第一話 騎士判事補、任命される。
王都アルドの中心街。
そのなかでもトリスタン三世大通りは、王立貿易協会やトリスタン良王の騎馬像、魔法学院など全土に名だたる建築物が並んでいる。
そのトリスタン三世大通りとアリウス街が交差する十字路の一角に聖院騎士団のアルド支部がある。
聖院騎士団。
教皇直属の聖騎士団で、各国の政府に制肘されることなく異端者や犯罪者を捜査できる世界警察。
いくつもの国境をまたぐ密輸組織や諜報組織、王族クラスが関わる犯罪など一国では対処しきれない事件を数々解決してきた令名は並ぶものなく、教皇選出における枢機卿買収事件を暴いたことで教皇ですら止められない正義の騎士として、世界中の騎士の尊敬を受ける組織でもある。
その聖院騎士団のメンバーは全世界合わせてほんの数十名ほど。少ないかもしれないが、聖院騎士にはその国の騎士団や警察機構の動員権限すら与えられている。
この少数精鋭の騎士団は世界中の騎士団から厳選したエリート中のエリートのみで構成される。実力はもちろん信条や品行もまた審査の対象だ。
逆に爵位や家系は考慮に入れられない。
聖院騎士団は実力重視の騎士団なのだ。
細い窓が並ぶ聖院騎士団アルド支部の白亜の建物。
その一室で椅子に座って、採用試験の結果を待っている騎士が一人。
精悍だが幼さの残るその顔は緊張でこわばっている。
だが、彼が待っているのは聖院騎士団の採用結果ではない。
それはすでにパスしている。
聖院騎士団に史上最年少の十六歳で入団したロランド・リンクヴィストが待っているのは〈騎士裁判所〉の判事補採用試験だった。
エリート揃いの聖院騎士団において、捜査権と予審権の二つを与えられた定員四名の騎士裁判所。
騎士判事の指揮のもと、騎士判事補がそれを補佐する形で数々の陰謀や犯罪を暴いてきた最高捜査機関。
騎士判事の事務室の扉が開いた。
銀髪の背の高い騎士が姿を現し、ロランドに入室を促した。
入室して踵を鳴らして敬礼した。
「聖院騎士ロランド・リンクヴィスト、騎士判事閣下の召喚を受け、参りました!」
ロランドが最初に目にしたのは部屋じゅうに積み上げられた書類と綴じ本の山だった。
ページのあいだに紙が挟まり、何か書きつけてある。
本を山積みした簡素な机には小柄な老人が一人座っていた。
温和な顔で白い髭を蓄え、白い襟をつけた官服という姿は騎士というよりは綿布取引所の検査官に見える。
「騎士判事ニコデルモ・デウムバルトナだ。よろしく」
「よろしくお願いします」
「まあ、かけてほしい。ああ、それと試験は合格だよ。さっそく、今日から騎士判事補として勤めてもらおうかな」
何気なく言った合格通知に驚きをあまり感じなかったのは、目の前の好々爺が全世界の犯罪者たちが名前をきいただけでも恐れる騎士判事なのだということに驚いていたからだ。
「それとこちらの二人を紹介しよう。レイエス騎士判事補と――」
デウムバルトナ判事は右で座っていた背の高い銀髪の騎士を指し、
「アストリット騎士判事補だ」
次に左で火のない暖炉によりかかっている女騎士を指した。
「二人とも、実に優秀な捜査官であり騎士だ。紹介に長く時間を取りたいのだけど、緊急性の高い問題が降ってきて、騎士裁判所としてもどう対応するか参っている」
デウムバルトナ判事は書類をまわした。
内容は二ヶ月前、王都西部のウェストエンドで人身売買組織の頭領が殺害された事件のものだ。
「知っての通り、犯人は挙がっていない。地元の騎士団はヴァレンティかフライデイの関与を疑っている。商会幹部の家出娘をそれと知らず、国外に売り飛ばした報復だと思っているようだ。そして、聖院騎士団は国外の都市の同業者との抗争ではないかと睨んでいる。確かに競合状態にあった組織があったのは事実だ。ところで、わたしはこの件について、ちょっと気になる噂をきいている。コーサ・ノストラが名前を変えて復活し仕事をしたという噂だ」
