第五話 ラケッティア、女を大切にしない男。
翌日の午前十時にジャックが出かけていく。
その少し後ろから頭に野菜の入った籠を乗せた少女が歩く。
ジャックの尾行だ。
正確にいうと、尾行は少女じゃなくて、少女の影のなかにいる。
ジルヴァが影に潜っているのだ。
「ドン・ヴィンチェンゾに言ってくれ。この話はヤバい。みんなこんなイカれた一文にもならない事件に関わりたがらない」
リーロ通りを管轄にしている警吏のルザノが言う。
そこで形と種類の異なる銀貨が数枚入っている革袋をカウンターに置く。
「叔父さんは一文にもならないものを売り買いする天才でね」
ルザノはそれを取ろうと手を伸ばすが、手と銀貨袋のあいだにワイン壺が中身が飛び出すくらい力強く置かれる。
グラムはじろりとルザノをねめつけた。
ルザノは帽子を取り、落ち着かなさそうに薄い髪の撫でつけて、
「バウロン。馬市の空き地で死んでた女のポン引きだ。使う女の薬指に指輪の入れ墨を必ず入れさせる」
「仕事はどこで?」
「エビ漁師の溜まり場だよ。船員教会の対岸の」
あの欲深いマルセリが地獄に落ちたときのことを思い出した。
あの夜、対岸で灯がポツポツついていたあのあたり。
エビ漁師というのはカラヴァルヴァ最大の規模を誇る漁業であり、そしてそこらの海賊よりも危ない。
一度、海賊船が小さなエビ漁船を襲ったことがあったが、すぐ仲間のエビ漁船が海賊船を囲み、火を放って、海賊もろとも海に沈めたことがあるという。
タフな場所なので、ジャックの尾行を受け持っていないマリス、見つからない脱力忍者のかわりにフレイを連れて行くことにした。
エビ漁師の溜まり場は大きな通りがなく、まわりは空き地や雑木林が多い。
森一つ隔てて、騎士団兵舎が一つあるが、もらうものはもらっているので、エビ漁師たちのもめ事に首を突っ込むつもりはなく、好きにさせているらしい。
「データ更新を開始します。フィールド名『エビ漁師の溜まり場』……49%……89%……更新終了」
「きみってそうやってやらないと覚えられないのか?」
「データの円滑な利用にはライブラリへのデータの登録、もしくは更新をする必要があります」
「ふーん」
エビ漁師の溜まり場は小汚いボロ家の集まりで、それぞれが売春宿になっていた。
ここから見る船員教会は葦の上に浮かんでいるように見える。
まだ昼間なので、娼婦たちは寝ていて、エビ漁師が帰ってくるにもまだ時間がある。
数人の引退した漁師が屋外に出したテーブルでうちが売っているエロ・カードをチップかわりにトランプをしていた。
「なあ、じいさん。このへんにバウロンってポン引きがいると思うんだけど。知らない?」
「そんなこと知ってどうする?」
「実はわたくし、代言人のサウル氏の助手でして、バウロン氏の叔母君が多額の遺産を残されたので、その相続のための事務手続きをしに参りました」
「バウロンにそんな裕福な叔母がいたなんて初めて聞いたな。でも、せっかくの遺産ももらってすぐ誰かが相続するのがオチだろうな」
「え? それってどういうこと?」
「バウロンのやつ、刺されたんだ」
まさか真犯人に先手を打たれたか。
「じゃあ、もうお亡くなりに?」
「まさか! 生きてるよ。てめえの使ってる女を大切にしねえから、その一人に刺された。刺されたっていっても、横っ腹ちょっと引っかかれたくらいのもんさ。でも、女がナイフをニンニクで炒めてるかもしれない。人を刺す前に刃をニンニクで炒めると壊疽を起こすってきいたことがある」
「バウロンは今どこに?」
「ルサルのとこにいる。床屋だが、医者みたいなこともできる。しかし、やつに金持ちの遺産とはねえ!」
――†――†――†――
床屋外科医ルサルの住所は皮膚病の野良犬がたむろする路地の奥で、古い血の跡が黒く残るテーブルに傷のある左のわき腹を上にして横になっているところだった。
「真昼間から床屋で昼寝とはいいご身分だな」
麻酔代わりにどぶろくを煽ったバウロンはどろんと濁った眼をおれのほうに向けた。
