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ラケッティア! ~異世界ゴッドファーザー繁盛記~  作者: 実茂 譲
カラヴァルヴァ ドリーム・オブ・フラミンゴ編
189/1369

第六話 ラケッティア/忍者 世界経済の救世主。

〈ちびのニコラス〉。回廊食堂にて。


「ま、ボクらが本気になれば、このくらいは軽いってことだ」


「そうそう。もっと感謝してくれてもいいのよー」


「だから、……カノーリ……」


「へへーっ、こちらにご用意させていただきました」


 平身低頭。カラヴァルヴァで一番うまいクリームをつくるという菓子屋につくらせた最高級カノーリが原始時代の上納金みたいにアサシン娘たちの前に積み上げられる。


「まあ、頭領にはこのくらいのことはしてくれないとな」


「へへーっ、こちらにご用意させていただきました」


 最上級和三盆でつくった小豆入りのたい焼きがボス猫への上納金みたいにトキマルの前に積み上げられる。


「――って、なんで、お前にペコペコせにゃならんのだ!? お前、なんもしてねえじゃんか!」


「バレたか。でも、正直言って、たい焼き積み上げられても気づかないのを見たときは心配になった。うちの頭領、頭ボケちまったんじゃねえかと」


「うるせーっ、たい焼きは没収だ! ……ぐぬぬ、皿が重くて動かん」


「じゃあ、手伝ってやるよ」


 トキマルがたい焼きをむしゃむしゃ食い始め、エルネストやカルデロンもどれ手伝うかとむしゃむしゃ食い、アサシン娘たちも〈インターホン〉も手伝って、やっと皿が動いたときにはたい焼きは一尾も残っていなかった……。


 な、なんかむかつく。


 ところで、ここまで読んだよい子のみんなは不思議に思うだろう。


 アレンカの状況が一切記されていないのだ。


 それもそのはずで、アレンカはツンと澄まして、というか本人だけがそれをツンと澄ました顔だと思ってる顔で食堂の主賓席に座っていて、その目の前にはお菓子はおろか皿すら置いてない。


 なぜなら――。


「マスター。焦がしキャラメルタルトが食べたいのです」


 おれは〈モビィ・ディック〉の厨房へ飛び戻り、食料庫の跳ね上げ戸を開けた。

 そこには町じゅうの菓子屋から買い集め、つくれるものは自分でつくった菓子の数々、全百種類以上があり、おれはそのなかで焦がしキャラメルタルトを手に取って、回廊食堂へとんぼ返りする。


 本日のアレンカには好きなお菓子を、何でも、気の向くままに食べられる権利が与えられている。


 何せ、今回のカジノのことでアレンカの貢献度はすさまじい。


 水圧式エレベータをつくったのはアレンカ。

 スロットマシンのボディに刻んだ『挑め。さらば与えられん』の古代ペダン文字を考え出したのもアレンカ。

 そのスロットマシンのスロットの出目のためにかっこいい象形文字を提案してくれたのもアレンカなら、店で使う専用トランプの古代文明っぽい図柄を提案したのもアレンカで、賭けチェス用の駒を古代っぽく青い石でアレンジしてみせたのもアレンカであり、アレンカはカジノの時代考証特別監修を担っている。


 青空にすぐ手が届く叢林ジャングルの遺跡をテーマにしたカジノ。


 この成功にはまだまだアレンカの協力が必要なのだ。


 だから、アレンカはおれに言うがままにお菓子を取り寄せることができる。


「マスターもアレンカの凄さを改めて思い知ったのです」


 えっへんと胸を張るアレンカにおれは五体投地で応じる。


 いや、もうアレンカさまさま。

 アレンカ株は上がりまくりですよ。

 どのくらい上がりまくっているか、例を挙げて説明するとですね――。


     ――†――†――†――


 おれはまだあきらめたわけじゃない、と、アレンカの前に全身でひれ伏している来栖ミツルを横目で見つつ、トキマルは心のなかでつぶやく。


 あれから幻術に関しては修行をし、より強い暗示がかけられるようになった。


 そして、頭領は今、精神的に隙だらけ。


 セント・アルバート監獄では一敗地にまみれたが、今度は違う。


 きっついやつを一発仕掛けてやる。


 呼吸を整え、丹田で気を練る。


 それが仕上がり、体にみなぎった気迫全部をアレンカの肩をせっせと揉んでいる来栖ミツルに浴びせかけた。


     ――†――†――†――


「くそっ! またか!」


 長椅子から起き上がりながら、トキマルは毒ついた。


 また幻術返しを食らったのだ。


「頭領め。忍びの修行したことないだって? 絶対に嘘だ。しかし――どこだ、ここ?」


 そこは見たこともない場所だ。

 屋内の、たぶん公共施設だろう。

 というのも、石造でひどく立派で真昼らしいのに途方もなく明るいランプがついている。

 トキマルの起き上がった長椅子はひどく細長い部屋の片隅にあった。

 そのどこまでも伸びる壁はニスで仕上げ上辺をなだらかな曲線に切った高級木材の仕切りで百以上の小さい空間に仕切られていて、その幅八十センチもない仕切り一つ一つに大声で独り言をしている男たちがいた。何十人もだ。

 男たちは壁に取りつけた黒い箱から紐でつながったコップ型の一部を手にとって耳にあて、箱に向かって(正確に言えば、箱に取りつけられたラッパみたいな場所に向かって)、わけの分からない言葉を叫んでいた。


「U・S・スティールが96! 96! 96!」

「アナコンダ銅が83½! 83½! 83½!」

「ラジオ株は46! 46! 46!」


 これは一体、どんな呪文なのだろう?


