第二話 ラケッティア、物足りない。
「うーん」
「どうした、マスター?」
「来るはずのものが来ない」
「生理か?」
「女の子が生理とか言っちゃいけません。アレって言いなさい」
「で、何が来ない?」
「ヴァレンティ商会」
「どうして、やつらが来ないといけないんだ」
「理由はこれだ」
おれはテーブルの上の貨幣の山をパッと開いた両手で指し示した。
おれとマリスのあいだに銀貨の山がテーブルに狭しと並んでいる。ざっと一万枚くらいあるだろうか。
これがナンバーズの一週間分の集金なのだ。
ナンバーズはあれから一ヶ月、驚異的な成長を遂げた。
平均年齢十歳の悪ガキ軍団や売れない役者など総勢百名の集金人がウェストエンドじゅうから賭け金を集めている。
稼ぎが多くなったので、ギルド屋敷の二階の空き部屋を集計室にしたくらいだ。
嬉しい誤算もあった。ナンバーズの顧客である貧乏人たちは最初こそ、銅貨一枚二枚と張り込んでいたのだが、今では銀貨一枚、二枚と張り込んでいる。
ナンバーズが見せる夢は想像以上に甘美だったらしい。
思えば、これまで商人に足蹴にされ、貴族の馬車にぶっ飛ばされて、何もしていないのに騎士団にしょっぴかれたりしてきた貧乏人が実際にその目で三つの数字を当ててチャンスをものにした勝者を目にする。
ナンバーズは他のギャンブル以上に自分だって勝てるのだという希望を与えるわけだ。
それで今では月に銀貨四万枚の売り上げ。
さまざまな諸経費を差っ引いても、銀貨二万五千枚は残る。
「だからこそ、ヴァレンティ商会の人間がうちにやってこないのはおかしいんだ。ナンバーズの顧客は特に北部に多い。つまり、やつらの縄張りだ。いくら、客層が重なってないからって、自分の縄張りでこんなに儲けてるやつがいたら、何割かよこせ、って言いに来るのが普通だろ?」
「では、マスターはヴァレンティ商会の連中に来てほしいのか?」
「いや、来ないならそれに越したことはない。おれだって上納金なんて払いたくないし。でも、なんか物足りない気がする。こっちから挨拶に行ったほうがいいかなあ」
「よその連中など放っておけばいい」
「でもさ、ファミリーのボス同士が顔を合わせて、深みのあること言って、腹のなか探り合うっての憧れるんだよねえ。なあ、マリス。まさか、お前ら、ヴァレンティ商会からやってきた連中をこっそり殺して裏庭に埋めたりしてないよな?」
「ぎくっ」
「おいおいおいおい、ぎくってなんだ、ぎくって?」
「はは。マスター、ひっかかったな」
ちきしょー。馬鹿にされた気がする。
「マスターは犯罪のことになるとすごいが、それ以外だと結構ぬけたところがある」
「うっさい。余計なお世話じゃ」
「でも、マスター。ヴァレンティだろうとなんだろうと、マスターの邪魔はさせない。そのためにボクがいるし、アレンカもツィーヌもジルヴァもいるんだから」
「急にしおらしいこと言い出したな。その心は?」
「お昼ごはんはパスタがいいな」
「そんなことだろうと思った」
「マスターがつくったあのかわいい名前の食べ物」
「アンチョビか?」
「あれが好きなんだ」
「まあ、おれの自信作だからな。しょうがねえなぁ。どうしてもっていうなら、つくってやるか」
「マスター」
「んあ?」
「今のマスター、すごくツィーヌに似ていた」
「おれ、あんなにめんどくさくないぞ」
誰がめんどくさいですって! と怒りの雄叫び。
「ああ、ツィーヌが来たな。おかえり」
ここはひたすら低姿勢だ。
ツィーヌは最近暴力系ツンデレになりそうな気配がある。
「おかえりなさいませ、ツィーヌさま。今日もご機嫌うるわしゅう――」
「そんな見え透いた低姿勢でごまかされると思ったら大間違いよ」
