っちゃうね。テンション上がっちゃうね、これ。予想以上の仕上がりで――って、四人ともその格好はどうしたんだ?」
鏡の左右に並ぶ彼女たちが特別にあつらえたらしい格好をしているのだけど、これはツタヤで借りようがないから、説明しなきゃ駄目か。
パッと見、黒。
首から下、指先つま先まで覆ったウェットスーツみたいな黒のインナーの上に黒とグレーのセーラー服風ライト・ドレスでそれぞれの得意武器、剣、毒の小瓶、魔法書、短剣をつけている。
ライト・ドレスを脱げば、そのまま潜入用の黒装束につかえるし、ドレスを着ながらでも戦闘のような激しい体の動きを阻害しないよう、いろいろ工夫はされているらしい。
その工夫の結果、スカート丈がきわどいものになっている……。
……おれがやれって言ったんじゃないスよ?
「みんなで考えたのです。マスターの好きなマフィアっぽいですか?」
いや。正直、女ショッカー。
これ見た人間全員がこいつらろくな洗脳受けてねえぞと思うこと間違いなしのアサシンウェアなのは確かだが、マフィアとは全然違う。そもそも、マフィアに美少女暗殺者なんていないし。
「すげー、かっこいいじゃん! 四人とも似合ってるよ!」
悲しいかな。ハーレムで暮らすとは己を曲げることなのだ。
その後、馬車業者から借りた二頭の栗毛と箱馬車でヴァレンティ商会の本拠地である、ヴィッラ・デ・ヴァレンティへ向かう。気分はシンデレラだ。
ただ、誰が馭者台に一人で座り、誰がおれと一緒に馬車に乗るかで四人がもめた。
マスターと一緒になかで座りたいとはいじらしいこと、この上ないが、四人の口喧嘩がヒートアップして、殺し合い寸前になりそうになり、それをおれが教えたじゃんけん(なんと、この世界にはじゃんけんがなかった)によってごく平和的に解決へ導いたことは述べておいてもいいだろう。
結局、馭者台貧乏くじはグーが三、チョキが一つのストレート負けでジルヴァが引くことになった。
ジルヴァは文句ひとつ言わなかったが、やはり怒っていたのだろう。
道中の運転がめちゃくちゃ荒くて、途中三回くらい「あ、これは死んだな」って思う車体傾斜四十五度のカーブがあった。
特に三度目が一番危なかった。
「きゃーっ」
カーブの際の遠心力を口実にして、わざとアレンカがおれにもたれかかる。
お、やるな、とマリスも寄りかかる。
馬鹿みたいと言いながら、ツィーヌもおれに寄りかかる。
(ドドドッともたれかかる美少女)×3=異世界ラッキースケベ。
理論上はこうだ。だが、実際には、
(ドドドッともたれかかる美少女)×3=馬車の扉が開いて、外に投げ出される。
「大変だ! マスターが外に吹っ飛んだ!」
「ジルヴァ! 馬車止めて!」
おれはというと、道端で干し草を満載した荷馬車に頭から足首くらいまでアメリカン・カートゥーンばりにずっぽり突っ込んでいた。
四人が苦労して、おれを引っぱり出し、おれはおれで、服から必死こいて藁くずを落とした。
これ以降、ジルヴァの運転は大人しくなり、アレンカたちも遠心力がかかっても、足で床を突っ張って、こっちによりかからないように気をつけた。
おれもそれなりにスケベに生きてるつもりだから、正直、寄りかかられたとき彼女たちの髪が顔のすぐ先でふわっとするのや、腕にささやかな胸を押しつけられたり、妙に温かい脇腹を近くに感じられる機会が失われたのは惜しいと思う。
でも、今度やられたら、首の骨が折れます。
チート主人公なら首の骨が折れるくらいでは死なないかもしれないが、おれは神さまから能力チートを受け取った覚えはない。
ここはスケベよりも命を大事に行動すべきだな。
と、まあ、途中いろいろあったが、おれたち一行はちゃんと目的地に近づいている。
街の角、街の角にヴァレンティ商会の子分らしいのがカンテラを持って立っていて、馬車の進む先を示している。馬車はいつの間にかヴァレンティ家の土地へ導かれ、夜闇に点々と灯る篝火のほのかに甘い匂いが流れるオレンジ園へと入っていった。
ヴィッラ・デ・ヴァレンティはそれなりの広さがある果樹園であり、その敷地にヴァレンティ商会の当主であるファウスト・ヴァレンティが住んでいる。
