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ラケッティア! ~異世界ゴッドファーザー繁盛記~  作者: 実茂 譲
カラヴァルヴァ ジャック・ザ・リッパー編
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第八話 忍者、忍び込んで葡萄園。

 葡萄園の番人が二頭立ての箱馬車ベルリーヌを見かけたときはもう月は雲に隠れ、ワインを煮る火だけが小屋の明かりに過ぎなかった。

 それでもその馬車が何をしにきたのかくらいはおぼろげに分かる。

 この二、三年のあいだに葡萄園の丘の向こうの古城が買い取られ、そこで夜な夜なお偉方が集まっていることは知っている。


 ところが、その馬車がここを通るのは今夜で二度目。

 道に迷っているのだろう。


 そのうち馭者が手綱を引っぱって、馬車は小屋の前に止まり、馭者が台の上から大柄に古城への道をたずねた。


 貴人を乗せてるだけで自分も偉くなった気になる連中には慣れていたので、番人は道を教えてやった。

 馬車のなかはカーテンが敷かれてなかは見えないが、どうせ金持ちと娼婦が乗っているのだ。


 馬車が走り出す直前、風が吹いた。

 塵が目に入りそうになり、番人も馭者も目をつむった。


「?」


 一瞬だが、人の気配を感じた。

 馭者でもなく、馬車の客でもなく。他の誰か。


 だが、目を開けても、誰もいない。馭者がいて、馬車があるだけだ。


 風が飛び去っていくと、馭者は番人に大きな銅貨を一枚放って、手綱で馬の尻を打った。


 遠ざかっていく馬車を眺めながら、はやいとこ春になりきればいいのに、と番人はこぼした。


「古傷が痛くてかなわんよ」


 番人は小屋に戻って、熾き火の上のワイン壷をへらで軽く混ぜた。


     ――†――†――†――


 あのじいさん、気づいたかな。


 風と闇に乗じて、馬車の底に素早く潜り込んだのだが、あの番人だけが一瞬、耳を澄ませたのだ。


 まあ、気のせいくらいにしか思わないだろう。


 トキマルはいま、前輪と後輪をつなぐ軸棒に手足をからめて、馬車の底部に張りついていた。

 轍の固まった道を急いで走る馬車はガタガタ揺れて、板バネがたわみ、軸棒を抱えている腕にぶつかりそうになる。

 もし、落ちたら、車輪に轢かれる。決して愉快ではない任務だ。


「たい焼き三つもくれるから何かあると思ったんだ」


 ミツルはたい焼き三つでトキマルを釣って、葡萄園の古城への潜入を命じた。


「なんで、おれが? ジルヴァかツィーヌを行かせればいいだろ?」


「お前なあ。そこは乱交パーティの真っ最中なんだぞ。女の子をそんなとこに行かせられるか?」


「あいつらだってプロだ。そのくらい何ともないだろ」


「駄目だ。お前が行け」


「そうは言うけど、頭領、おれは乱交パーティの現場に行かされても問題ないっての?」


「当たり前だろ。お前は男だ。男にとって乱交パーティは夢だろ、夢、夢」


「ほーう。マスターにとって、乱交パーティは、夢、と――」


「げっ。あ、いや、それはですね、言葉のあやっていうか、って、ぎゃあああああ!」


 男と女とひょっとしたら動物が素っ裸で絡み合う様を見て、どうとも思わないではあるが、しかし面倒な任務である。

 要するに、そのパーティの参加者のなかで、殺された娼婦を知っているものがいるかどうか、確かめろというのだ。


 トキマルにとって不思議なのではあるが、来栖ミツルは何であんなに活力があるのだろうか――腕力はないくせに。


 というのも、スロットマシンだの酒の密輸だのであっちこっち飛びまわり、デモン通りの印刷所へ顔を出し、夕飯までつくるのに、この上、娼婦の連続殺人まで独自に調べるというのだ。