「今日のお昼はアンチョビ・パスタ」
「む。まあ、いいわ。あれは美味しいから許す」
ツィーヌは最近チョロくもなりつつある。
しかし、アンチョビの思いのほかの受けの良さ。
梅干しで酸っぱさをつけたカポナータをぜひとも試してほしいもんだ。
集金の計算をやめて、井戸に行き、お金さわった手を念入りに洗う。
みじん切りにしたニンニクを弱火で炒めながら、次のラケッティアを考える。
制限時間はニンニクから細かい泡が出るまで。
いやね、ハコものが欲しいんです。
ナンバーズは儲かってるし、そもそも初期投資をしなくても済むから選んだ商売だけど、なまじカネがたまると、固定資産が欲しくなる。
とはいえ、カジノを開けるだけのカネはない。
使えるのは銀貨三万枚。日本円で1500万相当。
そして、一か月の利益が銀貨二万五千枚。
ただ市場は飽和状態だから、これまでのような劇的な成長はないだろう。
手持ちを頭金のつもりで使えば、中古物件を改装するくらいはなんとかなるだろう。
この一か月、他の商会のビジネスを見ているのだが、店のなかで拳闘士を戦わせ金を賭ける血みどろ酒場やエログロナンセンスな劇をかけるモグリの劇場などいかにもマフィアの稼ぎっぽいハコものがいろいろある。
そうしたラケッティアリングを真似てもいいけど、何か物足りない。
物足りない、物足りないって、欲の張った考え方ですけどね、物足りないという考え方が多くの発明品を生み出し、人類を進歩発展させてきたんですよ。
で、まあ、何が物足りないかといえば、なんつーか、こう――せっかく異世界に転生したんだから、ファンタジー世界風のラケッティアリングをやりたい。
フライデイ商会がやっている私闘支援。
騎士の略奪戦争を後押しして金を稼ぐだなんて、まさに中世ヨーロッパ風の世界にマッチしてる。
だから、ここは焦らず、安易なハコものに飛びつかず、資金を貯めて、ラケッティアの神さまがアイディアをおれの脳みそに吹き込んでくれるのを待つのもいいかもしれない。
ああ、そうだ。もう一つ、物足りないものがあった。
カノーリ。
パイ生地を筒みたいな形に巻いて揚げ、クリームをたっぷりつめこむマフィアも大好きな、シチリア島の伝統的な焼き菓子。
イタリア語に忠実に発音するならカンノーリ。複数形はカンノーロ。
今、これが食べたくてしょうがないんだ。
ウェストエンドは貧民街だけど、どうも売春婦が買っていくらしく菓子屋は意外とたくさんあるし、行商人もいる。
で、どこか一軒くらいはカノーリみたいな菓子を売っているだろうと期待して、あちこちまわってみたけど、変化球を打てない助っ人外国人みたいに全部空振った。
まず、菓子店ではたんこぶみたいなブリオッシュとお持ち帰りクリームしか売ってない。お持ち帰りクリームは客が持ってきた小さな壺に入れて、量り売りしていて、客はそのままクリームをなめるかパンにつけるかするという色気もへったくれもねえ食べ方。
行商人のほうは風に吹かれるとポロポロ崩れるジンジャー・ブレッドの一手あるのみ。
まあ、結局、ここはウェストエンドなわけだ。
貧乏人の手に届く精いっぱいのお菓子。
それさえも買えない人間がここにはごまんといる。
だけど、カネはそれなりに出すからカノーリをつくってくれと言っているにもかかわらず、みながみな口を揃えて、ノーと答えるのはいったいなんなんだ?
たんこぶブリオッシュと安いクリームにあそこまでこだわる姿は宗教がかってさえ見える。
ああ、カノーリが食いたい。
甘くて、かりかりで、クラッシュ・アーモンドのかかったやつ。
ヴァレンティ商会、ファンタジーらしいハコものビジネス、カノーリ。
このなかで一番実現しそうなのはカノーリだ。
え? 自分でつくればいいって?
