第九話 忍者/ラケッティア、逃げろ逃げろ娼婦のパンツ。
カラベラス街に〈女王豚〉という物凄く醜くてデブな化け物みたいな娼婦がいたが、この女、ひどく犬を恐れていた。
あるとき、野犬の群れに追われて、トカゲが尻尾を切るみたいにズロースを走りながら脱ぎ、スカートの外に捨てるという芸当をしてみせたことがあった。
においのする下着に犬が気を取られると思ったのだろうが、犬どもが欲しかったのは〈女王豚〉が手に持っているソーセージだった――正確に言えば、ソーセージに見える彼女の肉厚な指だった。
さて、道に落ちたズロースのほうはというと、〈ウジ虫〉の名で知られるペテン師に拾われた。
〈ウジ虫〉はひどく酷いペテンを考えることからみなにそう呼ばれていたが、彼はこのズロースで一儲けできないか考えた。
とはいえ、大陸一醜いデブの娼婦の、長いこと使われて黄ばんだ下着を欲しがるやつなどいるだろうか?
そもそも足が入るところは普通の人間が入れるくらい大きいのだ。
こんなものはけるのは〈女王豚〉だけだ。
だが、ここであきらめるようなら〈ウジ虫〉のあだ名は頂戴しない。
彼はズロースを仕立て屋に持ち込んで、白い簡素なドレスにつくりかえさせた。
そして、そのスカートのすそを錆びた剃刀でちょっと切り裂いてから、ドン・ウンベルトがいる妖精取引所に出かけて行った。
〈ウジ虫〉は人間バンザイ主義者の前で異種族の魔物に凌辱されそうになりながらも、自ら命を絶つことで乙女の純潔と種族の純潔を守った聖女イラルディナが死んだときにまとっていたドレスだといって(ほら、ドン・ウンベルト、ここを見てください。魔物の爪から逃れようとしてスカートが裂けたあとがあるでしょう?)、ドン・ウンベルトにドレスを売り込んだ。
〈ウジ虫〉の言うことをすっかり信じ込んだドン・ウンベルトは金貨五十枚で聖女イラルディナのドレスを買った。
〈ウジ虫〉は実に人好きのしそうな好青年みたいな外見をしていた。
この世で一番信用できないペテン師はいつだって好人物に見えるものだ。
さて、この聖女イラルディナのドレス、ドン・ウンベルトは大切な行事のときに使おうと思っていたのだが、異種混合が行われる乱交パーティを襲撃するにはまさに純潔の聖女イラルディナの御加護が不可欠だと強く思い、ドレスを小さくちぎって、白い十字をつくると、帽子に縫いつけた。
ドン・ウンベルトは気前がよかったので、集まった三百人の紳士たちにも白い十字の布を配った。
みな、それが聖女イラルディナのドレスからつくったものなのだときいて、すっかり恐れ入って、こうなっては何としても葡萄園の外道どもに引導渡さねばならぬと意を強くした。
こうして国一番醜い娼婦の下着の切れ端を頭に飾った男たちが種族の純潔を叫びながら、坂を上って、古城へ攻め入ったのだった。
――†――†――†――
喊声が大きくなり出したころには古城のなかにいる連中も自分たちがまずい状況にハマりつつあることを察し始めた。
まだ、まともに物を考えられる連中は扉の後ろに家具を積み上げてバリケードをつくり、持っているものは窓からクロスボウやピストルをぶっ放した。
白騎士党員のなかにもピストルやマスケット銃を持ったものがいて、いっせいに撃ちまくり、城のなかの不健康な靄に、喉がカラカラになる硝煙が足されて、いよいよ混乱は避けがたいものとなっていた。
女たちは自分のも他人のも気にせずに服をかき集めて逃げる準備をし、イドですっかり舞い上がった数人の青年貴族が外に打って出たが、農民出身の白騎士党員が横並びになって殻竿をふりまわしていたので、あっという間にぶちのめされて、服と装飾品を剥かれて道に放り出された。
白騎士党員たちが放った銃弾はトキマルが隠れていたバルコニーにも飛んできて、手すりを根こそぎにしてしまった。
もう、こうなっては小悪党を泳がせるなどと言っていられない。
今すぐ締め上げて、共犯者の名前をきき出し、大急ぎでここから脱出する。
そうと決めるとトキマルの動きははやかった。
窓ガラスを蹴破り、あの召使いを殺すか半殺すかして黙らせ、男爵を引きずり出そうとした。