 活力だけで言うなら、トキマル一万人分くらいはある。


 とはいえ、来栖ミツルが、めんどくせえなあ、と言わないわけではない。


 割と頻繁に使う。めんどくせえなあ、と。


 だが、そういうときの来栖ミツルの顔は嬉しそうに笑っていて、すでにそのめんどくせえことに取り組むべく身構えてさえもいる。


 つまり、めんどくさいことの中毒なのだ。頭領は。

 犬より始末が悪いことにぐーたらすることの良さが分からんのだ。


 馬車が止まると、トキマルは素早く馬車の底から抜け出して、葡萄の木がつくる手近な影のなかに潜り込んだ。


 そこは古城からさほど離れていない道で、酔っぱらった商人が馬車の座席からよろめきながら現れて、酒と昼間に食べたものを吐き戻していた。


 丈の低い葡萄の木に隠れながら音もなく走り、古城の近くへと近寄る。


 石の塔と屋敷、それに別館から成る古い城で、出入り口はお仕着せを着た召使いが二人立っている。


 馬車が現れては客と娼婦を吐き出し、巨大な扉へと消えていく。

 開いた扉や窓からは黄色く濁った光が流れ出していた。


 トキマルは闇のなかで背負っていた小さな荷を解き、なかからドレスを取り出した。


 アズマの里で修行していたころは顔が女みたいなことを仲間からからかわれて、トキ子とかトキ姫などと呼ばれたが、そんな顔や体格もこうして潜入に活かせる。


 大切なのは忍べる資質だ、馬鹿野郎どもめ、と秘かに毒つきながら、潜入の準備をする。


 忍び装束は体をぴったりと包むものなので、この上からドレスをかぶるように着ることができる。

 首元まであるなかの忍び装束を見せないための仕立てなので、娼婦が着るものにしては肌の露出が少ないが、セクシーと肌の露出の割合は必ずしも比例関係にあるとは限らないという来栖ミツルの力説を信じて、着てみることにする。


 コーデリアはヘボ詩人にぞっこんだが、それでも古着屋としては一流で、ドレスはまるでトキマルのためにあつらえたようにピタリと着こなせた。髪を結んでいた紐を解いて、胸に丸めた布の玉を入れると、どこから見ても女にしか見えない。


 その姿で闇夜が灯りに拭われるギリギリまで近づいた。


 召使いたちは小麦粉をふったカツラなどを被っているが、目の配り方はそれなりに訓練を積んだもののそれで、たぶん元軍人か何かのようだった。


(どうやって潜り込んだものかな)


 十分ほど待って、ダメなようなら、また忍び装束に戻って侵入しようと思っていたそばから、六頭立ての大きな馬車が現れて、若い放蕩貴族と酔っ払ってはしゃぐ娼婦の一団が降りてきた。

 ロンドネ人だけでなく、背中を大きくあけたドレスで褐色の肌を見せつけるバルブーフ人や都市居住のエルフまでがいたので、そこにアズマの女が一人混ざり込んでも、気づかれずに済む。


 トキマルはごく自然に娼婦たちの一団に合流した。

 誰一人素面なものはいなかったし、若い貴族もすでにへべれけに酔っぱらっていたので、自分の女が全部で何人かも分からないようだった。


 扉を通り過ぎて、最初に目に入ったのは花を植えた中庭だった。

 大きなホールの中心に毒々しい血苺草ちいちごそうの赤い花弁が絨毯のように広がっている。

 完全な屋内で吹き抜けに大きな窓がつけてあるが、血苺草を育てるだけの光は採れない。


 血苺草はどこかで育てたものをこの日のためにわざわざ植え替えたのだ。


(カネと手間のかかったこって)


 血苺草の花には幻覚作用があり、それが陶酔感を与える。

 忍びの幻術でこの花を利用することがあるが、ここに集まった連中は血苺草の花を摘み、それをワインで満たした杯に浮かべ、飲み干している。

 そのせいだろう。ホールには意識を失いながら何事か呻く男女でいっぱいだ。

 長椅子に寝そべるものもいれば、石床に直接横になるものもいる。


 それだけではない。

 人間が想像し得る様々な形のガラスのなかでイドが黒く溶けて煙を伸ばし、それを吸い込んだ中年の騎士がケタケタ笑いながら娼婦の尻を叩き、娼婦のほうは騎士の髭を馬の手綱みたいに引っぱっている。