レイエスとアストレットが眉根をひそめた。
コーサ・ノストラ。
一年だけ活動したアサシンギルド。その手にかかった大物たちは数知れず。
聖院騎士団にはこのギルドについて、非常に苦い経験がある。
二年前、聖院騎士団の団長が暗殺されたのだ。
しかし、そのことは公表されておらず、死因は病死とされている。
だから、騎士裁判所に入ったばかりのロランドは真相を知らない。
真相はこうだった。
聖院騎士団の団長は複数の犯罪商会とのあいだで秘密の取引をし、ある種の犯罪を見逃すかわりに騎士団に一匹狼の重罪者を引き渡すという協定を結んでいたのだ。
ところが、団長と犯罪組織との癒着が進んでいくうちに見逃される犯罪の範囲は広がり、ついには聖院騎士団で保護している証人たちの居場所を犯罪組織に漏らして、始末する片棒を担ぐようにすらなってしまったのだ。
団長は犯罪組織側に恩を売り、犯罪全体を制御できると思っていたらしい。
実は騎士裁判所は団長の汚職についての事実をつかんでいて、証拠固めの最中だった。
それをコーサ・ノストラの暗殺者たちに先を越されてしまった。
騎士団幹部が集められた緊急会議の席で、デウムバルトナは殺された団長について内偵中だったことを報告し、結局、聖院騎士団のメンツを守るために団長の死は病死とされたのだ。
そして、聖院騎士団のほとんどがその嘘を信じている。
ロランドにとって、真相は驚きの連続だった。
高潔な騎士団での汚職と隠ぺい工作。これでは他の騎士団と同じではないか。
若者の幻滅をよそにデウムバルトナ判事は続ける。
「もちろん、ただの噂かもしれない。だが、もし噂が事実なら二ヶ月前の暗殺は始まりに過ぎない。ただでさえ官憲に対して口の堅いウェストエンドの住人はコーサ・ノストラに関しては絶対に口を割ろうとしない。この噂も、長年、子飼いにしている情報屋から寄せられたものだ。だが、ウェストエンドの殺し屋たちはきみたちも知っての通り、ウェストエンド大聖堂の〈果樹園〉を根拠地にしている。そして、〈果樹園〉にタレコミ屋をつくることが成功したことは一度もない。だから、この捜査は壁にぶつかっている状態だ。それも根拠は情報屋の噂とわたしの勘。だが、コーサ・ノストラがまた動き出すなら対策を立てるのに遅すぎることはない。そこで、騎士裁判所は通常業務を別の捜査隊に振り分け、ウェストエンドにおける暗黒街の現状の把握に向けて、動くことになった。具体的には情報屋の開拓。そして、可能なら内偵を潜り込ませたい」
内偵。
その言葉をきいた瞬間、ロランドは自分に何が期待されているかを知った。
そして、返事はもう決まっている。
「判事。その内偵、おれにやらせてもらえませんか?」
「きみの前歴はきいた。ウェストエンドの孤児院出身だそうだね? そこから聖院騎士になるのは大変だったと愚察するよ。聖院騎士団全体が騎士を内偵者として使えないか模索しているところでね。きみはそのなかでもかなりの期待株だったらしい。入団まもなく、黄金街道の盗賊団のもとに密偵として入り込み、内部情報を騎士団にもたらして、盗賊団壊滅に貢献したのだから、当然か。正直、こちらに引き抜くのに苦労したくらいだ。だから、是非きみに頼もう。連絡役との接触方法が固まったら、ウェストエンドへ行ってもらうことになるだろう。ただ、一つ、約束してほしい」
「なんですか?」
「もし、まずいと思ったら、これ以上深入りすれば死ぬと思ったら、必ず逃げてくれ。別の手を考える」