 男たちの様子を見ると、この呪文を黒い箱に唱えるのは命がけの儀式らしい。

 というのも、全員が全員、顔を紙みたいに白くし、冷や汗をだらだら流し、熱病にかかったみたいに目が充血していたからだ。

 きっとそこまで気力を絞らねば、術に負けて命を取られるに違いない。


 そんな危険な呪文だが、それでもかけたいやつがいるほどの大人気らしく、各仕切りには長蛇の列。


 トキマルが立ち上がり、歩き出すと、紙を踏んだ。

 見れば、床じゅう紙屑だらけなのだ。


 おかしい。この立派な建物に似合わないズボラだ。

 その紙屑にしたって一日二日掃除をサボったくらいではこんなにならないというほどばら撒かれている。


 トキマルは仕切り壁のなかの呪術者たちに背を向け、もっと明るいほうへと歩き出した。

 柱廊を通り過ぎると、そこはまた何かの宮殿だろうかと思えるほど大きな広間だった。

 広さもそうだが、天井の高さが途方もない。五階建ての建物がすっぽり入ってもまだ余裕があるほどだ。


 そして、その部屋には白く輝く、とてつもなく背の高い窓がずらっと並んでいる。


 だが、この部屋にも死の呪文と格闘している男たちであふれ、紙屑が吹雪のようにその頭に降りかかっていた。

 一応、紙屑箱があることはあったが、誰もそれを顧みることなく、それまで命綱みたいに握りしめていた紙束を捨てるときは物凄い叫び声をあげながら真上にばらまくのが常だった。


 トキマルは忍びの足運びをもってしても擦り抜けられないほどの男たちにぶつかられ、押し合いへし合いに巻き込まれ、そのうち魔法の掲示板がある広場へと押し込まれた。


 魔法の掲示板というのは男たちの頭上にぶらさがっている大きな板で、勝手に文字や数字が書き換えられていく。その文字にはこうあった。


 アメリカ缶             86

 アメリカ電信電話          197¼

 アナコンダ銅            70

 ゼネラル・エレクトリック      168⅛

 ゼネラル・モーターズ        36

 モンゴメリー・ウォード       49¼

 ニューヨーク・セントラル      160

 ラジオ               28

 ユニオン・カーバイド&カーボン   59

 U・S・スティール         150

 ウェスティングハウスE&M     102⅝

 ウールワース            52¼

 エレクトリック・ボンド&シェア   50¼


 この数字だが、二秒と止まったことはなく、どんどん落ちていった――9、8½、7、6、5、4。

 そして、数字が下がるたびに男たちはますます狼狽する。


 高い窓に何かの影がさっと落ちていった。


「飛び降りだよ。若いの」


 トキマルの隣にいる男が言った。

 銀髪に白い口髭の、小ぎれいな男で手に小さな酒壜を持っていた。


「飛び降り自殺だよ」


「術に負けたのか?」


「術? ああ、そうだな。魔法にかかってたようなもんだ。紙切れを必要以上に素晴らしいものに見せる魔法にここにいる全員、いやアメリカじゅうの人間がかけられたんだ。ティモシー・リンデルだ」


「トキマル」


「ふむ、スウェーデン系かい? まあ、いい。わしらは今日、歴史を生きている。1929年10月24日の木曜日は世界がひっくり返った日として歴史に名を残す。間違いない」


 ひゅん、とまた影が窓に映る。


「二人目。なあ、トキマル。この建物を出るときは必ず上に注意するんだぞ。飛び降りてくるやつにぶつかって死ぬなんてバカバカしいだろう?」


 男は酒壜から一口飲むと、半分以上がなくなった。


「ほら、三人目。そら、四人目。生贄は増える一方だな」


「ここは祈祷所なのか?」


「そうだ。ここは神殿だ。ただし、神はカネで、生贄は良識。与えられる奇跡は株! 買えば未来を与え、売れば力を与え、分割されれば富は二倍に増える! 汝、迷える子羊よ、カネを崇めよ! ハレルヤ! 株で手っ取り早くカネをつかめ! 額に汗して働くべからず! そんなことはカネに対する冒涜だ! 株のみが正しいカネ稼ぎなり! 株を手に入れろ! 文明社会の一員だってところを見せてみろ! 株のために親戚友達全員からカネを借りてこい! 株のために母親の家を抵当に入れちまえ! 株のために会社のカネを横領してやれ! 株をとにかく手に入れろ! そして、これが一番大事だが、雲行きが怪しくなったら、すぐに売れ! おかまみたいにへらへら笑う仲買人どもの『もう底値ですよ』とか『また上がりますよ』とか『今、手放すなんて馬鹿のすることですよ』といった言葉はきくな! 見ろ、もう十人も飛び降りた。さて、もうそろそろわしも行こうかな。じゃあな、若いの。話せてよかった」