 毒や幻覚作用のある煙にはそれなりに耐性をつけているつもりだが、それでもこの城の空気は吐き気をもよおすほどに悪く、頭がくらくらしてくる。

 女たちはみな酒かイドで意識がよどみ、好色な男たちのされるがままになっている。


 そのうち、左右に途方もなく伸びた部屋に迷い込んだ。

 細長いテーブルには巨大なチョウザメがレモンで飾られた銀の皿の上に横たわり、古い貴族の出である老人たちがその筋張って黄ばんだ手を巨大魚の腹のなか突っ込み、真っ黒な卵を掻き出して、むしゃむしゃと食べていた。


「結局、人間、最後は食うことに夢中になるもんじゃ」

「おや、サルベ公爵。そっちのスープはなんだね?」

「子牛の脳みそのスープじゃ」

「それはうまそうだ。おい、誰か。血苺草の花を摘んできてくれ」


 テーブルに沿って歩き、頭と両手にローストチキンをかぶせた男が裸の女を追いかけるのをかわすと、かわした先の扉を押しあけることになった。

 そこは化粧部屋で鏡の前で女たちが目元に蒼い墨を塗り、口紅を塗った唇を口のなかに引っ込めては突き出すのを繰り返している。


「今日の宴は最高!」

「あんた、先週もそういってたじゃないの」

「先週は先週で最高だった。で、今日で記録更新」

「あんた、先週もそういってたわよ」

「毎日毎日、記録更新~。キャハハ! ……うえ、吐きそう。誰かバケツちょーだい」


 女たちのなかで一番混乱しておらず意識もはっきりしてそうなエルフの女がいた。

 といっても、手にはイドの花と茎が入った試験管を持っているので、その意識がはっきりしているのもあとわずかだと思い、トキマルはそのエルフにカマをかけてみることにした。


「あら、イザベラ、久しぶり!」


 トキマルがそう呼びかけると、エルフは不機嫌そうに眉を寄せ、


「あたし、イザベラなんかじゃないわよ」


「うそ。あなた、イザベラ・ルーシェでしょ?」


「知らない。きいたこともない」


 うそだ。返事がはやすぎる。


「ごめん、間違えたみたい」


 トキマルはそう言って、化粧部屋を後にする。


 少し離れたところに裸の彫像があったのでその陰に隠れると、さっきのエルフの女が現れ、きょろきょろとあたりを見回した。

 トキマルを探しているのだろうが、黄色い光と靄のせいで遠くを見通すことができないでいる。


 エルフの女はテーブル沿いを反対側のほうへ歩きだしたので、トキマルも距離を開けて、その後についていった。


 二階へと続く階段。廊下が広がり、部屋になって長椅子がある。

 そばには酒と果物を捧げ持つガラス細工の少年像。まるで生きた少年を何かの魔法でガラスに変えてしまったみたいに出来がいい。

 娼婦が一人、酒かイドで意識を失った状態で立ったまま壁に寄りかかっている。

 反対側の壁では弓と矢を手にした貴族が、誰かリンゴを持ってこい!と女の頭を指差していた。


 乱交乱脈不体裁。

 トキマルは別に自分が正義の味方だと思ったことはないが、もし今夜この城が焼けて自分以外の人間が全員焼け死ねば、明日の世界はずっといいものになるだろうと考えずにはいられない。


 給仕はしゃれた銅細工の試験管立てを盆の上に乗せて、イド中毒者たちのあいだを踊るような軽快さで歩き、ハープシコードと金管楽器はトキマルの忍耐を試すようなやかましい音楽を鳴らす。

 信じられないことにこの騒音はダンスのためのワルツだった。抱き合った男女は背中にウナギでも入れられたみたいに体をくねくねさせて踊っている。


 こんな騒音と視界不良のなかをうろつかせた来栖ミツルに対し、どんな報酬を追加させてやろうと真剣に考えながら、エルフの娼婦を尾行した。

 今回の任務はめんどくせーだけではなく、この上なく健康に悪い。

 変態オヤジどものこっちを見る目も気に入らない――やつら、ここにいる女は誰でもケツを触りたい放題と思ってるらしいが、どっこいこちとら男で、もしケツに手を伸ばしたら、その手をねじっててめえのケツの穴につっこんでやるのだ、分かったか、この腐れ外道どもが。