わかってない。カノーリは本職の菓子職人がつくったものに限る。
ん、待てよ。いいこと考えた。菓子職人に高利で金を貸して、にっちもさっちもいかなくして、足を折られるのが嫌ならカノーリをつくれと脅かせば……ありだな、これ。
金貨が三十枚ほど入った革袋を手に立ち上がり、外に出ようとしたところで、ちょうどジルヴァが帰ってきた。
「ああ、ちょうどよかった。集金袋を置いたら、ちょっと手伝ってほしいことがあるんだ。なに、難しいことじゃない。どこかの賭博場に行って、ギャンブル狂いの菓子屋を借金でがんじがらめにして――」
「外に馬車、男が降りている」
「馬車?」
二階の窓から見てみると、なるほど屋敷の鉄門の向こうに二頭立ての箱馬車が停まっていて、仕立てのいい服を来た中年男が門前にもたれている。
「なんか用ですか?」
おれが近づくと、男は鉄門越しにおれのことを値踏みするように目を細めた。
「これをギルドマスターに渡してくれ」
どうもおれのことを伝言係か何かだと思っているらしい。
これはなんの手紙だとたずねる前に、男は箱馬車に乗り込み、手綱が馬の尻を打つと、景気のいい蹄音を鳴らしながら、街路を去っていった。
それは麻ひもを巻いた羊皮紙に赤い封蝋をしたもので、その紋章は顔の尖った魚。
「なんだ、こりゃ? この世界にもダイレクト・メールってあるのかなあ」
封蝋を引きちぎり、紐を解いて、羊皮紙を広げる。
「ふーむ」
マスター! と呼びかけられて、ふと見ると、ツィーヌとジルヴァが前庭へやってくるところだった。
「何があったの? 悪い知らせ?」
「ヴァレンティ商会からだ。親交を深めたいから、うちで飼ってる魚を見に来てくれないかだってさ」
「それ、宣戦布告ね! よし、受けて立つわ!」
「マスター。命令を」
「待った、待った、待った。どこにそんな意味が込められて――あれ? 待てよ」
魚の封蝋。魚。魚。
ゴッドファーザーでそんなシーンがあったな。
ドン・コルレオーネの敵対ファミリーへルカ・ブラージを送りつけるんだけど、ルカは殺されてしまい、コルレオーネ・ファミリーの本部にはルカが付けていた防弾チョッキが魚と一緒に送りつけられる。
それはシチリアの古いことわざでルカは海の底だという意味で――。
いや、でも、これはチャンスだ。
会いに行けば間違いなくゴッドファーザーっぽいやり取りができる。
それに――、
「この手紙には一人で来いとは書いてない。みんなで押しかけて、うまいもん食いまくってもいいわけだ」
「わたしたちも……一緒?」
「もちろん一緒。守ってくれるんだろ?」
「あったりまえでしょ」
「命にかえても」
「よし、じゃあ、ウェストエンド一の犯罪組織に顔見せと行くか。約束は四日後の夜だ。ジルヴァ、マリスとアレンカにこのこと教えてやってくれ。それとツィーヌはここに残ってくれ。相談したいことがある」
ジルヴァが屋敷に戻っていくと、ツィーヌは妙にもじもじし始めた。
「な、なによ、急に二人きりになるなんて」
「なに、ちょっとした驚きをあいつらに提供したくてな。ツィーヌは毒以外にも魔法薬もつくれるんだろ?」
「つくれないことはない」
「変身する薬もできる?」
「できるわよ。何に変身するかによるけど」
「別にドラゴンに変身したいってわけじゃない。おい、耳貸せ」
おれはツィーヌに何に変身したいか耳打ちした。
「えーっ! なにそれ!」
「そんな驚くほどのことか?」
「だって――」
お願いしますと手を合わせ、頭を下げる。
「頼む。こんなことツィーヌにしか頼めないから」
「そう言われたら、断れないけど、でも、あんまり変な薬だと元の姿に戻れないかもしれないわよ」
「そのときはそのとき」
ふっふっふ。これで舞台装置はばっちりだ。
何に変身するかって?
ゴッドファーザーだよ。




