第十一話 ラケッティア、汝は地の塩。
二人は路地へ逃げていった馬鹿どもを追いかけていった。数分後、バキボキと派手に骨が折れる音が。
たぶん手足がちょうちょ結びにでもされたのだろう。
涼しい顔で帰ってきた二人は銅の箱を少年に返した。
ビンタでのびていた少年は意識を取り戻すと、金の入った箱が手元にあることにホッとし、なかの金額を確かめた上で、道を急いだ。
――†――†――†――
金の入った銅の箱が無事、集金拠点である長靴屋へと運ばれ、ホッと一安心。
見たこともきいたこともない人間がおれのために稼いでくれてるのを見ると、おれもいよいよゴッドファーザーになったのだなあと実感した。
「さて、帰るか」
「マスター、塩買うんじゃなかったのか?」
「おっと忘れてた」
「司令。フォン・クーネフ男爵に関するデータ取得が未達です」
「ああ、それも忘れてた」
「で、どっちから行くんだ?」
「こっからなら塩のほうが近いな」
――†――†――†――
「一袋あたり、金貨一枚」
「相場の三十倍じゃんか」
「だが、半年かかるのが一週間でいい。すぐ売り上げを出せるんだから、これでも安いくらいだ。ところで、あんた、ギル・ローと仕事してるんだって? あいつ、まだ古代人になりきってる?」
「絶賛修行中だよ」
「そりゃあいい。で、どうする?」
錬金術師のケリーはおれのこたえを待った。
ありだな。この塩。
アンチョビはつくる過程で塩につけ込み熟成させるが、そのとき、アンチョビは大きな缶につめて、重ねて重しの石をのせて、押し込む。
そのあいだ、一日一回塩水を上からかけ、缶から滲み出した古い塩水を洗い流す。
それを半年から八か月から続く。
それが一週間で済むのだから、塩の値段が三十倍でももとはとれる。
「じゃあ、それで頼むよ」
握手と書類とサンプルの塩が入った小瓶とをやりかわし、契約する。
ガラス壜につめた岩塩、軒にぶらさがった袋詰めの塩、獣のかたちに固めた塩。
塩だらけの〈ケリー錬成熟練塩専門店〉を後にし、彫刻をほどこしたアーケードへと出る。
十分後、貴族年鑑を編集しているという店の前に立っていた。
打ちのばした銅の皿を看板に使った奥まった玄関には『靴×! スリッパ〇!』という立て札。
なかにはバザールで売られていたのを見たことがあるスリッパが何十足とでたらめに置いてある。
せめて右と左は分けてそろえてくれればいいのに。
十回連続で左足用スリッパを引き当てつつ、そう思う。
貴族年鑑なんていうくらいだから、貧乏な出版社(おれが十六色エロ・カードで潰したやつらだ)みたいな受付を想像していたが、小さな部屋はカウンターで二分されていて、その後ろ、ぴったり閉じたドアとその横に真鍮と鋼を組み合わせたタイプライターみたいな機械がある。
機械には1から20まで番号をふられたキーが二十列あり、その横に大きなレバー、さらにその横には使わないときは壁に組み込んで収納する大きなクランクがある。
しかし、不用心だ。受付に誰もいない。
パッと見た感じでは金目のものはないが、あの手の込んだ機械、何なのか知らんが、あれを持ち出せばそれなりにカネになりそうだ。
よく見ると、叩いて鳴らすベルがあり、その横に小さな黒板――『用もないのに鳴らしたら殺す』
ベルを秒速十六回のはやさで鳴らす。
「敵性反応。下からです」
フレイの予告どおり、後ろのドアではなく、床の跳ね上げ戸から、ずんぐりした赤髭のおっさんが斧を片手に飛び出してきた。
「用もねえのにベルを鳴らす死にたがりはどこのどいつだ!」
「いや、用があるから鳴らしたんだ。ここで貴族の年鑑があるってきいたんだけど」
「うちは貴族専門じゃねえ! 情報は何でも扱う情報屋だ、このやろー!」
「でも、今日は貴族年鑑が見たいんだ」
「情報料は一件につき、金貨一枚だ! 払えねえのなら殺す!」
「払える、払える。だから、殺さんといて」
金貨を渡すと、情報屋はおれたちの足元をじろじろ見た。
「お前ら、靴は脱いだだろうな?」
「ちゃんとスリッパだよ」
「検索機械はな、デリケートなんだ、てめえら、デリケートって意味分かるか?」
「デリケート:形容動詞 繊細なさま。取扱いに細心の注意を要するもの。またはそのさま」
「よし、デリケートの意味が分かるなら、外の土埃をなかに持ち込んでもらいたくねえ理由も分かったな? 機械は精巧な歯車の組み合わせでできてる。その精巧な歯車のあいだに砂がひっかかることがおれは何よりも嫌えなんだ。土なんか噛んだのを見た日には地球をぶっ殺したくなる。だから、お前らはスリッパをはいて、埃を浮かさないように大人しくそこで立ってねえといかんのだ。わかったか、この野郎!」
「サー! わかりました、サー!」
きっと気に入るだろうと思い、口でクソ垂れる前と後ろにサーをつけてこたえた。
「よーし。で、誰が知りたい?」
「フォン・クーネフって男爵なんだけど」
「昨日死んだアルブレヒト・フォン・クーネフだな?」
「それそれ」
