第十三話 アサシン/忍者、戦士の咆哮。
「ファミリーのボスは命令して動かないものだ、なんて言ってさ」
トキマルがぶつくさこぼす。
ロデリク・デ・レオン街の屋台で古いまくらを試すふりをしながら、五十メートル離れた位置にある妖精取引所の正面を見る。
「めんどくせーこと、全部こっちにまわすんだもんなあ――うん、このまくら、いける。買いだな」
「文句言わないの。忍者ならもっと任務に執着しなさいよ。まくらの質じゃなくて」
と、ツィーヌが言うと、トキマルは、
「よき睡眠は完璧な任務遂行の基本」
「あんた、よくそれで忍者なんてやってけたわね」
「これでも優秀でね」
「はいはい」
「それより、そっちは文句ないの?」
「何が?」
「ジャック。殺った現場、おさえたんでしょ? なら、確定じゃん」
「殺さず捕らえろ。マスターがそう命じたのなら、わたしはそれに従う」
ぶっちゃけさ、とトキマルは目を細めてたずねる。
取引所の前に大きな馬車がやってきたのだ。
「ホントにあのジャックってのがやったと思うの?」
「わかんない」
馬車から降りてきたのは妖精を見に来たらしい上流婦人だった。
「わかんないって――殺った現場みたんだろ?」
「切り裂いたその瞬間を見たのかってことなら、こたえはノーよ」
「じゃあ、なんで死んだ娼婦のそばにいたんだよ?」
「知らないわよ、そんなこと。それを知る必要があるから、殺さないで捕らえるんでしょ?」
「でも、おれたちが見張ってるのはジャックじゃなくて、ルーサードってやつじゃん」
「マスターはそっちが真犯人につながるかもしれないって思ってる。あんた、顔は覚えてるんでしょ?」
「当たり前でしょ? 忍びを何だと思ってるんだよ」
「なまけもの」
「へえ、言ってくれる」
「なら、成果を見せなさいよ。成果を」
「そのうち、そのうち――って、おい、あれ」
妖精取引所の前に美麗なサドルクロスをかけた白馬が馬丁に連れてこられた。
平らなフェルト帽をかぶったドン・ウンベルトは黒い外套を肩にかけ、腰を絞ったグレーの上衣に艶消しをした乗馬用のブーツ。腰には象牙の柄と金で飾ったレイピアを下げていた。
まわりは白粉と頬紅をはたき、洒落たマントや名工の剣を見せびらかす近衛兵のような六人の剣士が固めている。
ツィーヌとトキマルはドン・ウンベルトを殺るにはどうしたらいいか考え始めた。
職業病と言おうか、大勢護衛を連れている人間を見ると、どうやったら暗殺できるかつい気持ちがそちらへ行ってしまうのだ。
「娼婦にカネを払っておいて目の前で気を引く。で、注意がおざなりになったところで、後ろからさりげなく通りがかるようにして急所に鎧通しを滑り込ませて、仕留める」
「そんなことより毒のなかでも一番タチの悪い目から潜り込むやつに悪霊を召喚して、あの青い目めがけて飛びかからせるのが確実よ」
「確実性でいうなら、煙幕をぶちこんで視界を奪ってから一撃必殺で片づけるのが確実だけどさ――」
「それって芸がない」
「だーかーらー、それをこれから言おうとしたんだよ」
「今度はわたしの番ね。いい? 最高の暗殺術って呼ばれるものはいろいろあるけど、一番なのは――」
「ちょっと待った」
「なによ、まだ途中なんだけど」
「だって、あれ――」
トキマルが指を差した先には赤い頬髯に二メートルの背丈がある巨漢。
大剣を両手で握って左上段に構え、粗末なシャツの上に巻いたチェックのキルト、裸足の裏は馬の蹄鉄よりも固そうだ。
あとで二人が来栖ミツルに伝えたところでは、ルーサードの姿はディルランド戦争のあいだ、最強の歩兵の名を欲しいままにした氏族戦士の戦装束に他ならなかった。
「ヴオオオオオッ!」
突撃時にあげる身も凍るような咆哮。
大刀を上段で構えたまま、ルーサードはロデリク・デ・レオン街を横断したが、走ってくる馬車には見向きもせず、その車輪に轢かれて一生救貧院で暮らすことになる未来ですら、この戦士を止めることはできなかった。
最初の剣士がレイピアを抜き、それはルーサードの左太腿を貫いた。
だが、ルーサードの突進を止めることはできず、肩でぶつかられて、突き飛ばされ、踏み殺された。
二人目の剣士は胸を狙って斬りかかったが、ついに振り下ろされたクレイモアの刃が肩口からざっくり切り飛ばして、腕はレイピアを握ったまま道に落ちた。
三人目が体を伸ばして、下からの突きを放った。
胸を貫き、肺に穴をあけたが、心臓を捉えることができず、次の瞬間には首を刎ねられた。
四人目と五人目は最もお粗末な剣の使い手で、同時に襲いかかり、同時に串刺しにされた。
六人目は逃げた。
こうして衣装と化粧をした護衛の剣士たちが死ぬか逃げるかしていなくなると、あとはルーサードとドン・ウンベルトの戦いだった。
白馬はすでに走り去り、その蹄音は料理屋街の路地からきこえてくる。
二本のレイピアを刺したまま、ルーサードは血反吐と一緒に例の叫び声を上げながら、ドン・ウンベルトに襲いかかった。
ドン・ウンベルトがこの後取った行動は、そのカラヴァルヴァの住民のあいだで論議のタネになった。
ドン・ウンベルトの取り巻きたちは彼がピストルを使って、ルーサードを撃ち殺したことを正当な行為だとし、逆にドン・ウンベルトと敵対している派閥では六人の手下をやったとはいえ、胸にレイピアを貫通させた男を剣で仕留めることができないことを笑った。
「じゃあ、お前らは何だ? 銛打ちが弱めた牛を殺すのに闘牛士がピストル使ってもいいってのかよ? ありえねえ!」
そして、この手の言葉のやり取りが新たな決闘と犠牲者を生んだが、今は妖精取引所の前、胸を撃たれたルーサードに戻ろう。
いちはやく駆け寄ったのはツィーヌとトキマルだった。
弾丸は元から刺さっていたレイピアの刃にぶつかり、傷が斜めに裂けていた。
「何も見えん……」
「ルーサード、きこえるか?」
「誰だ、おれを呼ぶのは?」
「おれが誰かなんてどうでもいい。娼婦を殺したのは誰だ? 誰がお前の主をハメた」
「何も見えん……」
「だが、きこえているはずだ。ルーサード。名前だ」
「何も……」
「くそっ! こっちがきいてんだ! 名前を言え!」
胸の動きがゆっくり止まりつつある。かすれた呼吸が大きな口のなかへと落ちるように消えていく。
「アーロイス……」
「誰だ、そいつは。どこに行けば会える? おい、こたえ――」
無駄よ、と、ツィーヌが止める。
「死んだわ。たったいま」
ツィーヌがその肉厚なまぶたを閉じてやる。
巨人の目は閉ざされたまぶたのなかで、死んだ次にあるものを見つめだしていた。