なかなかの見てくれをした優男で、土曜の夜のような稼ぎ時にはさぞめかし込んで、街を闊歩するに違いない。
今はシャツをめくりあげて、打ち上げられたマナティみたいに横になっているが。
「なんだあ、お前? ルサルはどうした?」
「ルサルはあっちで情報更新に協力してる。フレイは床屋で医者という数奇な運命をどうしてもアーカイブにつけ加えたいと言ってね。で、マリスが剣でつついたら、喜んで協力してくれた」
「はやく、ルサルに、傷を縫わせろ」
「お前、抱えてる女は何人いる?」
「はあ?」
「女が一人消えたはずだ。違うか?」
バウロンはにやりと笑った。
「誰が話すか、クソ野郎」
「クソ野郎か。その言葉、傷つくねえ。実に傷つく」
よく見れば、バウロンは手術の最中、暴れないよう革のベルトで手足を固定されている。
そんな状態でおれをクソ野郎呼ばわりするとは、先生あっぱれな根性してやがる。
ちょうど棚に〈命の水〉があるので、無謀な勇敢さを称えて、傷にたっぷりかけてやる。
傷口にアルコールというのは、最高に痛い。
痛さのあまり、バウロンはわめきながら暴れたが、ベルトで固定されているから動けない。
「この、クソ野郎!」
「いいか、マザーファッカー。二日前の夜、左手の薬指に指輪の入れ墨をした女がズタズタに切り裂かれて見つかった。治安裁判所がいずれはお前を探し出す。お前がこうして刺されて転がってるのを見て、連中はお前が犯人だと決めつける可能性もあるんだぞ? 女が刺したから、お前が逆上して女を切り刻んだってな」
「違う!」
「そうだ。違う。でも、治安裁判所だってカネにならない捜査をいつまでもしたいとは思わない。適当なチンピラに全てをおっかぶせて、それでカタをつけるかもしれないぞ? そうしたら、お前の首はちょん切られて晒されて、胴体のほうはカルボノが外科手術の練習に使うことになる」
「違う、おれは知らない。違うんだ」
「名前を教えてくれ。消えた女の名前。それに最後に寝た客」
「イザベラだよ。イザベラ・ルーシェ。最後に寝た客の名前は知らない。金持ちの馬車が連れて行った」
「おい、変なウソつくなよ。なんでエビ漁師相手の娼婦に金持ちの客がつくんだよ」
「嘘じゃねえ! 本当にいたんだ!」
バウロンはシクシク泣き始めた。
「前に一度、大きなパーティがあって、女を集めてるって。それでイザベラが呼ばれたんだ。そのとき相手した金持ちがイザベラを気に入ったって。そういって連れて行った。三日前の晩に」
死体が発見されたのは二日前の晩。一日前に金持ちの馬車に乗ったわけか。
「金持ちの名前は知らないとして、相手はイザベラを指名した。どうやってだ?」
「いかにも金持ちの召使でございって気取った野郎がやってきて、そいつが前金を持ってきて、どこそこにイザベルを立たせろと言ってくる。知ってるのはそれだけだよ」
「その召使、どんなやつだ」
「でかい男だ。かなりでかい。二メートルはある。顎髭が生えてて、口髭はなかった。ひょっとすると、もとは軍人だったのかもしれねえ。そんな感じがした」
「わかった。信じよう。これは情報料だ」
おれは金貨を一枚、バウロンのズボンのポケットにねじ込んだ。
立ち去ろうとするおれにバウロンが声をかけた。
「なあ、殺されたのは本当にイザベラなのか?」
「そうだ」
「ちくしょう。なんてこった」
「罪悪感があるフリをすんなよ。お前が刺されたのは女を大切にしなかったからだろ」
「行っちまえ、このクソ野郎」
「ああ、行くともさ。コックサッカー」
おれが二人に合図してルサルはやっと解放され、施療行為に勤しむことができた。
おれたちが路地を抜けるとき、警吏が入れ替わりにやってきた。
もちろん、みなおれの顔は知っているし、今度の殺人では娼婦を使っている〈商会〉連中も頭にきていてし、独自に犯人探しを始めたことも耳に入ってる。
だから、お互い透明人間みたいにやり過ごした。
ただ、一人。燃えるような紅い髪の剣士風の少年を除いてだが。




