第八話 ラケッティア、呼び方について。
前回までのあらすじ。
酒のハイジャッカーだと思ったら、妖怪首おいてけだった。
謎の剣士の刃を防いだのはツィーヌの毒でもなく、フレイのバリアでもない――ジャックの短剣だった。
そのときまで、おれはジャックが短剣を、しかも暗殺者用のめちゃ切れそうなやつを持ち歩いてるのを知らんかった。
その後、おれはフレイかツィーヌに襟をつかまれて、後ろへ引っぱられ、それと入れ替わるように二人が謎の剣士に襲いかかった。
おれはというと、雷属性のまわし蹴りだの、意思を持った毒の小瓶だの、ジャックの昔とった杵柄だのの華々しい活躍を見ることができなかった。
後ろに引っぱられた勢いそのままに馬車の荷台から転がり落ちて、橋の歩道の角に頭のてっぺんをぶつけて、ヒイヒイのたくりまわっていたのだ。
いや、もう、痛てえのなんの。
「ちょっと、マスター。大丈夫なの?」
「無理、頭が割れて、脳みそが飛び散った」
「敵性反応は急速で戦闘区域より離脱。司令、追撃モードに移行する許可を」
「ほっとけ。用がありゃ、また来るさ。おー、イテー」
「大丈夫か、マスター?」
「ちょっと! マスター呼びはわたしとマリスとアレンカとジルヴァの特権なんだからね!」
「でも、雇われバーテンのおれからすれば、マスターはマスターだ」
「他の呼び方にしなさい」
「じゃあ、ミツル」
「却下。何よ、それ。わたしたちより親密そうにきこえるじゃない」
「じゃあ、おれがマスター呼びで、あんたたちが変えればいい」
「はあっ!? あんた、どうやら死にたいみたいね」
「簡単に殺られるつもりはない」
「トキマルといい、あんたといい、うちの男どもは――」
「司令。司令の呼称の独占に関する承認をお願いします」
「あっ、ずるい! じゃあ、わたしはマスター呼びを独占にしてもらう! 文句ないわね?」
「おれもマスター呼びを申告するぞ」
「あのさ、お前ら、おれへの呼称で言い争ってるヒマがあったら、飛び散ったおれの脳みそ、ちりとりで集めてくんね?」
――†――†――†――
〈銀行〉のオーナーたちが次々とあらわれ、自分は関係ないと釈明にやってきた。
おれのカジノは〈銀行〉にとって商売敵なわけだし、当然疑われるだろうが、おれを襲った殺し屋の質を考えると、〈銀行〉よりももっと根深い何かを感じさせる。
とりあえず、ゴッドファーザー・モードで中庭に集まり、アサシンウェアのマリスとジルヴァが非常に威圧的な顔で後ろに控える状態で〈銀行〉連中を安心させた。
「何もあんたたちがやったとは思ってない」
「我々も犯人探しに協力しますよ、ドン・ヴィンチェンゾ」
何が協力しますよ、だ。
確かに雇ったのはこいつらじゃないが、でも、やられてくれれば、それでもいいと思ってたに決まってる。
五人の〈銀行〉マンはどいつもこいつもデカい指輪をはめて、宝石をはめた首飾りや金のマント留めできらびやかだが、その中身はヘドロだ。
というのも、こいつら、おれのスロットマシン帝国に挑戦しようとして、小商店経由で手に入れた〈リバティ・ベル〉を分解し、製造法を盗み取ろうとしている。
スロットマシンは基本的にリースであり、台数を増やしたかったら、おれにリベートを払わないといけない。
それが嫌なのとスロットマシンの供給を牛耳って、おれの真似をして小さな商店に貸しまくりたいと思ったらしいが、どっこいそうは問屋が卸さない。文字通り、おれは問屋なわけだし。
まあ、いい。
ちょうどいい機会だから釘を刺しておいてやる。
「分解した〈リバティ・ベル〉を返してもらおう」
「待ってくださいよ、ドン・ヴィンチェンゾ。ここにはあなたの持ち物に手を出すような命知らずはいませんよ」
「ルーヴァ銀行で三台、ミラモンテス銀行で四台で、うち一台はレバーの跳ね戻しバネを誤って切ってダメにした。コトレ銀行は〈ストレート・フラッシュ〉に手をつけてるだろう? 縄張り侵犯だぞ。今すぐやめろ」
名指しされた〈銀行〉はすっげえバツの悪い思いをしていた。
なんでバレたんだろうと思ってるんだろうが、それぞれの銀行にはスパイがいるのだ。
その内訳は掃除人や調理人、ディーラー、そして支配人まで。
空中庭園のカジノ化を考えて以来、〈銀行〉が何か悪さをしてくると思って、カネでスパイを買ったのだが、思わぬところで悪さが見つかった。
こんちくしょうどもはおれのスロットマシンに手をつけていたのだ。
もし、おれがシチリア・マフィア方式でこいつらを裁くなら、刑は死刑一択だ。
〈銀行〉には爆弾を放り込み、幹部は皆殺しになってもおかしくない。
でも、まあ、ここはシチリアじゃなくてカラヴァルヴァだ。
やつらの悪行はスパイではなく、アサシン娘たちの侵入で分かったことにし、暗に殺っちまおうと思えば、すぐに殺れるのだ、とほのめかして、ビビらせるにとどめた。
それにクルス・ファミリーは今、大きな問題に直面している。