 エルフは三階へ出て、騒音の鳴る広間から廊下へ入っていった。

 廊下には扉がいくつも並んでいて、エルフは右奥の扉をノックしていた。


 そのころトキマルは尾行どころではなくなっていた。

 ついに彼に手を出そうとするスケベが現れてしまったのだ。


「一目惚れしたのだ」


 こんなところで女漁りなどせずとも、シャバでいくらでもより取り見取りであろう美男の貴公子はトキマルの手をがっしり握って、壁も床もビロードのクッションでできた部屋に引きずり込もうとした。


 幻術は使えない。この城全体、すでに幻術まみれのようなものだ。

 そこで、できるだけ丁寧な乙女言葉で「おやめあそばせ」とか「あれー」とか言ってみたが、相手はますますその気になってしまった。


「みなエルフの白い肌を褒めるが、肌ではアズマの女性が世界で最も美しく肌理細やかなことを知らぬのだ。ああ、このすべすべした手が――あ」


 貴公子は手を撫でていたかと思ったら、あっという間にトキマルのドレスに手を突っ込み、そして、そこであるべきはずでないものを握ってしまった。


「お、お前、男――ぐはっ」


 トキマルの拳が貴公子のみぞおちに滑り込む。

 倒れる貴公子をさっとかわすと、意識を失ったその体はクッションの上を二度跳ねた。


 目撃者候補は七人いた。

 そのうち六人はすっかり酩酊していびきをかいていている。

 一人はしっかり目が開いていたが、ドレスをいらつきながら脱ぎ捨て忍びの黒装束姿になったトキマルがこの男には「曇天模様の空の下で身を投げた裸のカメさん(いいやつ)」に見えているらしい。

 

 たぶん曇天模様のカメさん(いいやつ)を見るために、相当の酒とイドと血苺草と、それにたぶん少し〈蜜〉もやったのだろう。


 忍びの掟では目撃者は始末しなければいけないが、こいつらは夢と現実の区別がついてないので問題ないとして、無視することに決めた。

 それでも顔くらいは隠しておこうと、首にたるませておいた黒い覆面を引き上げる。


 トキマルは部屋の窓を開けて、武骨な石造りのバルコニーに出た。


 例のエルフがノックした部屋のバルコニーは四つ隣。

 灯りは煌々とついていて、窓枠の影が遥か下の屋外球戯場にまで落ちている。


 鯨の骨や厚手のレースでろくに身動き取れなかったドレス姿からいっぺん、カンのいい黒猫みたいに身軽になったトキマルはバルコニーを次々と飛びついでいき、問題の部屋のバルコニーまでやってきた。


 扉くらいの大きさの窓ガラス。その光の漏れるすぐ横で壁に背中をつけて、部屋のなかの声に集中できるよう、丹田で錬った気を自分自身に浴びせかけた。


 すると、声は耳元で話されているように明瞭にきこえてくる。


(アズマ忍法、声盗りの術。さーて、何を話してるのかな)


「黒い髪の、たぶん十五、六くらい。その子がイザベラ・ルーシェのことをきいてきたのよ。ほら、男爵があの子を買ったこと思い出してさ。何かあるんじゃないかなって。あたしの情報役に立ったでしょ」