オレンジ果樹園のあちこちにはクロスボウや斧で武装した、ちょっと着崩し気味の傭兵っぽい男たちがいて、さすがウェストエンド三大ファミリーの本拠。
道の先にある古い屋敷もいい味を出している。
ただしゴッドファーザー度は三十五。そんなに高い得点じゃない。
理由は豪華すぎ。ゴッドファーザーというよりフィリップ・マーロウの世界に出てきそうな大邸宅だ。
馬車を大きな噴水のある車まわりで止めると、ジルヴァが扉を開けた。
馬車にはツィーヌとアレンカが残り、マリスとジルヴァがおれの二歩後ろの左右につく。
しかし、よくもまあ、感情ゼロの血も涙もない暗殺者風の顔をつくれたもんだ。
みんなジルヴァみたいな感じになり、ジルヴァはいつもよりもジルヴァらしくなっている。
つい、数時間前、帰ったら食べようと思い、大切にしまっておいたおれのチーズケーキが誰のものであるかをめぐって(いや、おれのものなんだけど)、ガキみたいな喧嘩をやった四人の少女と同一人物とは思えない。
もっとも、彼女たちからは変身したおれの姿が本物のじいさんっぽかったと言われたのだから、お互いさまか。
ヴァレンティは古くからの大地主というだけあって、屋敷はフィリップ・マーロウ的豪華さがこれでもかと印象づけられる。
教会建築に影響を受けたらしい建物正面に柱廊を配し、それが左右の翼棟までつながっている。
一日一枚のノルマでぶち割っても一年ではぶち割り切れない窓の全てが明るく輝き、前庭のきれいに刈った茂みや泉を照らしていた。
ドアの前に細身の老執事が待っている。
「ようこそおいでくださいました。ドン・ヴァレンティがお待ちです」
帽子をメイドに預けて、玄関広間を進んだ。
屋敷のなかも豪華。
つやつやと高そうなマホガニー空間には手の込んだ飾り家具だの、この世界の聖人らしいヒゲオヤジの彫刻だの、ある街の広場を描いたらしいウォーリーを探したくなるような人物だらけの緻密な絵画だの、洋館にはぜったい欠かせない鎧だのがたくさんある。
が、部屋がかなり広いから、カネで飽くまで集めたような、ごちゃっとした成金感がない。
ファウスト・ヴァレンティの趣味がいいのか、それともこの世界にも空間アドバイザーみたいな感じの職業があるのかは知らないが、うちのギルド屋敷もこのくらい立派にしたいものだ。
なにせ、おれたちの屋敷ときたら、普通に廊下を歩いているだけなのにネバっこい蜘蛛の巣が顔面に飛び込んでくるし、ナンバーズの上がりを数える集計部屋では鋳鉄のシャンデリアが一日に数センチずつ下がってきて、今じゃ、おれの顔の高さまで降りてきて、カネが数えにくくてしょうがない。
まあ、建物がぼろいするのはしょうがない。
でも、侵入者用の罠がいまだにおれの命を狙っているのはいかがなものか?
四人のアサシンがおれをギルドマスターと認めても、屋敷には屋敷なりの腹づもりがあるらしい。
毒を塗った槍だらけの落とし穴にコンマ一ミリの差で落ちかけてから、おれは四人に罠を全部解除するよう厳命した。
全部解除したと彼女たちがアサシンの名誉にかけて誓ったほんの数秒後に、魔法陣でつくった地雷もどきのせいで蒸発しかけた。
ハコもの商売をどうにかする前に、あの屋敷をどうにかしなくちゃいかんな。
まったく。
おれとマリスとジルヴァは執事の案内で広間や廊下を通り抜け、曲がり、階段を上り、サイコロを転がす音のする部屋やペパーミントの匂いがする部屋の前を横切り、ようやく大きな池のある中庭に出た。
池のほとりにファウスト・ヴァレンティがいた。
大きな水差しを置いた小さな机のそばで目をつむって眠っているようにも見えるし、池のほうを見ているようにも見える。
「ここから先はドン・クルスおひとりで」
執事が言った。ドン・クルスと。
ひやああああほおおうう!
やべー! ドンがついた、ドンが!
クルスって呼び方はメキシコ系マフィアっぽいけど、とにかくやべー!
もちろん、おれはそんな興奮は胸の奥にしまい込んだまま、澄ました顔で右手を軽く上げ、マリスとジルヴァをその場にとどめた。
この距離なら、向こうが何か物騒な真似をしても対処できるだろう。
おれは池のほとりへ歩き、椅子に腰かけた。
上納金を要求されるか。
殺しを請け負わされるか。
傘下に入れと命令されるか。
ともあれ、正念場はこれからだ。