 数分後にはティモシー・リンデルが十一人目の自殺者になっていた。


 男たちは分厚く積もった紙屑にへたり込んだ。

 掲示板は、


 アメリカ缶             4

 アメリカ電信電話          17

 アナコンダ銅            7

 ゼネラル・エレクトリック      13

 ゼネラル・モーターズ        5

 モンゴメリー・ウォード       2

 ニューヨーク・セントラル      7¼

 ラジオ               1⅞

 ユニオン・カーバイド&カーボン   9

 U・S・スティール         10

 ウェスティングハウスE&M     6½

 ウールワース            5

 エレクトリック・ボンド&シェア   4


 と、ほとんどが一桁であり、どうやら術使いたちも精根尽き果てたようだ。


 あれだけの喧噪が嘘のように静まり、洪水で家財を押し流されたみたいに沈み込んだ男たちで部屋はいっぱいだった。

 あちこちで泣き言だらけの遺書が書き綴られ、ある男はそばを通り過ぎ際に肩を落としながら、アメリカ・エレクトリックが倒産したためエレベータが動かない、飛び降りたいなら階段を上るしかないとトキマルに親切のつもりで教えてくれた。


 絶望とはこんなにも濃密なものなのかと思い知らされた。

 これが来栖ミツルのなかの幻術返しの世界なら、いよいよ頭領は何を考えて生きてるのか分からなくなってくる。


 どうやったら、この術から抜け出せるかを腕を組んで考え始めたときだった。


「上がってる株がある! 上がってる株があるぞ!」


 男たちがいっせいにどよめいた。


 例の掲示板を見上げると、トキマルは思わず声を上げそうになった。


 アレンカ缶             201

 アレンカ電信電話          459

 アレンカ銅             188

 アレンカ・エレクトリック      734¾

 アレンカ・モーターズ        107

 アレンカ・ウォード         177

 アレンカ・セントラル        562½

 アレンカ・ラジオ          238

 アレンカ・カーバイド&カーボン   290⅜

 アレンカ・スティール        501

 アレンカハウスE&M        626⅝

 アレンカワース           221

 アレンカ・ボンド&シェア      379


 アレンカの名前がずらずら並んでいる。それに数字もひどく高い。


「大変です!」


 役人らしい男が大部屋に飛び込んでくる。


「アレンカ関連株が株式交換を行います! なお交換時のレートは九月三日の時点での暴落前の値段です!」


 よく分からないが、この言葉が男たちを救ったらしい。


 男たちが役人に殺到し、自分の手持ちの紙切れをアレンカの名前が書かれた紙切れと交換しようと声を張り上げた。


 例の仕切りへ男たちがすっ飛んでいって、「アレンカ関連株は全部上昇中です!」「今すぐ交換しましょう!」「社長に伝えろ。アレンカ株が世界経済を救ったんだ!」と熱心に箱に話しかけていた。


 そのうち、高い天井に何百という天使たちが降りてきたのだが、この天使がみなアレンカの顔をしていた。

 天使たちがばら撒いたのはアレンカ天使の描かれた紙であり、何人かの天使は飛び降りた男たちをぶら下げて戻ってきていた。そのなかにはティモシー・リンデルもいた。


 アレンカ! アレンカ! アレンカ! アレンカ!


 割れんばかりのアレンカ・コール!

 ティモシー・リンデルに言わせれば、カネを崇めていた男たちが今やアレンカを崇めていた。

 全ての救いであり、飛び降り自殺者の守護天使であるアレンカがこの世で唯一無比の真理にすらなりつつあった。


 そんななか、二人のアレンカ天使にぶら下がったティモシー・リンデルがトキマルの前までやってきた。


「さあ、もう十分、来栖ミツルの妄想は堪能しただろう? もう現実に帰る時間だ。それじゃ。ボン・ボワイヤージュ!」


     ――†――†――†――


「おい、起きろ! この脱力忍者!」


 トキマルのとろんとした目がようやく焦点をおれに合わせ始めた。


「あれ? ここは――」


「ったく、たい焼きの食いすぎなんじゃねえの? お前、さっきから何言っても反応しなくてまいったぜ。お前以外はみんな自分の家なり部屋なりに帰ったよ」


「……」


「ン、どうした?」


「頭領、あんた絶対忍者だろ?」


「こらあ、目ぇ覚ませ!」


 と、おれのビンタがもろにぶつかったのは変わり身の術で残った丸太ん坊。


「痛てえ!」


「頭領、次は負けねえ。次こそ幻術比べに勝ってみせっから」


「何ワケの分かんねえこと言ってやがる! はやく軟膏持ってこい。手が、手から血が出たあ!」

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