「ちょっと待ってろ」
怒れる情報屋は例の機械のボタンを押していった。
ボタンは押し込まれるたびにカチッと音を鳴らし、上から下まで1から20のどれかを押し終えてからレバーを引くと、機械からカードのような木片が飛び出て、壁にあるスリットへと流れ込んだ。
情報屋は壁に収納されていたクランクを出して、それを二十回まわした。
壁の向こうでガタゴト何かが動く音がして、そのガタゴトは天井へと続いていき、そして、今、おれの真上でガタゴト鳴っている。
クランクをまわし終えると、天井から革装丁の本が一冊、おれの頭をかすめてドサッと落ちてきた。
「情報更新:原始的な機械式アーカイブの存在を感知」
「あっぶないなあ。マスター大丈夫?」
「なんとか。で、これ見ていいの?」
赤髭はとっとと見やがれこの野郎と言った。
「どれどれ……」
フォン・クーネフ家。
ロンドネの貴族の大半はデ・(領地名)で性をつくるが、このクーネフ家は海外に祖先がいて、フォン・(領地名)で称号を受け継いでいた。
かなり古い家柄の男爵ではあったが、数百年地方の男爵どまりなところを見ると、家としてでかい手柄を立てたことはないようだ。
昨日死んだ当主のアルブレヒトはなかなか好色でしょっちゅう女中に手を出していたらしい。
まあ、それ相応にスケベじゃなきゃ、あんな場所にはいかないか。
嫁の名前。離婚した元嫁の名前。その離婚にまつわる長い長い訴訟記録。私生児がどっさり。
きっと今ごろサメのような親戚一同がフォン・クーネフ家の財産のかじり取り合いに精を出していることだろう。
さて、今抱えている手がかりだが、巨漢の召使いルーサードだが、これに関しては元軍人であること、アルブレヒトに忠実であることくらいしか分からない。
ただ、その忠誠は半端なものではなく、戦争から帰ってきてボロボロだったところを拾われた恩を忘れないらしい。
となると、このメガサイズの召使いの報復先は二つ。
一つはアルブレヒトを事件に巻き込んで精神的に追いつめてしまった真犯人。
そして、もう一つは直接の死因であるドン・ウンベルト・デステ伯爵だ。
つまり、ドン・ウンベルトを張り込めば、ルーサードに出くわす可能性がある。
だが、ドン・ウンベルトはただの民族主義者ではない。
独自の私兵組織を抱えた厄介なやつで〈商会〉よりもタチが悪い。
それでもルーサードの忠誠心が本物ならやるだろう。
ジャックをつけてる娘っ子たちを半分ドン・ウンベルトの見張りにつけよう。
そして、ドン・ウンベルトに殺される前に真犯人の名前をききだす。
ったく。
治安裁判所はおれに勲章の一つや二つくれてもバチは当たらんよ。
「ねえ、おっさん?」
「なんだ、殺すぞ!」
「殺さんといて。これの写しっていくら?」
「金貨で十枚だ」
「じゃあ、これ」
「ちょっと待ってろ」
――†――†――†――
機械がガタゴト動き出し、おれの頭目がけて本が降ってきたのは日も暮れかけてきたころだった。
「これだ、もってけ、バーロー! 用が済んだら、とっとと帰れ、このやろー!」
バザールから〈ちびのニコラス〉へと戻る。
フレイは情報収集できて満足。
アンチョビのための塩が手に入る見込みも立った。
それに連続娼婦殺しも少なくとも手がかりを握る男が現れそうな場所が分かってる。
「いやー、今日は大収穫だ」
〈モビィ・ディック〉には今日のジャックの尾行役であるツィーヌとアレンカがいた。
「よっ、お二人さん。また、まかれたのか? よーし、今夜はまだ手作りにした梅干しがあるから、そいつでカポナータを――」
「マスター」
「ん、どうした、アレンカ?」
「見たのです」
「見たって?」
「あう」
「わたしが話す」
ツィーヌはちょっと困った顔をしたが、それでも言うべきことを言った。
「今晩、娼婦がやられて、そして、現場にジャックがいた……そういうことか」
「うん。マスターがあいつを信じたい気持ちは分かるけど、もう間違いないと思う」
「そうか」
ふと思い出した。
セント・アルバート監獄。斧男。アルバート・フィッシュ。
ジャック。切り裂きジャック。
おれはあいつが切り裂きジャックの転生した姿だと思ってる。
でも、今、娼婦を殺してるやつは別の誰かだと信じたがっていた。
転生した先には別の人生が待つ。
そう思えるからこそ、今のおれがいる。
もし、転生した連続殺人鬼がその前世の因業から逃れられないなら、おれのこのファミリーもまたいつかは泡と消える。
そんな気持ちがどこかにあった。
だから、ジャックは本当の意味で生まれ変わったと思いたがったわけだ。
裏切られた気持ちはない。こっちが勝手に信じていただけだ。
でも、なんだかやりきれない。
マスター、と、マリス。
「もし、マスターがそうして欲しいなら、ボクらでジャックを探そう。そして、見つけ次第殺す。どうする、マスター?」
「ああ、そうだな――」
おれはアサシン娘たちにおれの責任で命令した。
「見つけたら殺せ」