おれの首を狙った謎の刺客――は、そこまで大きな問題ではない。
問題はおれの呼称だ。
〈モビィ・ディック〉でアサシン娘とジャックがおれを〈マスター〉と呼ぶ権利をめぐって、仁義なき戦いを繰り広げていた。
「ボクらにとって、マスターはアサシンギルドのマスターだ。だから、ボクらにはマスターをマスターと呼ぶ権利がある」
他の三人がパチパチ拍手し、マリスの演説にいいぞいいぞ、そのままいてこましたれ、とエールを送る。
だが、ジャックも負けていない。
「組織がアサシンギルドの体裁を取っていたのはだいぶ昔で、今はもっと手広い組織になっている。暗殺による金儲けが事実上禁じられてるなら、ここはギルドではないし、マスターもいない。だから、あんたたちはマスターのことは〈ドン〉とか〈ボス〉と呼ぶべきなんだ」
ジャックは口数が多いほうではないし、何となく引っ込み思案だが、そんなジャックがマリスと対等な論戦を繰り広げているところを見ると、呼称とはよほど大切なもののようだ。
店の端っこで甘いコーヒーをすすりながら、どーでも、とあくびしているトキマルほどではないが、 おれは自分の呼称について、あんまりこだわりを見せず、相手任せにしてきた。
それというのも、マフィアのボスの呼称はそんなに細かく決められているわけではないからだ。
マフィアの組員がボスのことを呼ぶとき、〈ボス〉なんて言い方しない。
ジョンとかジョーイとかチャーリーとか上の名前の愛称で呼ぶ。
たとえば、我がラケッティアの偶像リトル・ニッキー・レンジリーのことを〈殺人株式会社〉の社員たちは社長と言ったりしない。
ただ、ニッキーと呼ぶ。
話のなかにもう一人ニッキーと呼ばれるマフィアがいて、それと区別をつける場合は〈殺人株式会社〉の本拠地がブルックリンのキャンディストアにあるから、〈ブルックリンのニッキー〉と呼ぶ。
リトル・ニッキーとは呼ばない。
ちび、というのはあまり良い呼び方ではない。
あと、ドン・コルレオーネとかドン・カルロといった呼び方はかなり古く、珍しいケース。
あと、あだ名。
ちびだから〈リトル・エディ〉。でかいから〈ビッグ・ジョー〉。
赤毛だから〈レッド〉。滅多に笑わないから〈ハッピー〉。
逃げ足が速いから〈ダッシャー〉。ユダヤ人だから〈ハイミー〉。
話し方がせわしないから〈チック・タック〉。
マジでイカレてるから〈マッドドッグ〉。
すぐ銃の引き金を引きたがるから〈マイク・ザ・トリガー〉。
まあ、この手のあだ名の半分以上は新聞記者や警察関係者がつけた名前で、本人同士で呼び合うこともない。
それとラスベガス・カジノ建設の偉大な先達であるベンジャミン・シーゲルのあだ名は〈バグジー〉だが、これには虫けら、もしくはイカレポンチという意味があり、本人を前にして使ってはいけない。
ウォーレン・ベイティ主演の『バグジー』でも、カタギにバグジーと呼ばれて、そうゆう呼び方は失礼だぞ、とやんわりたしなめていた。
あの映画のバグジー・シーゲルは人懐っこくて、身だしなみに気を使い、お顔にパックしたり目の上に輪切りのキュウリ乗せたり、愛人や女房が怒ると頭の上がらないお茶目な二枚目だったが、何かの拍子にスイッチが切り替わると、まさにバグジーで、とんでもない切れ方をする。
殴る蹴る怒鳴るは当たり前。一人ロシアンルーレットをしたり、豚のモノマネをさせて蹴飛ばしたり。
オープニングでも、カネを横領した相手にそんなことは露知らずなフリをして、ネクタイとシャツをプレゼントしまくり、いきなりのことに戸惑う相手に、これがいい、あれがいい、とコーディネートしていたかと思ったら、いきなり銃を取り出して、大勢が見ている前で全弾ぶち込んだりする。
派手な銃撃戦とかはないけど、なかなかおもろい映画だった。
あれ。でも、待てよ?
ひょっとすると、治安裁判所でもおれの知らないところであだ名がつけられてるのかな?
「マスター! きいてるのですか!」
「ふぁっ!」
「ジャックに別の呼び方を与えてほしいのです! マスターだって、アレンカたちだけにマスターって呼ばれたいはずなのです」
いや、別に、と思わず口に出しそうになって、慌てて止めた。
そんなことしたら、間違いなく折檻だ。
「じゃあ、分かった。ジャックにはジャックだけが使う呼び方をおれが考えるよ。うーん……前関白太政大臣なんてどう?」
「さきのかんぱくだじょうだいじん……わかった。改めてよろしく頼む。前関白太政大臣」
「ごめん。その呼び方、キャンセルで。まだ暗い過去を払いきれていない元暗殺者の素朴な喜びを前に取りやめになりました。オーナーなんて、どう?」
と、おれはジャックに、というよりマリスたちに打診するようにたずねた。
「まあ、ボクは異議なしだ」
「アレンカもオッケーなのです」
「妥当なところじゃない」
「……(こくん)」
「で、ジャックは?」
返事をきくまでもなく、陰のある眼は嬉しそうにキラキラしていた――陰があるなりに、だが。