だが、巨漢の召使いはいなかった。
そのかわり、男爵が部屋の真ん中に手足を投げ出して、うつ伏せに倒れている。
死体をひっくり返すと、頭の半分が吹き飛び、ひしゃげた鉛が脳漿にめり込んでいた。
「くそっ!」
流れ弾だ。ついてない。
巨漢の召使いもどこかに逃げたらしい。
そんななか、ドアに重いものがぶつかる音がした。
衝撃に耐えきれず、蝶番がはじけ飛ぶと、白い十字の鉄兜をかぶった男たちが乱入し、剣をでたらめにふりまわした。
椅子が焚きつけになり、ドア枠がもげ、酒壜が割れて、拍車で絨毯にかぎ裂きを残し、ついにトキマルに襲いかかろうとするころにはトキマルはすでに煙のように消え失せていた。
廊下を風のように走り、邪魔するやつにはまわし蹴りを食らわし、信じられないほど高く飛びあがり、白騎士党員の頭の白い十字を次々に踏みつけながら、雑踏を越え、剣を頭上にかわし、足下に飛び越え、それでもまだ津波のように襲いかかる剣士たち相手に影縫いの術、影潜りの術、影返しの術と忍法影づくしにした上、窓から投げ捨てられたチョウザメの下敷きになりかけながら、葡萄園の闇のなかへと飛び込んだ。
――†――†――†――
エスプレ川では夜釣りがよくやられていて、釣り人のために船を出してくれる宿が葡萄園の対岸にちらほらある。
釣れるのはパラヤという魚。
銀色の体のデカい口に恐ろしく鋭い牙を生やした、魔族たちにとっての高級魚でこれがまたアクアパッツァにするとなかなか。
魚から流れ出すうまみ成分が炒め蒸しでしっかり白身にしみついてうまいのなんの。
最初のころはみんなまずいに決まっていると散々文句を言ったもんだが、今では魔族の住処に行くたびに魚屋をのぞいて、いいパラヤがいたら買って帰っている。
「マスター、まだ釣れないですか?」
「まだ竿出して三十分も経ってない」
借りた釣り船は胴に屋根がかぶさっていて、なかでアサシン娘たちが寝転がったり、ドミノしたり、コーデリアの情夫が書いたとかいう詩集を読んだりしていた。
「マスター。この『蟹』という詩なんだが、いつになったら蟹が出てくるんだ?」
「蟹はメタファーだから出てこなくてもいいんだって」
「なら、どうして蟹なんて題名にしたんだろう」
「それが分かるのは百年後だな。百年後、世の中がいい塩梅にイカレてて、こんなヘボ詩を称える風潮が出来上がってるかもしれない。そうしたら、文芸評論家という連中がだな、蟹について、もう結構です、お帰りくださいってくらい、あれこれ説明してくれるはずだ」
「マスター、まだ釣れないの?」
「だから、まだ始めたばかりだって」
と、思ったら、竿先がくいくいと動いた。
きたきたきたと、思い切りアワせたら、釣れたのは何と脱力忍者(学名:メンドクセウラ・カッタリイナウス)だった。
「おー、おつかれちゃん。城が襲撃されてるのはここから見ても分かるほどだったよ」
舷側から這い上がり、ずるずると船底に落っこちたトキマルはもう三百年分働いたといった様子で、肩で息をし、恨めしそうな顔で何か言おうとしていた。
「なんだ、犯人が分かったか?」
「ハア、ハア……分かった。共犯者。例の、ハア、ハア、例の金持ちだ」
「ということは主犯がいるのか? 誰だ?」
トキマルは首をふった。
「分からない。あのバカどもが撃った流れ弾でくたばったから」
「じゃあ、手がかりなしか?」
「でかい召使いが生きてる。知ってるとしたら、そいつだ。それより、頭領、追加の報酬だ。たい焼き三匹じゃ割に合わない」
「そういうと思ってだな、用意をしておいたんだよ」
おれは舟のなかの小さな炉にかけた鍋を手に取ると、どんぶりのなかの冷えた飯に辛子明太子を三つのせ、出し汁をかけた。
魚市場の、輸入物専門の店で一つ銀貨三十枚というおそるべき値段だった辛子明太子。
めんどくせー、と唱えると極楽に行けると信じる脱力忍者の働きに応えるおいしい夜食。
予想通り、和食に飢えてたトキマルは腹減ったあ!と叫び、ずぶぬれの忍び装束のまま、どんぶりに飛びつき、さらさらと音を立てて、出汁漬けをかき込んだ。