 トキマルは小さな手鏡を取り出すと、それを使って部屋のなかを覗いた。


 エルフの娼婦はドアのすぐそばにいた。

 それ以上部屋に入ることは許さないとばかりに、巨漢の召使いが立っている。


 背中しか見えず顔が分からないが、それでも七尺に届こうかと思う背丈から、この召使いがバウロンに金を支払い、イザベラ・ルーシェを連れていった男なのだ。


 巨漢の召使いは結構な量の銀貨が山と盛られた純金製の大きな杯に手を置いて、大きな手で握りしめて、それをエルフの娼婦に渡した。


「たったこれだけ?」


 特大の手での一握りは金貨換算で三枚か四枚分のカネになるはずだったが、エルフの娼婦は杯に山になる銀貨に秋波を、というより純金でできた大きな杯に秋波を送った。


 すると、召使いは銀貨を一枚、杯から取り上げて、親指と人差し指で折り曲げてしまった。


「わ、わかったよ」


 エルフはそそくさと逃げ去る。


 巨漢の召使いは振り向いて――もう一つの特徴である赤い顎鬚も確認できた――、もう一つの白い両開きドアをノックした。


「旦那さま。女は帰りました」


 ドアが開くと、豪華な毛皮のベストにサファイアの金鎖をかけた五十くらいの貴族がそっと現れた。 富と権力に恵まれたはずの男は非情の忍びから見ても哀れに思うくらい憔悴していた。

 頬がこけ、しょっちゅう鼻をぐずつかせ、なにかを忘れようと相当無茶な放蕩をしたのが祟って、目は血走り、顔は灰色になりかけている。

 それがまた豪華な衣装によって目立つと来ている。


(フストじゃないが、おれの日々ぐーたらする権利を賭けてもいい。この男はイザベラ・ルーシェを殺したか、その現場を見ている)


「イザベラ・ルーシェのことを?」


 男爵はその名前が何かの呪物のようにおそるおそるたずねた。


「きいてまわった女がいるそうです」


「あいつだ!」


 と、言って窓のほうを指差したので、隠れているのがバレたのかと思った。


 ――が、貴族は何かの概念かそこにいない誰かを差しているだけだった。


「あいつが悪いのだ。わたしは、あいつが、まさか――まさかあそこまで壊れていたとは思わなかった。そりゃあ、いろいろ辛い憂き目にあってはきたんだろうが、それでもあいつは異常だ。頭がおかしいんだ。わたしじゃない。わたしは殺すつもりはなかった。ちょっといたぶるのが好きなだけなんだ。本当だ。ルーサード。お前はわたしの言うことを信じるだろう?」


「はい、旦那さま」


「わたしは殺していない。手は縛ったが、お遊びのうちだ。女も知ってた。それなのに、あいつが、突然、ナイフで女の喉を切り裂いて、あんな、あんなひどいことを。悪夢だ、ルーサード。わたしはどうしたらいい?」


 男爵はめそめそと泣き崩れてしまった。


 ジャックポット。


 最近、来栖ミツルの魂をがっちりつかんで離さないスロットマシン風にいえばそうなる。


 この男は有罪だ。

 この場で殺してもいいが、共犯者がいる――いや、男爵の口ぶりだとむしろ主犯。


 放っておいて尾行するのが一番よさそうだ


 大物を釣るために小悪党を泳がせる。


 ただ、あのでかい召使いが邪魔だ。

 カンがよさそうだし、まかり間違って正面から戦うことになると、苦労しそうだ。


 暗殺、闇討ちは忍びの術だ。

 先に始末すれば、男爵は極限まで怯えて、ボロを出すだろう。


 そっちのほうが忍びらしい。


 覆面に隠れた口が狡賢い微笑を人知れず纏う。


 頭領は、とトキマルは心のなかでぶうたれた――おれのこと、脱力忍者というけれど、こうして任務に専念してるときはいっぱしの忍びらしい行動も思考も取れるのだ。


(まったくこの場を見せてやれないのが残念なくらい――ん?)


 丘のふもとから風が吹いてくる。

 そのなかに臭いがする。


 マントに塗った油、砥いだばかりの剣の金臭かなくささ、そして、火薬と殺気。


「白騎士の裁きだあ!」


 わああああああっ! 裁きだああああっ!


 古城のある丘を囲むようにして、たいまつがメラメラ燃え出す。

 たいまつを持っているのは山羊髭を生やし剣を手にして吠える正義の味方気取りのたちの悪い連中だ。


「あー、めんどくせーことになりやがった」


 白い十字の紋章を身につけた暴徒がわめきながら、古城へと押し寄せてくるのを見て、トキマルはこぼした。


 だが、トキマルの、この上なくめんどくさく、そしてこの上なく長い夜は今始まったばかりだった。

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